CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
バイブルか、かじこか、究極の二択

前回ブログで、メインバザールで初インド飯をリベンジしてほろ酔い気分でホテルに帰った私たちは、シャワーの冷たさに酔いもすっかり覚めて、ヒーヒー言いながら眠りに就いたのであります…。

 

 

メインバザール2日目、ビハール州のコロニーに向かうのは明日ということで、今日はデリー観光でも楽しんじゃおう!!ということで、私たちはまずは腹ごしらえに朝食を食べに向かった。

 

 

もちろん、フードリーダーかじこの采配が今日も冴えわたる。

 

「今日の朝は、ここに行こう!!」

 

そう言ってかじこが指を指したのは、Green Chilli(グリーン・チリ)というインド料理屋だった。

 

ここはメインバザールの右奥の方にある口コミでもかなり評判のお店だった。

 

「よっしゃ、行こう!!」

 

身支度をして、私たちは出掛けた。

 

着いたのがここ。

 

 

このお店は、カレーが本当に美味しいらしく、私たちはブランチだね、とか言いながら、朝からヘビーにカレーを2種類とチキンティッカ、チーズナン、スープとすごい量を頼んだ。

 

カレーは、ほうれん草カレーとエッグカレーにした。

 

もう、これがたまらなく美味だった。

 

ほうれん草カレーは、なかにチーズが入っていて、チーズナンと一緒に、チーズonチーズみたいなわけわかんない状態で、贅沢に食べた。

 

「うまーいぃぃぃーーーー!!!」

 

なんか、それしか言ってなかったんじゃないかっていうぐらい食べまくった。

 

もう、お店を出る頃にはお腹たぷたぷで、動けない、ギブ、ギブ!!って、意味わかんないこと言いながらも、観光に繰り出した。

 

観光に繰り出した私たちは、今後の渡航のためにも、まずはデリーの観光局に行って、いろんな情報を仕入れようということで、地図を広げた。

 

地図上で見ると、メインバザールから南の方に行くとコンノートプレイスというショッピング街があって、それを少し越えたところに観光局があるということだった。

 

 

「歩いて行けそうじゃない?」

 

「いや、歩いたら20分ぐらいかかるんじゃない??」

 

 

そんなことを話しているうちにニューデリー駅に着いた。

 

 

「よし、トゥクトゥクに乗って行かない??」

 

 

トゥクトゥクというのは、インドの三輪タクシーのことで、リキシャ―がエンジンで走るようになったみたいなものなので、別名オートリキシャ―とも言う。

 

そうだね、乗って行こう!!

 

ということになり、

 

オートリキシャ―がいっぱい停まっているところで、おじさんに声を掛けた。

 

「あの〜、私たち、この観光局まで行きたいんですけど、いくらで乗せてもらえますか?」

 

おじさんは地図をひったくって、マジマジと見た。

 

「500ルピー」

 

……!!!!

 

絶対、うそ。

 

SILFからここまでのタクシーで300ルピーぐらいしかかかっていないのに、そんなにかかるわけない。

 

もう、どのおじさんに聞いても、コンノートプレイス付近までは300〜500ルピーの間の金額だった。

 

そんなわけあるか??

 

ここに至るタクシー代を考えると、到底納得のいく金額ではなかった。

このままこの炎天下の中、無装備のまま20分以上の道のりを歩いていくべきか、完全に私たちの足元を見ているおっさんたちの要求を呑むべきか…。

 

私たちは、ニューデリー駅の前で、どうするべきか迷っていた。

 

私たちの意見も割れて、暑さでイライラし始めたその時だった。

 

ニューデリー駅の門のところにいたターバンの男が近付いて来て話し掛けてきた。

 

「君たちどこに行きたいの?」

 

「インドの観光局です」

 

かじこが答えた。

 

「インドの観光局に行くなら、絶対トゥクトゥクで行くべきだよ。観光局は14時で閉まっちゃうから歩いて行っても間に合わないよ」

 

時計を見ると、13時半だった。

 

でも、地球の歩き方には、観光局は16時まで開いていると書いてあった。

 

うそくせぇ〜。

 

もう、ゆずると私の意見は一致していた。

 

なぜなら、前日の夜、観光するために『地球の歩き方』を熟読していた私たちは、ニューデリー駅付近にいるターバンの詐欺師に気を付けろ!という記事を読んでいた。

 

そのターバンの詐欺師は、あることないこと言って説得して信頼させてお金巻き取るのだけど、その辺のトゥクトゥクやタクシーと結託していて、カモ客を流してはマージンを取っているという話だった。

 

もう、ここはニューデリー駅だし、こいつはターバンだし。

 

状況がピッタリ過ぎて、ゆずると私は、かじこに目で「無視して行こう!」と促した。

 

けど、かじこはターバンとめっちゃ話し出した。

 

いやいや、かじこ、もう私はそいつを1ミリも信用できない境地にいる。

 

さあ、無視して行こう!

 

私たちが歩き掛けてもかじこはずっとターバンと話し込んで動かなかった。

 

少し歩いたところで待っていると、かじこが走ってきた。

 

 

「ねぇ、あの人すごく良い人だよ!」

 

「私は信頼できると思うよ!」

 

 

人を信じる純真無垢なかじこがいた。

 

だが、私とゆずるはもう、ターバンよりもバイブル(地球の歩き方)に厚き信頼を置いていた。

 

例え、犬山のアルペンアイベックスといえども、英語ができようとも、ここはかじこの勘に信頼を置く場面ではなかった。

 

 

「かじこ、この辺りは詐欺師が多いって地球の歩き方にも書いてあったし、かじこの気持ちもわかるけど、信頼できないよ」

 

「私はあの人と話して詐欺師じゃないって思ったよ。今日は、インド観光局は早く閉まっちゃう日なんだって。もし、歩いて行って間に合わなかったら意味ないから、あのおじさんの言う通り、トゥクトゥクで行こうよ。安いトゥクトゥクを紹介してくれるって」

 

 

「いや、かじこ、詐欺師って信頼させるのが仕事だから!あの人を信頼できるっていう根拠がないよ」

 

私は、暑さのイライラも相まってかじこに強めに返した。

 

「そうかなぁ、私はそうは思わないけど…、聞くだけならタダなんだし」

 

と、モメモメしていると、

 

数メートル先にいたターバンが背後にゅっと現れた。

 

「うわっ!!」

 

「ぐずぐずしていると間に合わないから、私の知り合いのトゥクトゥクを紹介するから乗りなさい!」

 

驚いている私たちを無視して、ターバンは強引にトゥクトゥクのところまで連れていった。

 

それは私たちがさっき話し掛けて、500ルピーと吹っかけてきた男だった。

 

 

 

「もう、歩いて行こう!!」

 

私は、その男の話も聞かず、足早に歩き始めた。

ゆずるもその後を追ってきて、かじこがそれに続いた。

 

ターバンの男は何か叫んでいたけど、無視した。

 

 

道すがら、3人とも沈黙だった。

 

 

みんな、各々の理由で気分が沈んでいたんだと思う。

 

今思えば、他愛もないことなのかもしれないけれど、インドが初めての私たちは、こんな小さな出来事にビクついたり、モメたりしていた。

 

今の私だったら、ターバンの話を最後まで聞いて、正当な値段を言って値下げ交渉してやるんだけどね。笑

 

もう、ここから観光詐欺(リキシャ―やトゥクトゥク、タクシーが提携しているお店まで観光客を連れて行って土産物を買わせる詐欺)までやられたらという不安から、私は強硬な態度に出てしまったのだ。

 

かじこのポテンシャルが高いのは私も認めるところだけれど、その当時の私は、インド渡航歴2回目(かじこは個人旅行でインドに来たことがある)でデリーに来るのは初めてのかじこを信用して冒険するよりも、バイブル(地球の歩き方)を信じて安パイな方を取りたいというチキン心が勝ってしまった…、

 

ごめんよ、かじこ。

 

 

 

と、まあ、沈黙の中、歩き始めたのだけど、

 

暑い…。

 

とにかく、暑い…。

 

もう、さっき500ルピー払ってトゥクトゥクに乗ってたら良かったんじゃないかな…って、思うくらい暑い…。

 

たぶん、みんな同じ気持ちだったと思う。

 

 

私の強硬な態度のせいで歩くハメになって、2人ともイライラしてるだろうな…と、暑さと後悔で余計、心が沈み掛けていたとき、

 

 

「歩くのも楽しいな!!」

 

バカみたいにゆずるが言い始めた。

 

 

「そうだね!違った景色が見れるし!」

 

かじこが乗っかった。

 

 

「でも、あちーな!!あの地図、うそだろ、全然コンノートプレイス見えてこねーな!」

 

そう言って、ゆずるがゲラゲラ笑った。

 

 

あぁ、良いやつらだなって、心から思った。

 

 

そこからは一転、暑いけど、楽しい道のりになった。

あーでもない、こーでもないと、どうでもいい話をしているうちにコンノートプレイスに着いた。

 

 

おぉー、ここがコンノートプレイス!!

 

このコンノートプレイス、大きな円形をした大きなモールで、その円形のモールにたくさんのお店がひしめき合っているのだけど、メインバザールみたいに屋台とか安い雑貨店ではなく、小奇麗なハイソなお店ばかりが立ち並んでいる。

 

マックやケンタッキーなどもここにある。

 

私たちが行った時期は、コンノートプレイスの大掛かりな改修工事をしている最中で、通れる道に制限があったり、工事の関係で一時閉店にしているお店もあった。

 

ちなみに余談だけど、この2年後の2012年にデリーを訪れたときもまだ工事が終わっていなくて、改修工事がバカみたいに長引いていると聞いた。

 

ある人の話だと、改修工事の見積もりややり方が杜撰で、全然進まないのだとか…。

 

インドっぽいなと苦笑いした記憶がある。

 

今はキレイになったのだろうか…、今度デリーに行くときはぜひ行ってみようと思う。

 

 

 

さてさて、そんなかんじで、コンノートプレイスに到着した私たちだけど、私たちのゴールはここではなくて、この円形のビッグモールの裏側の先にある観光局を目指しているのだ。

 

このコンノートプレイスをぐるっと迂回して行くより、まっすぐ突っ切って進む方がいいんじゃないかっていうことで、コンノートプレイスをぶらぶら歩きながら、観光局を目指した。

 

最初はコンノートプレイスをキョロキョロ楽しく見ていたけど、もう、途中から飽きて、歩けど、歩けど、着かない。工事中だから通れない道があって戻らなきゃいけなくて、結局、途中から迂回することになったり…、コンノートプレイスを出た頃には、疲労困憊だった。

 

それでも、よし、歩くかって、なって、頑張って、観光局を目指した。

 

けど、歩けど、歩けど、観光局にたどり着かない…。

 

もう、通り過ぎたんじゃないかっていう疑いも出てきて、足と体力もそろそろ限界だよー!ってなってきたから、その辺にいる人に聞いてみた。

 

「すぐそこだよ。10分くらい歩けば着くよ」

 

 

あと、10分…!!!

 

 

愕然とした。

 

この炎天下の中、1分ですら歩く体力は残っていないのに、あと10分…。

 

レストランを出発したときから考えたら、かれこれ、1時間半近く炎天下の歩いていることになる。

 

もう、誰だったか忘れたけど、誰かが言い出した。

 

「インド観光局…、もう行かなくていいんじゃない?」

 

あとの2人も、頷いた。

 

 

やったー!!解放されたー!!

 

もっと早く誰かが言ってくれれば良かったのに。

そもそも、何で観光局は補足的な訪問だったはずなのに、今日の最大の目的みたいになってて、すげーバカじゃん!!

 

 

そんな気持ちが3人の中から一気に沸き出した。

 

観光局に行くという目的不明のミッションから解放された私たちは、とにかく、暑さと疲れを癒そうと、コンノートプレイスのフードコートに入った。

 

 

エネルギー充電中の私たち。笑

 

 

どんな時だって任務を忘れないフードリーダーかじこ。

 

 

バイブル(地球の歩き方)を真剣に読み直す私。

 

 

シェイクにはしゃぐゆずる。

 

 

 

と、まあ、フル充電をした私たちは、いざ、帰らん!!と、コンノートプレイスをはしゃぎながら帰路に就いた。

 

え?お前たち、何をしにコンノートプレイスに来たんだよ!って?

 

えっと、私たちにもわかりません。笑

 

 

 

帰り道は、楽しかった。

 

もう、道も知っているし、何より帰るだけというシンプルなミッションなので、何も考えることがなかった。

 

 

あー、あのワゴンかわいいね!

 

アイスクリームやさんだって!

 

わー、アイス食べたいー!!

 

もう、やりたい放題。

 

 

 

コンノートプレイスを出ると、今度こそトゥクトゥクに乗ろう!ということで、路肩に停まっているおっさんに話し掛けた。

 

「メインバザールまでいくらですかー?」

 

「200ルピー」

 

「いいじゃーん!もう乗っちゃおうよ!!」

 

ということで、疲れていた私たちは値下げ交渉もせず、トゥクトゥクに飛び乗った。

 

 

初トゥクトゥクーーーー!!!

 

いぇーーーい!!!

 

 

あんなに苦労して歩いた道のりを、風を切って走るのは本当に爽快だった。

 

私はリキシャ―よりも、タクシーよりも、このトゥクトゥクが一番好きになった。

 

リキシャ―より速いし、タクシーより風を感じられて気持ちがいい。

 

 

数時間前に、うつむいてたのはどこへやら。

 

テンションが上がりまくる私たち。笑

 

 

 

 

颯爽と走ってるかんじ伝わるでしょうか?笑

 

 

 

トゥクトゥクで一気に駆け抜けてメインバザールまで戻ってきた私たちは、やっと帰ってきたよ、ただいまー!って、もう、2日目にしてメインバザールの雑然とした感じにマイホームのような安心感を覚えていた。

 

やっぱり私たちにはハイソなものより、庶民派だね!なんて言いながら、メインバザールの良さを噛みしめながら歩いた。

 

ホテルに帰る前に飲み物を買おうということになり、ホテルを通り過ぎて、スーパーまで行って買い物して、ぶらぶらしながらホテルに戻った私たち…、

 

その帰り道で見つけたのがこれ!!

 

 

 

そう、ラッシー屋さん!!

 

 

ラッシーは、ダヒーというヨーグルトをベースにしたインドの伝統的な飲み物なんだけど、お店によってその作り方は様々ある。

 

このお店はメインバザールでも有名なラッシー屋さんで、美味しいと評判らしい。(フードリーダーかじこ調べ)

 

ここのラッシーは、ヨーグルト、ミルク、氷 フルーツを入れてミキサーにかけてシェイクしてくれるタイプだった。

 

 

 

それぞれ好きな味を頼んで、作っているのを眺めていた。

 

 

ヨーグルトにたかるハエ。

 

バケツに入った汚そうな氷。

 

炎天下の中、放置されている果物。

 

お兄さんの洗ってなさそうな手。

 

 

 

いろんなものが目に入ったけど、もう、見ないことにした。

 

だって、作っているお兄さんが100%の笑顔で楽しそうだったから。

 

理由になっていないけど、そういうことにしておこう。

 

 

 

 

「ほらよ、できたよ!」

 

できあがったラッシーを恐る恐る飲んだ。

 

「美味しいぃーーーーーーっ!!!!」

 

 

 

冷たくて、甘くて、ヨーグルトとフルーツが濃厚で、最高だった。

 

 

 

きっと、いろんなエキスが加わってこの美味しさになったのだろう。

 

そういうことにしておこう。

 

 

この日を境に下痢になった私たちだけど、それはきっと疲れからくるものだろう。

 

そういうことにしておこう。

 

 

 

そして、ラッシーに満足した私たちは鼻歌まじりにホテルに戻ったのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

JUGEMテーマ:インド

初インド飯、リベンジ!

前回のブログで、お犬様事件の後、ベヌさんたちにメインバザールまで送ってもらった私たち…。

 

 

 

ベヌさんたちにメインバザールに送ってもらう道すがら、今後の予定について話し合った。

 

元々の予定では、ベヌさんに、ハリヤナ州、ウッタルプラデシュ州、ビハール州と北部3州のハンセン病コロニーを案内していただくようにお願いしていた。

 

ベヌさんは、ワークキャンプという私たちの特殊な活動を知ったからか、明後日からビハール州のコロニーを巡るようにと提案してきた。

 

ビハールには、ベヌさんではなく、ビハール州の回復者の方が私たちを連れていくから、明後日の午前中、ホテルのロビーで待ち合わせするようにとのことだった。

 

ほほぅ、明後日か…。

 

ベヌさんは行かないのか…。

 

どんな人が来るんだろう…。

 

ま、いっか。

 

(雑過ぎだろ!!笑)

 

この旅は終始そんなかんじで行き当たりばったり感がすごかった。

 

もう、私の性格がそのまま出てしまっている。

 

 

 

ベヌさんたちにメインバザールまで送ってもらった私たちは、お礼を言って別れた。

 

運転手とも握手をしたけれど、私は内心まだお犬様事件を引きずっていたので、もう二度とマリオカートすんじゃねえぞ!という意味を込めて、これでもかというほど力強く握手をした。

 

きっと、効果はあまりなかったと思う。

 

 

ベヌさんたちと別れた私たちは、今夜の宿を探すこととなった。

 

初めてのインドの宿…。

 

でも、出国前に私たちのバイブル『地球の歩き方』を見て、どの宿にしようか、散々悩んでいたので、もう目星は付けていた。

 

私たちの条件は、

 

・安いこと

・ホットシャワーが出ること

 

この2点だった。

 

 

いやいや、他にもっとあるだろ…と思われるかもしれないが、この時はいろんな知恵が足りていなかったので、この2点で決定した。

 

つまり、ホットシャワーが出る宿の中で、最安値のところを選ぶということだった。

 

 

そして、『地球の歩き方』を信じまくっていた私たちは、その中で紹介されている『AJAY GUEST HOUSE(アジェイゲストハウス)』という宿を選んだ。

 

それがここ。

 

 

しかし、行ってみると、『地球の歩き方』とは値段も違うし、何だか胡散くさいかんじだった。

 

一人一泊600ルピーで、ダブルベッドがあって、小さいエクストラベッドを入れてくれるということだった。

 

部屋は、エクストラベッドを入れたら、歩く隙間がないような狭さだった。

 

そして、後々わかるのだが、私たちが渇望していたホットシャワーは給湯器が壊れていたのか、冷たい水しか出なかった。

 

(この数時間後、もう、冷たい水浴びて、泣いたよねー。笑)

 

今は、一人一泊400ルピーで、シングルベッドが人数分ある宿に泊まれているから、まあまあ、スペックに見合わないお高めの宿だった。

 

 

初めてのコロニー訪問に疲れていた私たちは、もう他の宿を今から探すのも疲れるので、ちょっと高いけどここにしよう!ということで、初めての宿はここで決定した。

 

 

もう、夕方近くになっていて、お腹が空いていた私たちは、『初めてのインド飯』リベンジを果たすため、メインバザールへと繰り出した。

 

(※初インド飯は、緊張のあまり味わえなかった苦い経験を持つ私たち。笑 ブログ『インドの高級住宅街をぶらり旅』参照

 

 

 

そして、フードリーダーかじこが選んだのが、CLUB INDIA CAFE(クラブインディアカフェ)であります!!

 

 

 

ちなみにフードリーダーというのは、食べるのが大好きなかじこが食に一番こだわるので、ゆずると私が任命した役職です。

 

フードリーダーは、お店を決める権限があって、さらにはメニューを決める権利もあるというなかなかの贅沢な役職なのです。

 

え?そうでもないって?笑

 

 

 

早速、お店に入って、

 

もう、かじこに任せるよって言って、メニューを渡すと、かじこはメニューに穴が開くんじゃないかっていうぐらい真剣に見て次々とオーダーしていった。

 

そして、隣のお客さんがビールらしきものを飲んでるのをめざとく発見すると、あれ、ビールですか?私たちも頼めますか?と聞いて、闇メニューであるビールを3杯頼んだ。

 

インドのビールは、キングフィッシャー社の作るビールが主流で、さっぱりすっきりした味が特徴だった。

 

ルーフトップで夜風に吹かれながら、メインバザールの街並みを見て飲むビールはかなり格別だった。

 

 

その後、料理が次々と運ばれてくるけど、

 

どの料理も本当に美味しい!!!

 

 

 

ここで、フードリーダーかじこの素敵チョイスを一部紹介したい。

 

まずは、チキンティッカ。

これは、マサラなどの香辛料に漬け込んだ鶏肉を焼いたもの。

香ばしいマサラとぎゅっと閉じ込められた鶏肉の旨味が絶妙なハーモニーを醸し出す逸品だった。

 

そして、バターナン。

分厚くて甘みがあって、バターもふんだんに使われていて、ナンだけでも食べられちゃうような美味しさだった。

 

最後に、チキンバターカレー。

インドの王道をいくカレーで、もうインドカレーといえば、これ。お店によって味がだいぶ変わるから、その店の味を知りたかったら、こいつを頼むと良いってぐらいのメジャー級のカレー。ここのお店のは、何ともいえないコクと甘みがあって、ナンと最高にマッチしていた。

 

 

 

そして、幸せいっぱいのかわいい私たちをブロマイドショットをどうぞ。笑

 

まずは、わたし。

 

 

そして、ゆずる。

 

 

最後に、フードリーダーかじこ。

 

 

もう、初インド飯のリベンジを見事果たした私たちは、お腹パンパンになって、ほろ酔い幸せ気分でお店を後にした。

 

 

この後、ホテルの無情な冷水に泣くことになるとは露知らず…。

 

夜のメインバザールを楽しく観光しながら、帰路に就いたのでした…。

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

お犬様事件

 

メインバザールにて、ベヌゴパールさんと無事に出会った私たちは、ベヌさんの住むハンセン病コロニーへと向かった。

 

 

車中、ベヌさんのコロニーについて話を聞いた。

 

ベヌさんのコロニーは、ハリヤナ州にあるハンセン病コロニーで、数千人が住む巨大なコロニーということだった。

 

ハリヤナ州は、前にも書いた通り、インドの比較的裕福な人たちが住む地域で、そのハリヤナ州で元は数人の物乞いからスタートして、今の数千人規模のハンセン病コロニーになったということだった。

 

ハリヤナ州のように富裕層の住む地域で物乞いをするということは、富裕層の人たちが喜捨(進んでお金を寄付すること)する額が多いので物乞いをして得られるお金が多くなり経済的に恵まれることになる、しかし、その反面で、はっきりとしたカースト差別も存在し、アウトカースト(不可触民)であるハンセン病コロニーの人々は、汚いものを見るような目で見られ、公共の場で徹底的に富裕層から差別されるということだった。

 

 

ここで、少し、『喜捨』と『アウトカースト』について触れたい。

 

『喜捨』とは、先ほどの注釈でも書いたけど、進んでお金を布施または寄付したりすることをいうのだけど、インドでは、物乞いをするアウトカーストの人々に対してお金を恵んであげることをいう場合が多い。

 

喜捨は、現地の言葉で、『バクシーシ』といい、物乞いをする人たちは、「バクシーシ」と言って手を差し出してお金を求めてくる。

 

『アウトカースト』とは、その名の通り、『カーストの外にいるものたち=人間ではないもの』という意味で、人間としての扱いを受けないため、まともな教育も受けられず、まともな職業にも就けず、まともな医療も受けられず、彼らに許されるのは唯一物乞いだけというまさに最低な暮らしを余儀なくされている。

 

カーストは、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つからなる身分制で、数千種類の職業が各階層に割り振られている。

 

そして、その職業のほとんどが世襲制で、例え、同じ身分階層であっても、新しい職業に転職するということができない。

 

カーストが法律で禁止されてもなくならないのは、この職制が影響しているとも言える。インドでIT産業が盛んなのも、職制にない新しい職業でカーストに関係なく誰でも自由に参入できるからという背景もある。

 

そんな国際社会に仲間入りしているインドで後進的な身分制であるカースト(職制)をいまだに事実上、機能させている理由は、一部の特権階級の反対はもちろんあるだろうけれど、多民族・多宗教国家であるインドで職業選択までもが自由になれば、たちまち失業者が溢れ出て民族間や宗教間の対立へと発展して国がまとまらなくなるという懸念もあるのかもしれない。

 

だからといって、やりたくもない辛い仕事をして低賃金で暮らしていくことを強いられる人や、そもそも、人間としての扱いを受けず物乞いで暮らしていくことを強いられる人もいるというのは絶対に間違っていると思う。

 

インドでは、国民の3分の1が貧困に喘いで暮らしている。

これは言い換えれば、国の体制を守るために、3分の1の国民を犠牲にしているとも言える。

 

そう考えると、『国家』とは何のためにあるのかという疑問すら沸いてくる。

 

 

 

と、まあ、ベヌさんの住むコロニーの現状を聞きながら、カーストの根深さとそこから抜け出せないインド経済や社会のバランスの悪さを感じて、私たちはこれからすごいものに闘いを挑むことになるんだな…と、そんなことを思っていた。

 

そんなこんな考えているうちに、ベヌさんの住むコロニーに到着した。

 

「さあ、着いたよ」

 

笑顔で言うベヌさんに、

 

「え??普通に大通りの道ですけど…」

 

と、3人ともキョロキョロ。

 

そこは、パステルカラーの小奇麗な建物がたくさん並んでいる大通りだった。

 

 

その写真がこれ。

 

 

「え?ベヌさん、コロニーどこなんですか?」

 

疑問に思って聞くと、

 

「ここがコロニーです」

 

と返ってきた。

 

 

「え?」

 

一同、唖然とする。

 

 

どうやら、ここの大通りも含めて全部がコロニーらしい。

 

さすが数千人が住む巨大コロニー!

 

とはいえ、もう、めちゃくちゃキレイ!!

 

発展している!!

 

 

例えば、こんなお店もある。

これは、コロニーの人がやっているお店らしい。

 

 

例えば、ヒンドゥー教の寺院もある。

これも、コロニーの人がお金を出し合って運営しているらしい。

 

 

例えば、立派な学校もある。

これも、コロニーの子供たちが通っているらしい。

 

 

 

これは、コロニーなのか…。

 

街じゃないか…。

 

もう、見るものすべてに絶句した。

これは全然思い描いていたハンセン病コロニーじゃない…。

 

 

驚きを隠せない私たちを尻目に、ベヌさんはコロニーの自治組織のメンバーが集まる集会場に私たちを連れていってくれた。

 

 

≪集会場で話すベヌさんと私とかじこ≫

 

 

チャイを飲みながら、ベヌさんはこの巨大なコロニーの成り立ちを教えてくれた。

 

 

初めはただの浮浪していた物乞いの集団で、ここまでコロニーを発展させるのに相当な苦労をしたこと。

 

今は、いろんな支援団体の協力のおかげで様々な産業を興して、コロニーの人たちが物乞いをせずに暮らしていけるようになったこと。

 

しかしながら、物乞いで財産を築いたやつらだと妬みからくる目に見えない差別は未だに続いていること。

 

 

ベヌさんは淡々と語ってくれた。

 

ベヌさんは、こうやってコロニーが大きく発展できるかどうかは、訴え続ける当事者の声の大きさと地方政府の財源にかかっていると言った。

 

北部の多くの州が貧困に喘いでいて、首都デリーやハリヤナ州を除けば、ほとんどの州が財政難だという。

 

このベヌさんのコロニーが発展できたのも、富裕層が多く住む地域なので物乞いでの収入が大きかったこと、ハリヤナ州政府に対してベヌさんたちが大きな声で訴え続けたおかげで多くの支援を得られたこと、ハリヤナ州政府がそもそも豊富な財源を持っていたことが大きな要因だということだった。

 

ベヌさんは、最後にこう言った。

 

君たちの活動はこのコロニーには必要がないかもしれないけれど、北部の他のコロニーは想像もできないくらい悲惨な状況だから、その状況をきちんと見て、君たちに少しでも何かできることがあるなら頑張ってほしい。

 

うんうんと頷いたけれど、その想像もできないほど悲惨な状況が、当然ながら全く想像できず、この時の私たちは割と、ドラクエでいうところの勇者のような気持ちで、よっしゃ、任せとけ!ベヌさん!って、逆に意気込んでいた。

 

話が一通り終わると、ベヌさんはコロニーの中を案内してくれた。

 

 

産業として、綿織物を生産していることや家畜として牛を飼っていることなどを細かに説明してくれた。

 

綿織物は糸を染めるところからやっていて、機織りの工場もあった。

 

 

これが糸を染めるところ。

 

これが機織り工場。

 

 

工場にある機織り機で作られた布がこれ。

 

 

機織りの工場は、笹川記念保健協力財団の支援によって建てられたものだった。

 

 

「これはたくさん売れますか?」

と私が質問すると、

 

ベヌさんは、この機織りで作られた布はいろんな市場で販売しているけれど、ハンセン病コロニーで作られたと知ると、途端に買ってくれなくなったり、安く買い叩かれたりすると答えた。

 

上手くいっているようで、まだ、見えない差別があるといっていたのはこのことだったんだなと感じた。

 

 

 

牛もたくさん飼っていて、健康な牛が育てられるように家畜小屋がきちんと整備されていた。

 

これが実際の牛たち。

 

 

 

学校に通う子供たちもきちんとした服を着ていて快活で明るかった。

 

子供たちと一緒にパチリ。

 

 

 

ベヌさんのコロニーの見学をしながら、私たちは、今後、自分たちが支援するコロニーがこんな風に発展していってくれたらいいなと壮大な夢を描いていた。

 

コロニーの見学を終えた私たちは、コロニーの人たちにお礼を言って、メインバザールに戻ることになった。

 

ベヌさんがメインバザールまで送ってくれるということになり、私たちは車に乗り込んだ。

 

また、同じベヌさんの手下(たぶん手下じゃないと思う。笑)が運転をしてくれて、出発した。

 

ブオーンっ!

 

エンジンを吹かして一気に発車した直後だった。

 

キャィーーーーン!!!!

 

けたたましい悲鳴が上がった。

 

犬の足を轢いたのだった。

 

 

やりやがった、この運転手。

 

とうとう、犬の足を。

 

メインバザールではギリギリセーフのマリオカートでドヤってたけど、

 

とうとう、お犬様を。

 

 

 

その黒い犬は、足の骨が砕けたのか、2、3回鳴き叫んだ後、うずくまった。

 

誰かが駆け寄ってきたので、犬を保護するのかと思ったら、しっ!しっ!と、追い払ってしまった。

 

 

犬が足を引きずっていなくなるや、ブオーンっ!とアクセルを踏んで車は走り出した。

 

ベヌさんも運転手も犬の足を引いても、何事もなかったかのようだった。

 

信じられない。

 

これが文化の違いか…。

 

 

 

私はこう見えて、犬や猫が大好きだから、本当に、気分が萎えた。

 

おめぇ!犬を轢くなんてどんだけ運転下手なんだ!マリオカートじゃねぇんだぞ!と。

 

運転手に腹も立ったけど、この後、こんなことがたくさんあり過ぎて、ああ、これが文化の違いか…、と、腹を立てるより納得することしかできなくなったしまった。

 

実際、あんなに悲しい気持ちになった衝撃的な事件だったのに、この後も頻発する様々な事件によって、私はこのブログを書くこの瞬間まで、お犬様事件のことを忘れていた。

 

インドという国の文化は否定しないけれど、私は日本人であって、そこの部分だけは薄っぺらいエゴと言われても、染まりたくないし、慣れたくないことだなと思った。

 

でも、インド人からしたら、本当に薄っぺらい日本人のエゴなんだろうけど。

 

 

 

 

悲しいけれど、まだまだ、旅は続く…。

 

そして、事件も続くのであります…。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

JUGEMテーマ:インド

華麗なるリキシャ―デビュー!

前回のブログでSILFの床で川の字になって寝た3人でしたが、今日はいよいよインドハンセン病コロニーに向かうためにニューデリー駅に向かったのであります…。

 

 

 

私たちは、次の日の早朝、SILFのスタッフにお礼を言って、タクシーでニューデリー駅へと向かった。

 

私たちは、このニューデリー駅で、インドのハンセン病回復者組織であるナショナル・フォーラムの北部代表のベヌゴパールさんと待ち合わせしていた。

 

 

ナショナル・フォーラムというのは、約700ヶ所のインドハンセン病コロニーが参加する回復者組織で、「ハンセン病回復者がいわれない差別と闘い社会的権利を確保するためには、回復者自身が団結し、声を上げて社会にその不当性を訴えなければならない」という考えのもと、日本財団の笹川陽平氏の呼びかけにより、日本財団、笹川記念保健協力財団の支援によって、2005年に設立された。

 

ナショナル・フォーラムは、タミルナドゥー州のコロニーに住む回復者でソーシャル・ワーカーであるP.K.ゴパール氏が会長を務めていて、現在、インド全土規模の大きな組織となっている。

 

渡航前に、笹川記念保健協力財団の方から、北部のハンセン病コロニーを回るなら、ナショナル・フォーラムの北部代表のベヌ・ゴパールさんと連絡を取り合ってみると良いよと言って紹介していただいていた。

 

そんなわけで、ベヌ・ゴパールさんとは事前にメールでやり取りをして、ニューデリー駅で待ち合わせをしよう!ということになっていた。

 

 

 

しかし、このニューデリー駅、デリー空港に負けず劣らず、魑魅魍魎が渦巻く駅だった。

 

もう、「地球の歩き方(ガイドブック)」に、ニューデリー駅の詐欺師に気を付けろ!ってデカデカと書かれているぐらいだから、おしっこ漏らすんじゃないかっていう勢いでビビって立っていたわけなんです。

 

そう、カモネギ風の、日本人三馬鹿トリオが。

 

昨日まで、きれいなインドしか知らない温室育ちの三人だったから、そこら辺にあるもの全部初めて過ぎて、でも、キョロキョロしてるとカモられそうで、できるだけ割と余裕だぜってかんじを醸し出して立っていた。

 

交通ルールとかないんだろうなってぐらい狭い道にひしめき合っているインド人たちに遠慮なく、ジロジロ見られて、

 

ちょっとは遠慮して見ろよ!こっちは遠慮して見てんのに!って怒りとか沸いてきて、

 

ベヌさん来ないなーって待ってた。

 

 

 

もう、ハリーの時もそうだったけど、ベヌさんの顔とか知らないからね。

 

カモってきたインド人がたまたまベヌって名前だったら、もれなくホイホイついてっちゃうから。

 

そんな危うさを孕みながら、こいつかなー、あいつかなー、って、ベヌさんを予想だけで探してた。

 

 

 

そしたら、ジロジロ見てたインド人たちがとうとう寄ってきた。

 

 

「リキシャ―500ルピー」

 

(人力車を500ルピーでどうですか?)

 

「ノー!!」

 

(高いわ、普通に!ナメてんのか!)

 

 

 

「フレッシュジュース200ルピー」

 

(搾りたてのフルーツジュース200ルピーでいかがですか?)

 

「ノー!!」

 

(高いわ、普通に!でも、すげーフレッシュ…っておっさんの汚い手で搾るんかいっ!)

 

 

 

もう、いろんなインド人が次から次へと話しかけてきた。

 

そりゃあ、バックパック背負って、本当にカモネギっぽいもんね。

そりゃあ、そうでしょう。

 

私がインドならこんなバカっぽい日本人3人がぼーっと立ってたら、めっちゃ話しかけるでしょうよ。

 

 

 

余談になりますが、最近、インドに行ってもインド人に全く話しかけられなくなった。

 

インド人たちは、インド初心者とそうでない人を感覚的にわかるんだよって仲良しの宿屋のおっちゃんが言っていたけど、本当にそうらしい。笑

 

 

 

カモネギ3人組がしびれを切らし始めた頃、電話がなった。

 

ベヌさんだった。

 

キターーーーーー!!!!

 

ベヌーーーー!!!

 

 

興奮しながら電話に出ると、開口一番、

 

「君たちどこにいるんだ?」

 

驚きながらも、

 

「え?ニューデリー駅です」

 

と答えると、

 

「私はパハールガンジにいます。そこにいるから来て下さい」

 

と返ってきた。

 

 

「はあ?」

 

ちょ、ちょっと、パハールガンジって言ってる…。

 

意味わかんない。

 

地球の歩き方ガサゴソ探して、ニューデリー駅周辺の地図をのぞき込む私たち。

 

ここじゃない?

 

それは、ニューデリー駅の入り口から西側ににゅっと延びるメインバザールというデリーに来る観光客が必ず訪れるマーケット&安宿街エリアのことだった。

 

ここがメインバザールの中心地↓↓

 

 

メインバザールは、別名パハールガンジと言って、丘(パハール)の市場(ガンジ)という意味らしい。

 

この時の私は、全くそんなことも知らなかったから、てっきり、ガンジーが影響を与えた魅惑の街だと勝手に思っていた。

 

「ジー」の伸ばし棒、どこいったんだよ!という常識的な突っ込みはやめていただきたい。

 

それぐらい私はバカなのであります。

 

 

 

とまあ、そんなことはさておき、

 

 

ベヌさん、どこにいるんだよ?

 

と、ベヌさんにこの広いメインバザールのどこにいるのかを聞いてみた。

 

ランドマークを教えてくれ!

 

ベヌさんは手あたり次第、近くにあるレストランの名前とかホテルを適当に言ってくれた。

 

おお、ここじゃないか??

 

地球の歩き方の正確さに感謝しながら、ベヌさんのいる位置がわかった私たちは、早速、向かうことにしたけど、このクソ重いバックパックを背負って、まあまあな距離を歩かねばならないことにギョッとした。

 

「よし、リキシャ―で行こう!」

 

かじこが言い出した。

 

こういう時の決断は本当に頼りになる。笑

 

 

「へい、リキシャ―!!」

 

さっき、500ルピーとか言って吹っかけてきたリキシャ―のおっさんを捕まえて、

 

「50ルピー、レッツゴー!!!!」

 

と言って、飛び乗った。

 

 

え?マジで?50ルピー??ってバカ言ってんじゃねーよ!と、もごもご言いかけていたおっさんを無視して、

 

3人で声を合わせて、

 

「50ルピー、レッツゴー!!!!!」

 

と言った。

 

おっさんは、ニューカマーなはずの私たちの勢いに押されてビックリしたのかしぶしぶ走り始めた。

 

 

おおー、これがリキシャ―!!初体験じゃー!!!

 

 

メインバザールのちょうどメインストリートを颯爽と走り始めた私たち。

 

快適じゃー!!

 

と、テンション上がっていたけど、

 

ん??

 

だんだん、おっさんのスピードが遅くなってきている。

 

それもそのはずで、

 

このリキシャ―、普通は2人乗り。

 

前側にかじことゆずるが座ってそれぞれのバックパックを抱えて、私はといえば、本来は荷台になる部分に、バックパックを横に置いて、後ろ向きに座っていた。

 

私とかじことゆずるの3人を乗せた上に、15キロぐらいある3人分のバックパックも載せている。

 

もう4人を乗せて走っているのと同じかんじになっている。

 

 

おっさん、がんばれー!!

 

背後からエールを送ってみるけど、おっさんはへとへと。

 

そのうち、スピードが遅い私たちのリキシャ―に物売りが寄ってきて、いろんなものを売ろうとしてしがみついてくる。

 

 

 

やめろよ!おっさんのスピードがもっと遅くなるだろ!!

 

「ノーノ―、ノーニード!!」(そんなん、要らないよ!!)

 

って、追っ払っても、しつこい。

 

 

おっさんもさらに重くなるリキシャ―にイラついて、物売りに寄ってくんな、触るな!と喚き散らしている。

 

カオ―スっ!!!

 

もう、唯一進行方向とは反対向きに座っていた私の足をつかんでくるやつもいる。

 

私は、芥川龍之介大先生の「蜘蛛の糸」のカンダタさながら、

 

触るなー!!

 

散れー!!

 

おっさんが死ぬー!!!

 

っていって、この小さなリキシャ―にしがみついてくる地獄の魑魅魍魎(物売り)を追い払っていた。

 

 

 

そんな格闘の末、ようやく私たちはメインバザールの真ん中にある牛がいっぱいいる広場に到着した。

 

 

「おっさん、ありがとー!!」

 

そう言って50ルピーを渡そうとすると、

 

「ノー! 100ルピー!!」

 

地獄の魑魅魍魎から救ってやったのは俺だぞ!てなかんじで、おっさんが主張してきた。

 

いや、いや、魑魅魍魎と荷台で戦ったのは、私だからね!!

 

絶対、そこは譲らない!!

 

「ノー! 50ルピー!!」

 

断固として無理というかんじで言い返すと、おっさんはあっさり引き下がった。

そして、しょんぼりして帰っていった。

 

 

何だか、ちょっと悪いことをしたな…。

 

4人分運んでくれたしな…。

 

でも、距離にして300mぐらいだしな…。

 

そんな思いが去来しているところに、車に乗ったベヌさんが現れた。

 

「アキー!」

 

「おー、ベヌさーん!!」

 

 

まさかの車での登場に私たちはビックリし過ぎて、さっきのリキシャ―のおっさんとのやり取りをすっかり忘れてしまった。

 

こんな狭いバザールの中をよく車で来たな…。

 

いや、ベヌさんハンセン病回復者でしょ、なんで車持ってんの…?

 

この車で、この混乱の中、どうやって大通りに出るの…?

 

もう、1分前とは全然違う思いが去来していた。

 

 

 

唖然とする私たちにベヌさんは、とにかく乗りなさいと車に乗るように促した。

 

車を運転しているベヌさんの手下みたいな男の人が降りてきて、トランクを開けてくれて手早くバックパックを載せてくれて、私たちは車に乗り込んだ。

 

あいさつもそこそこに、

 

「今日は、私が住んでいるハンセン病コロニーに君たちを連れていくからね」

 

そう、ベヌさんは言って車は走り出した。

 

このクソ狭い道を、そう、車で。

 

 

 

いや、無理だと思いますよー。

 

これ、日本でいう狭い商店街みたいなもんで、日本だったら間違いなく車両通行禁止になってるような道ですから。

 

プップー!!

 

プップーーー!!!!

 

ベヌさんの手下が思いっきりクラクション鳴らしてるけど、通行人がみんな悪態をついているのがわかる。

 

 

おめー、こんな狭い道に人がいっぱいひしめき合っているのに、車なんか通れるわけないだろー!!

 

わー!!車がこすった!最悪―!!

 

 

きっと、そんなことを言っているのだろう。

 

ヒンディー語なんて、全くわからない私たちだけど、もう、ごめんなさいってなった。

 

でも、ベヌさんの手下は、何人かの足を轢いてんじゃないかっていうぐらいの勢いでマリオカート並みにグイグイ進んで、このメインバザールを突破した。

 

 

 

そして、私たちはベヌさんが住むハンセン病コロニーへと、マリオカートでドキドキし過ぎたのか、初めてコロニーに行くドキドキなのか、もうどっちのドキドキかわからない胸の高鳴りを抑えながら向かったのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

JUGEMテーマ:インド

インドの高級住宅街をぶらり旅

今日の宿も決まって、テンションが上がった私たちはお昼ご飯を食べに町に繰り出した。

 

サンジーブから近所にある美味しいお店を聞いて、SILFのスタッフと一緒に到着したのがここ。

 

じゃーーーんっ!!

 

 

 

 

 

高そーだけど、大丈夫???

 

極貧の私たちは、こそこそ話していたけど、SILFのスタッフはお構いなしにお店に入っていった。

 

ってことで、この旅、初めてのインド飯をこのおしゃんてぃーなお店で食べることになった。

 

いや、もう高いお店過ぎて、メニューを見る目も真剣。

 

何を食べようかな〜!(わくわく!)じゃなくて、

 

どれが安いかなぁ…!!(ドキドキ!)の方。

 

 

 

 

 

 

もう、会計が怖過ぎて、全然、味も何を食べたかも覚えてないまま、お店を出ることになった。

 

SILFのスタッフさんがサッと全額払ってくれた。

 

「インドのために何かしようとしてくれる若者に感謝の気持ちを込めて、今日は僕がごちそうします」

 

彼はそう言って白い歯を見せて、二カッと笑った。

 

おーのー。

 

ジーザス!!!!

 

SILFに泊まれることになった時の私たちの、二カッ!との違いたるや。

 

名前も覚えていないけど、爽やかな青年!!!!

 

こんなことなら、もっと味わって食べれば良かったー!!

 

って思っちゃったよね。

 

(↑最低なやつら)

 

 

 

 

 

 

そんな爽やかな青年に感謝して別れて、私たちは今日はもう予定がないので、そのままSILF周辺の高級住宅街をぶらぶらすることになった。

 

前にも言ったけど、インドの街は、高級住宅街の中にも庶民的なお店や屋台があって、所々にバラック小屋らしきものがある。

 

インドはやっぱりアンバランスだなって感じながらも、私たちは高級住宅街にあるいろんなものに心を躍らせた。

 

特に、私が街ぶらしてて思ったのは、インドは本当にカラフルだなってこと。

 

建物もパステルカラーでカラフルだし、

 

売ってる雑貨もとってもカラフル!!

 

こんなかんじ!!!!

 

 

 

 

 

さらにビックリしたのは、ピザとかハンバーガーとか売ってること!!

 

え?インドをナメ過ぎだって??

 

いやいや、私たちのインドのイメージはもう、カレーしかなかったから。笑

 

高級住宅街には、こんなピザやハンバーガーが売っていた。

 

 

 

 

ケーキも売っていた。

けど、インドのケーキは大抵、常温でも大丈夫なクリームで作られていて、見た目も毒々しくてバブリーなかんじ。

 

味は…。

 

想像にお任せします。笑

 

 

 

 

 

スーパーマーケットもあった。

ビックリしたのは、クーラーが効いていること!!!

空港の到着ロビーですらクーラー効いてなかったのに、スーパーマーケットにちゃんとクーラー効いてる〜!!

 

って、もう涼んだよね。

 

ここぞとばかりに。

 

 

 

 

最後に、紹介するのは、おしゃれなカフェ!

カフェあるよーーー!!ってテンション上がって、インド風フラペチーノもどきみたいなやつとインド風ジェラートもどきみたいなのを食べた。

 

もう、インド来て、アイスなんて!!!!

ってことなんですよ!

 

これは、フラペチーノもどきとジェラートもどきにテンションがあがって悪代官ばりの悪い顔のかじこと私。

 

 

 

 

 

御代官様、では手前が味見させていただきます!

 

へっへっへぇ〜、お主も悪よのう〜、わしもいただくぜ!!

 

うへへへ、わっははは〜!!!

 

 

てな、かんじで。

 

 

 

 

 

と、まあ、インド初日はハリーおじさん家、2日目はデリーの高級住宅街と、私たちはインドのきれいな部分しか知らないままに、2日目を終えた。

 

 

SILFに戻って、床に寝袋を敷いて、3人で川の字になって寝た。

 

想像していた過酷なインドはどこにあるのだろうか。

 

もしかしたら、なかったりして…。

 

 

そんなことを思いながら、それぞれ夢の中へと誘われていったのでした。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

JUGEMテーマ:インド

SILFに突撃!!

前回ブログで、ハリーおじさんの家でホットシャワーを浴びて、インドの中流階級の人々の生活を満喫した私たちでしたが、いよいよ、おじさんの家を旅立って、カオスなインドの街に繰り出したのであります…。

 

 

今日は、いきなりハンセン病コロニーとかではなく、事前に笹川記念保健協力財団の方から紹介していただいたSILF(Sasakawa Indian Leprosy Fundation)という団体を訪問する予定となっていた。

 

SILFとは、インドにおける差別を撤廃する取り組みを進めるために日本財団によって2006年に設立された団体で、「ハンセン病コロニーから物乞いをなくす」をスローガンにハンセン病コロニーの人々の経済的自立を促進する活動をしている。

 

まずはSILFを訪問してインドハンセン病コロニーの現状をレクチャーしてもらいなさいという笹川記念保健協力財団の皆様のアドバイスは、無知な私たちにとっては有り難い計らいだった。

 

よし、そんじゃあ、手始めにSILF行っちゃおうか!

 

ってなかんじで、インド初日はSILFを訪問することにした。

 

 

SILFは首都デリーにあって、ハリヤナ州から近かったので、SILFまではハリーおじさんの車で送ってもらえることになった。

 

ま、近いと言っても、50分くらいはかかる道のりで、車中から見る景色は、夜見るよりも一層アンバランスさを増していた。

 

それでも、この時の私たちはインドの本当の意味での「混沌」を知らなかったし、

 

その本当の「混沌」を目の当たりにした時、私たちからだんだん笑顔が消えていくことになるなんて、この時は知る由もなかった。

 

 

 

この写真は、その時の能天気なゆずるくん

 

 

 

そして、50分揺られて、ようやくSILFに到着した私たちは、想像とは違ったかわいいファンシーな建物に、一瞬、フリーズした。

 

え、ほんとにここで合ってんの?

 

え、でも、SILFって書いてあるよ…。

 

私たちは虎ノ門にある日本財団と笹川記念保健協力財団のようなデカいビルを想像していたから、そのかわいらしい住宅っぽい佇まいに少し動揺してしまった。

 

 

 

ね、真っ白でかわいいでしょ?

 

まあ、SILFってことだから入ろう!

 

ってことで、突撃。

 

 

迎え入れてくれたのは、丸っこい顔にクリクリした目がかわいいSILFプログラムマネージャーのサンジーブ氏だった。

 

にこやかな挨拶をしてくれた後、私たちを、SILFエグゼクティブディレクター、つまりSILFのボスのヴィニータ・シェンカーさんのところに通してくれた。

 

ヴィニータさんとは、出国前にメールのやり取りをしていて、私たちがインドに来た経緯を知っていた。

 

ヴィニータさんが一通り、SILFについて説明をしてくれている中、チャイとクッキーが出てきた。

 

 

うぉー!初チャイー!!!

 

しかも、クッキー!

 

お腹空いてたよー!!

 

 

テンションが上がっていることを悟られないように、チャイを飲んだ。

 

 

うまいぃぃぃいいっーーー!!!!!

 

 

チャイに気を取られ過ぎて、途中ヴィニータさんが何を言っているのか聞き取れなくなった。

それぐらいチャイは美味しかった。

 

このチャイという飲み物。

 

インド式に甘く煮出したミルクティーことで、特に、茶葉に香辛料(マサラ)を加えたものをマサラ・チャイという。

 

インド北部でチャイといえば大体このマサラ・チャイのことをいう。

 

そう、マサラ!!!!

 

皆さん、覚えていますか??

私たちが北京空港で鼻の感覚をもってかれた、あのマサラです!!!

 

もうインド人はいろんなところにこのマサラを使うんだよね。

いやいや、使い過ぎだよって。

 

誰かが注意してあげないと、

 

カレーに入れるあいつを、まさか、砂糖たっぷり入ったチャイにぶち込むなんて!

 

てなことになるんですよ。

 

もう、すんごいんですよ、インド人のセンス。

 

(心からリスペクト!)

 

いや、たぶん、私が思うに、

 

ある日、誰かがやっちゃったんだと思う。

 

あっ!!って、マサラをカレーに入れようとして、バサッて。

 

もう、お前なにしてんだよ!チャイ飲めねーじゃん!

ごめん、ごめん!

 

みたいな攻防があった末に、

 

あれ?いい匂いじゃね??

 

ってなことが。

 

 

それが、私が思うマサラ・チャイの起源。

 

(みんな、信じないでねー!!笑)

 

 

とまあ、ヴィニータの話の間に密かにそんな妄想しながらチャイを堪能してたよね。

 

(わたし、一応まじめに聞いてましたよー!!)

 

 

次は、ヴィニータに代わってサンジーブがみっちり講師をしてくれることになった。

 

この、サンジーブ…。

 

クセが強い…!!!!!

 

英語のクセが。笑

 

かじこはオーストラリア留学に1年間行ってきたんでしょうし、ゆずるはマジメに英語を勉強してきたんでしょうけど、私なんて、英単語10個でギブした脳みそ軽めキャラだから、ちょっとクセだされると、びっくりするぐらいもう聞き取れない。

 

それぐらいインド人の英語は独特のなまりがあった。

 

このなまり、一旦聞きなれてしまうとすぐにマスターできるのだけど、大変なのはそのクセがうつることらしい。

 

事実、オーストラリアなまりの英語を話すかじこは、いつしかインドなまりの英語になってしまった、と自分で嘆いていた。

 

まあ、そもそもの基礎ができてない私はクセがうつることはなかったけど。笑

 

 

でも、サンジーブは本当にいい人だった。

めっちゃ早口のクセのある英語で、1時間くらいしゃべり続けた。

 

 

サンジーブ、センキュー!

あたし、今、情報の海に溺れ中!

 

 

サンジーブの話を要約すると、

 

ハンセン病コロニーの人々にとって一番大事なことは、物乞い以外で生計を立てさせること。そして、物乞いをやめさせるには、まず回復者に経済的な自立を促し、自信を持たせなければいけない。彼らの意識を変化させることが第一にやるべきこと。

 

次に変化させるのは周囲の意識。一人でも多くの回復者が社会で活躍するようになれば、周囲の意識も自ずと変わっていく。

 

そのために、SILFは彼らが物乞い以外のビジネスで生計を立てられる道を開くため、家畜(牛やヤギ)や養鶏、タイル工業、サリー販売、電池レンタルや電飾サービスなど、地域の特色を活かした小口融資プロジェクトを展開中しているが、その成果は一進一退で、苦戦している…。それでも、諦めずに少しずつ成果を出していきたい。

 

というようなことだった。

 

実際に、現在のSILF、少しずつ成果が出てきていると、半年前に会ったサンジーブが言っていた。

 

 

コロニーの人々の意識(自尊心がない)を、「被差別意識」という。

 

周囲の意識(彼らを見る目)を、「差別意識」という。

 

 

私たちは、現在、この2つの差別問題を解決するためにインドハンセン病コロニーで活動を行っている。

 

 

サンジーブから受けたレクチャーは、後々の私たちの活動に大きな影響を与えることになるのだけど、

 

特に、私がやっているインド雑貨やさんoaksは、コロニーの人々の経済的自立を目指すもので、SILFの尽力によって手に職をつけて事業を始めても、販路を見い出せないでいる人たちのために、何かしたいという気持ちからスタートした。

 

 

サンジーブからの素晴らしいレクチャーが終わった後、

 

2杯目のチャイが出てきて、

 

今度は私たちの話になった。

 

私たちは、中国のハンセン病快復村でワークキャンプ活動を行っていて、その活動を広げるためにインドに来たのだけど、まずは、今回の渡航でインドのハンセン病コロニーの現状を知りたいのだと伝えた。

 

サンジーブは熱心に聞いてくれた。

 

この後の予定はどうなっているのかと聞かれた。

 

明日は、インド北部の回復者組織の代表であるベヌ・ゴパール氏に会いに行く旨を伝えた。

 

今日はどうするのかと聞かれた。

 

 

「…ここに泊まっていいですか?」

 

「……!!!!!!!」

 

 

今思えば、ハイパー意味不明なお願いだったと思う。

 

もう、なんで、泊めて下さいって言ったのかも覚えていないけど。笑

 

たぶん、極貧だったからでしょうね。

 

ええ。

 

 

「…いいよ!ただ、床で寝ることになるけど!」

 

 

意外な答えが返ってきた。

 

 

「大丈夫です!寝袋持っているので!」

 

 

私たちは、二カッと笑って答えた。

 

(もう、恥ずかしい。穴があったら入りたい。笑)

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

インド中流階級はやっべーぞ!

前回のブログで、無事にデスロードを突破して、ハリーおじさんと合流することができて、おじさんのショッキングピンクの顔面のナゾも解明できた私たちは、インドなんてよゆーだぜ!!ってなかんじで調子に乗って、おじさんの家に向かったのであります…。

 

 

(時間は現在に戻って、南千住の事務所にて…)

 

 

そもそも、ハリーおじさんって何人なの?

昨日、私のブログを眺めながら檜山くん(注:エピローグ参照)に聞かれた。

 

え、日本人に決まってるじゃない。

 

決まってないよ。

 

え!

 

みたいなやり取りを経て、読者にハリーおじさんが日本人だということが伝わっていないことに衝撃を受けた。

 

えっと、改めまして、

 

読者の皆さん、

 

ハリーは日本人ですよーー!!!

 

と。

 

 

 

(インドに戻ります…)

 

 

 

まあ、その当時の私たちも、なんでハリーっていうんだよって、思ったわけですよ。救世主っぽい名前だからすっかり騙されてたけど。

 

(いや…騙してはいない。笑)

 

なので、おじさん家に向かう車の中、めっちゃヒマだったのでハリー本人に直撃してみました。

 

「なんで、ハリーっていう名前なんですか?」

 

「これ、僕のイングリッシュネームです」

 

即答だった。

海外赴任中に付けられたニックネームらしいということがわかった。

 

ハリーおじさんは貿易の仲介をしている会社(たぶん。笑)で働いていて、いろんな国に海外赴任経験がある方なのだとか…。

 

ショッキングピンクを顔面に付けてないと、めちゃくちゃダンディーだということも、次の日にわかった。

 

 

 

そんなハリーの由来の話やなんやかやをしているうちに、車がダンディーハリーの家に到着した。

 

え?なにこの家!!

 

すごいんですけどーーー!!!!

 

景色がね、途中からおかしいなって思ってたんですよ。

 

あれ、ここ本当にインドかなって。

 

それもそのはず、おじさん家はハリヤナという首都デリーの西側に位置する州にあって、ここは経済的に栄えている地域で、富裕層が多く住んでいる。

 

 

ハリーおじさんは、小奇麗なビルがたくさん立ち並ぶ高層マンション群の一室を借りて住んでいた。

 

「おじさん、この高層マンション群には、インドのお金持ちたちがたくさん住んでるんですか?」

 

かじこが質問した。

 

「いや、ここには中流階級の人たちしか住んでないよ。お金持ちはマンションなんかに住まないからね」

 

おじさんがそう答えた。

 

 

えーそうなの?ホントに??

疑問は深まりつつも、私たちは部屋に入った。

 

あり得ないぐらいキレイだった。

そして、部屋数もたくさんあって広かったし、置いてある家具も高級そうだった。

 

ハリーおじさんの家には3人の使用人がいて、一人がおじさん専属ドライバーで、2人がハウスキーパーみたいなことをしていた。

 

はぁぁぁあ…、これで中流階級なのか…。

 

 

インドの経済格差を知った瞬間だった。

 

この後の旅の中で、私たちは嫌というほどインドの経済格差を知っていくわけなんだけど、インドの貧富の分布はきれいなピラミッド型をしているわけではなく、インドの人口の約3分の1が貧困層と言われていて、その上に中流階級、上流階級、超上流階級となっている。

 

日本でいう中流階級と言えば、一番人口が多いスタンダードな層だと思いがちだけど、インドではそうではない。空港からおじさんの家までの道のりでも、実に様々な階級の人々を目の当たりにした。おじさんの家があるハリヤナ州もお金持ちの人たちが住む地域ではあるけど、バラック小屋が立ち並ぶ貧民街も綺麗なビルとビルの隙間に存在していた。

 

 

 

景色がアンバランス。

 

そして、驚くほど、混沌としている。

 

 

 

それが、インドに来て初めて私が思ったことだった。

 

 

 

 

今日は遅いからもう寝て、明日、いろいろ話しましょうね、なんて言って、おじさんは私たちを各部屋に案内してくれた。

 

やったー!!

めっちゃ安眠できそうだ!!

 

テンションの上がっている私たちにハリーおじさんは去り際に、

 

「あ、お風呂も入ってね、ホットシャワー出るからね」

 

と言って出てった。

 

 

………ホットシャワー?

 

……やったぁぁぁぁあ〜!!!!!

 

 

こんなインドにきてホットシャワーが使える想定なんてしてなかったから、もう、3人のテンションはマックスに!!!

 

ホットシャワーごときで大げさな…と思われるかもしれないけれど、私たち海外ワークキャンパーにとったら、ホットシャワーが出ないなんて日常茶飯事で、出ることの方が少ないのだ。

 

ましてや、インドともなれば、冷水でバケツシャワーが当たり前だろうと思っていた。

 

だからもう、恵みのホットシャワーに狂喜乱舞しながら、お風呂に入って就寝したのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

≪ダンディーハリー(右2番目)とハウスキーパー2人と私たち≫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

ウォーリーならぬハリーを探せ!

前回は、デスロードに向かったところで終わりましたが、今回はデスロード突破編〜。

 

 

さて、デスロードの先にハリーおじさんがいるという絶大な安心感の中、デスロードに辿り着いた私たち。

 

汚い古びた階段を降りて、到着ロビーを見て、ギョッとした。

 

ゲートの両側に黒山の人だかり!!!!

 

いや、本当に真っ黒だった!!!!

 

今にも壊れそうな心もとないちゃっちい柵みたいなゲートにのしかかるようにして、手を挙げて、口々になんか叫んでいる。

 

今までのターバンたちがもうかわいく思えるぐらい、凝縮されたマサラとお香の匂いと、人だかりの熱気と、汗の匂いと、クーラーのない外気の暑さが混じり合って、カオスなインドがそこにあった。

 

ああ、ターバンたちはインド人じゃなかったのね。

 

もう、これがインド人なのね。って、振り向いてターバンに謝ったよね。

 

 

 

いや…、本当に、こんなかにハリーおじさんいるの…??

 

いないでしょ。

 

おじさん、黒くないし。

 

たぶん。

 

もう、ウォーリーを探すより大変なんじゃないかってぐらい。

 

 

けど、そんなすぐ諦めるバカ娘のために、ハリーおじさんは事前にこのデスロードの攻略法を考えてくれていた。

 

それは、「亜希」と私の名前を書いた看板を持って、ハリーおじさんがゲートを出てすぐの右手側の黄色いゾーン(地図参照)のどこかに立って待っているから見つけてください、見つからなかったら、電話を掛けなさい、というものだった。

 

これは、ハリーおじさんが作った空港内の地図。

 

 

 

 

いや、ハリーおじさん、

 

なかなかアナログだぜ、その方法。

 

 

こっから見る限り、みんな変な看板持ってるし、みんな黒い。

黄色いゾーンの範囲、広過ぎ。

 

てなわけで、赤いボーダーを着ていないウォーリーならぬハリーを探すのは、かなり困難を極めた。

 

ちなみに、この当時、看板詐欺なるものが流行っていた。

 

それは、このデスロードを突破するため、あらかじめ観光客がホテルを予約してそのホテルに空港からの送迎タクシーを手配してもらうのが割と安パイなやり方になっていたんだけど、ホテルが手配したタクシーの運転手は予約者の名前をプラカードにして空港のゲートで待っているわけ。

 

それで、詐欺集団は、そのプラカードの名前を盗み見て、その場で同じ名前のプラカードを作って、本物のタクシー運転手より手前側で待ち受けて、まんまとカモの観光客をタクシーへと乗せて、自分たちのホテルか、観光会社に連れて行ってしまうというもの。

 

実に巧妙なやり口の詐欺で、多発していた。

 

 

いや、もう、本物のハリーおじさん見たことないし、プラカード詐欺をされたら、

 

ん?

 

黒いけど、ハリーかな?

 

って、なっちゃうかもしれない。

 

 

それぐらいのオツムですよ、わたしは!って開き直ってたら、

 

 

「あきちゃーん!!」

 

 

黒い群衆の中から、突如、声が!!!!

 

 

「あ、ハリーおじさん!!!!」

 

 

なんか、頭にショッキングピンクの色つけた、ダンディーなハリーがこちらに手を振っていた。

 

え?ショッキングピンク?

 

意味が分からないけど、とりあえず、ハリーぽい!

顔、ピンクいけど、黒くないし!

日本語話してるし!

 

デスロードの黒い群衆も恰好のカモっぽい私たちがハリーに駆け寄る姿を見て、舌打ちをしているようだった。

 

 

へへーんっ!!

 

こっちには、ハリーがいるんだぜ!!!

 

ってなかんじで、無事にハリーおじさんと合流できて、私たちはデスロードを脱出し、ハリーおじさんの車に乗り込んだ。

 

 

「あきちゃん、はじめまして。真理子(お兄ちゃんの奥さんの名前)の父です」

 

「あ、おじさん、はじめまして。アキです」

 

なんて、ふつーぽい会話が繰り広げられてたけど、もう、みんな、目はハリーの顔面に釘づけだった。

 

すんげ―、ショッキングピンク。

 

もう、ピンクの顔面が気になり過ぎて、会話が全然頭に入ってこなかったので、

 

「あの〜、おじさん、顔がめっちゃピンクですけど…」

 

おずおずと言ってみた。

 

「ああ、これね、ホーリーっていうインドのお祭りがあって、インド人に付けられたんだよ」

 

おー、ハリーおじさんの変な趣味とかではないらしいことがわかって、一同安堵した。

 

(↑失礼なやつら。笑)

 

 

 

てか、ホーリーって何??って話なんだけど、

 

ホーリーはもともと豊作祈願の祭りで、悪魔祓いのために泥などを投げたのが起源と言われていて、それがどんどん変化して、現在は泥などの代わりに色粉や色粉を水に混ぜて作った色水を掛け合ったりして、春の訪れを祝うお祭りのことらしい。

 

この日、3月1日はちょうどホーリー祭の一番盛り上がる日だった。

 

ホーリー祭の初日は、日没から始まって、ファグアーと呼ばれる歌を歌って、焚き火を燃やし、悪霊を焼き幸福を祈願するのが本当らしい。

 

(今まで、ホーリー何度も経験したけど、初日の夜にファグアー歌ってる人は見たことがない。私が見たことないだけかもしれないけど…笑)

それで、2日目は色粉や色水の掛け合いを行う。今、流行りのカラーフェスティバルみたいなかんじで、祭りが始まると、友人知人はもとより通りがかった見知らぬ人にまで、顔や体に色粉を塗りつけたり色水を掛け合ったりする。

 

色粉を塗りあった後は「ハッピー・ホーリー!!」って言いながら抱き合うんだけど、顔や体だけじゃなくて、服とか耳の穴とか、もう全身、色だらけになって数日間取れないっていう、なかなかファンキーなお祭りなのです。

 

 

実際は、こんなかんじ!!

 

 

 

 

私たちが空港に着いた時には、すでに夜中だったのでホーリーは終わっていて、ハリーおじさんのファンキーな顔面しか拝むことができなかったけど、次の日、よくよく見ると、その辺にいるインド人はみんな何かしらの色を顔につけていた。笑

 

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

拓け!デスロード!!

(↑前回の羽田から北京までのフライト中のかじこと私。笑)

 

 

ターバンのインド人たちに囲まれて、とうとう私たちはデリー空港に降り立った。

 

 

 

この頃のデリー空港といえば、今のナイス&ファンキーな空港ではなくて、魑魅魍魎が渦巻くかなりデンジャラスな空港だった。

 

(今のデリー空港がどれくらいナイス&ファンキーなのかは追々お話します。笑)

 

どれくらいデンジャラスだったかといえば、

 

例えば、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、変な観光会社に連れていかれてありえないぐらい高額なツアーに入るまで監禁される…とか。

 

例えば、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、はっと見たらかばん全部がなくなってる…とか。

 

例えば、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、そのまま路上でレイプされる…とか。

 

 

とにかく、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、騙されたり、身ぐるみ剥がされたり、男女問わずレイプされたりなんていうのが日常茶飯事だった。

 

特に、日本人観光客はカモ中のカモだった。

 

日本人が狙われ易い理由は、

 

NOとはっきり言えない。

お金を持っている。

英語が得意じゃない。

世間知らず。

 

いろいろあるけれど、やっぱり一番は、はっきりと意思表示ができない国民性が大きいらしい。仲良くなったインド人が、「日本人は優し過ぎる。だから、詐欺に遭いやすいし、そういうやつらの恰好のターゲットになり易い」と言っていた。

 

疑わしい事実があってもはっきりと相手に疑念をぶつけることができなかったり、嫌だと思ってもあいまいな断り方をしたりするから、相手に強引に流されてそういう事態に発展してしまうらしい。

 

 

出国前に、インドに行ったことのある私の男友達が、インドに旅立つ私にはなむけの言葉をくれた。

 

「インドは空港が肝心。あの魑魅魍魎がいる地獄の空港を突破できるかどうかがインド旅行が楽しいものになるか、そうでないかの分かれ道だ」

 

いや…全然、はなむけじゃない。

はなむけてないよ。

そりゃ、むしろ、死の宣告だよ、あんた…。

 

ほぅぅぅ…、これは気を付けねば。

ビビりの私は、漏らす勢いでビビった。

 

実際にその友達は、英語もできる割と屈強な男3人でデリー空港に降り立って、もみくちゃにされて、タクシーに乗せられて、2日間監禁された経験をしている。

 

その友達は去り際に、

 

 

「高価な時計、ブランド物の服、間違っても身に着けていかないように。デジカメなんて間違ってもかばんから出さないように。命がいくつあっても足りないよ」

 

そう言って去っていった。

 

 

…脅し過ぎだろーーーー!!!!

 

今ので、だいぶ、漏れただろー!!!!!!

 

もう、デンジャラスどころの騒ぎではない。

デスロードに向かう装備ナシの村人状態の私は、パニックになった。

 

どうやって、デスロードを突破するべきか。

ない脳みそで必死に考えたけど、思いつかなかった。

 

 

良い考えが一つも浮かばないまま、脳みそあんまり詰まってないから、友達の忠告も忘れ始めて、あいまって恐怖感も薄れ始めて、

 

まあ、気合かな!って、得意技で乗り切ろうとし始めた頃、

 

 

突如として、救世主が現れた。

 

 

それが、ハリーおじさんなのです!!!!!

 

 

このハリーおじさん、私のお兄ちゃんの奥さんのお父さんというややこしい間柄の人で、

 

危険なインドに対して無防備すぎるバカ娘のために、うちのお母さんがお兄ちゃんに頼んで、お兄ちゃんが奥さんに頼んで、奥さんが自分のお母さんに頼んで、奥さんのお母さんが頼んで、現れたのがハリーおじさんなのです。

 

 

この大きなかぶ方式で現れたハリーおじさん、

 

なんと、インドに住んでいたのです!!!

 

わぁお!素敵!!!

 

そして、インドのデリー空港に私たちを迎えに来てくれることに!!

 

デスロード突破の道が拓けたーー!!!!

 

歓喜!!!!!!!

 

 

 

てなわけで、デリー空港に降り立った私たちは、インド人ターバンたちに周りを囲まれていてビビりつつも、デスロードの先にハリーおじさんがいるという絶大な安心感の中、堂々と入国審査を済ませて、臆することなく、デスロードへと向かったのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

JUGEMテーマ:インド

インドときどき中国、かすむ程度に私たち

 

ビッグバード難民を経て、無事に中国国際航空に乗り込んだ私たちは、機内食をまだかまだかと待ち侘び過ぎて、ギラギラした目つきで通路から出てくるCAさんを見ていた。

 

眠いけど、難民たるや機内食を逃すまいとする気迫だけで、起きていた。

 

(どんだけ餓えてんだ。笑)

 

やったー!!とうとう来たよ、機内食!!!

 

なんて、バカみたいにはしゃいでCAさんや周りを困惑させて、

お腹が満たされたら寝てしまい、気付けば、乗換えの北京空港に到着していた。

 

 

ここが北京か…

 

…寒い!!!!

 

いや、寒いです!!!

 

空港内の暖房きいてないよー!!!

 

 

灼熱のインドに行くって浮かれてたから、けっこうやせ我慢の薄着で来たから、北京の寒さなんて想像してないわけ。

 

 

しかも、北京空港も驚くほど何もない!!

あるのは、高いレストランばかり。

 

数時間前に難民やってた私たちには手が届かない存在だった。

 

(いや、そもそも3時間半の乗換時間で食べ物を食べようというこの見上げた根性。難民のくせに。笑)

 

体も寒いし、おサイフも寒い私たちは、高級レストランを尻目に、早々に乗換えのためのチェックインをして、搭乗ゲートのベンチで難民らしく丸まって飢えと寒さをしのいでいた。

 

(さっき機内食食べたばかりなのに、もう餓えてる。笑)

 

 

飢えと寒さでうつろうつろ寝ていた時、何やらガヤガヤし始めて、聞きなれぬ言葉が耳に飛び込んできた。

 

目を開けて、はっとした。

 

ターバンを巻いた白装束のインド人たちがいっぱい!!!

 

いや、こんなところからインド人に出くわすなんて聞いてない!!!

 

断じて!!!

 

 

(いや、お前が知らないだけでしょ、とオーディエンスの言葉が聞こえても私は言う)

 

 

でも、あんた、インド人とここで会うなんて想定してませんからー!!!

 

出番早過ぎー!!!

 

残念!!

 

北京空港にターバンは似合わない、斬り!!

 

(いや、途中、波田陽区みたくなっちゃってるから。汗)

 

 

いやー、もう、想定外のインド人たちに遭遇して、ビビりの私は急に、全身の毛穴が開きっ放しで緊張感マックスに。

 

もう、匂いが違うのですよ。匂いが。

 

 

後から知ったのだけど、これが世に聞くマサラとお香の匂いなのだと。

 

マサラは、様々な香辛料を粉状にして混ぜ合わせた物のことで、インド料理には欠かせないスパイスで、インドカレーはこれを元に作られている。

 

日本のカレー粉はメーカーによって味が多少違うけれど、そんな違いが違いと言えないぐらいインドカレーの味は多岐にわたっている。

 

その元が、このマサラ!!!なのです。

 

このマサラについては、今後、このブログの中で折に触れて登場するので、ぜひお見知りおきを!!

 

 

そして、忘れちゃいけないのが、お香。

 

もう、お香なんてね、

 

27年間生きてきて、線香の匂い一辺倒だったわけですよ。

 

純ジャパの大和撫子として生きてきたわけですよ。

 

そんな急にいろんな匂いをかがされても、私の鼻も経験値が不足していて、対応し切れないわけ。

 

でも、あの強力なマサラに打ち勝つ、香しい存在感たるや。

 

私の鼻に道場破りみたく入ってくるわけ。

 

もう、今日は閉まってますからー!!お客さぁーーん!!

 

って。

 

 

もう、線香の匂いだって、おばあちゃん、もう、いいよって、生きてきたのに。

鼻のキャパが限界に達したよね。

 

 

そんな鼻がノックアウトされた私の横で、

 

「あー!お香の良い匂いだね!」

 

珍獣が一言、発した。

 

 

ん?君は、日本人ではないのかね?

あの匂いが良い匂いと感じる能力があるのかね?

 

さすが、犬山のアルペンアイベックス。

(注:かじこは愛知県犬山市出身)

 

この不用意な発言により、その後、かじこはインド雑貨やさんoaksのお香ソムリエなるものに任命されることになるのだが。(後日談。笑)

 

まあ、かくいう私も、インド雑貨やさんoaksでお香を扱い始めた頃は、匂いに強さに耐えられなくてお香を大きなプラスチックケースに密閉して保管していたけど、今や、お香の匂いって癒されていいよね〜って言って、山積みになったお香の箱の隣で寝るレベルになってきていて、檜山くんに変人扱いを受けている。

 

もう、麻薬か、媚薬か、というようなお香の不思議な魅力に憑りつかれ始めている。

 

危ない、危ない。

 

私は、純ジャパ大和撫子。

 

そう自分に言い聞かせながら、日々を送っている。

 

 

(そんな私が憑りつかれたお香を試してみたい方は、下記のインド雑貨やさんoaksのオンラインショップからどうぞ〜!新しいお香も増えました〜!!急に宣伝。笑)

 

 

 

と、まあ、話を戻すと、

 

マサラとお香の香しい匂いに圧倒されながら、私たちは飛行機に乗り込んだのであります。

 

もうね、インド人半分。中国人半分。

日本人は私たちと他数名だけ。

 

中国人、負けてるよー!!

 

中国国際航空なのに、インド航空みたくなっちゃってるよー!!

 

中国人、がんばれー!!

 

って、密かにエールを送るぐらい、インド感満載。

 

もうね、極め付けが、出てくる機内食が、

 

「カレーorチャイニーズ」なわけ。

 

あ、そういうこと。

食材の選択じゃないのね。国を選択するのね。

 

迷わず、中国を推していきますよ!私は!って、チャイニーズ選んだの。

 

もう、負けそうだったから、中国が。

 

 

そしたら、後ろの方の席だったかじことゆずるは、チャイニーズなくなっちゃって。

インドカレーをポンって渡されたらしいの。

 

デリー空港着いてから、

 

「機内食って、インドに向かう飛行機は全部カレーなんだね」って無邪気に話す2人に、心の中でごめんってなった。

 

 

いや、チャイニーズ美味しかったよ、なんて口が裂けても言えませんからー!!

 

残念!!

 

(↑使い方、間違えてる。笑)

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがハマる媚薬的インドのお香はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

JUGEMテーマ:インド

ビッグバード難民

 

2010年3月1日、羽田空港からの旅立ち。

 

この年、国は今までの内外を羽田空港と成田空港に分けるという方針を改定し、羽田空港から国際線の便が発着できるようになった。

 

真新しいがまだいろんなものが整っていない初々しいビッグバードの国際線搭乗口で、チェックインを終えたかじこ、ゆずる、私はまだ見ぬインドを夢見て、そわそわしていた。

 

インド人どんなかなー。

 

やっぱインド暑いのかなー。

 

インドカレー食べたいなー。

 

小学生並みの想像力でインドを夢想する3人は、ものすごくバカ丸出しだった。

 

 

30分…、

 

45分…、

 

1時間…。

 

 

って、あれ???

 

飛行機遅くない???

 

すんげ―待ってるんですけどーー!!!!

 

いやいや、もうね飛び立つ時間を1時間超えちゃってるからね。

 

なんと、遅延!!!!

 

理由はわからないが、遅延!!!

 

中国国際航空め!!何やってんだ!!いや、それとも羽田の管制塔の不手際か??

 

 

もう、小学生並みの想像力しかないから、羽田の管制塔にまで怒りを覚えてヤキモキし始めた私たち。

 

 

いや、落ち着こう。

 

 

かじこが言い出した。

 

 

「Take it easyだよ、お茶でも飲んでゆっくりしよう」

 

 

お前は、有閑マダムか。

CMに入る前の一休さんにイラッとするのと似た感情をかじこに抱きつつ、私たちはお茶か食事ができる場所を探し始めた。14時50分、朝ごはんもろくに食べてなく、機内食を当てにしていた私たちは、空腹を感じ始めていた。

 

…しかし、

 

歩けど、歩けど、何もない!!!

 

てか、歩くと、すぐ壁。

てか、歩かなくても一望して、壁。

 

狭いし、何もない!!!

 

本当に、ここ国際線なんですかー??

何もないですよー!!

 

 

あるのは、クソ高そうなコーヒースタンドのみ。

 

 

「私、値段見てくる」

 

 

かじこが意気揚々と走っていった。

 

すぐさま、うな垂れて帰ってきた。

 

 

 

 

もう、3人は黙った。

 

無情にも貧困学生である私たちは、初々しい羽田空港国際線にはびっくりするほど何もないという事実を突きつけられて、ビッグバード難民と化した。

 

 

そして、搭乗口のベンチに静かに腰かけて、夢想した。

まだ見ぬインドを。

 

 

もう、インド人とか暑さとか、そんなのはどうでもよくて、

 

 

浮かぶのは、カレー。

 

見渡す限り、カレー。

 

 

インドに行ったことすらないのに、私たちの脳内でカレーがインドの原風景みたいになってきた頃、ようやくビッグバードに中国国際空港CA182便が姿を現したのだった。

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

3人の決意表明を世間に晒すの巻

 

さてさて、お楽しみのだいごとゆずるの決意表明をさらっと紹介して、ディスって、インドに行っちゃいましょう〜。

 

ということで、まず、だいごから。

 

 

 

【だいご決意表明】

 

大江満雄は言いました。

「らいはアジアをつなぐ」と。

 

原田燎太郎は言いました。

「World as one family by workcamp」 と。

 

世界をつなぐ。

 

そんなバカなことを、本気でやりたい。

 

インド行ってきます!

               

             荒井 大吾

 

 

 

わー、本当に懐かしい。

この頃、アジアだけじゃなく、ハンセン病とワークキャンプで世界をつなぎたいねって、本当にだいごとよく語ってた。

 

私は、今でも信じてるけどね。

 

ハンセン病とワークキャンプで世界はつながるって。

いや、つなげなきゃいけないんだって。

 

 

活動を続けていると、時々わからなくなる時がある。

この活動に本当に意味があるだろうか。

そんなときはいつだって、とてつもない虚無感と孤独に襲われる。

 

誰でもいいから人がたくさんいる世界に溶け込みたくなって、家を飛び出して、見知らぬ人々が行き交う街中で、そのどうでもいい景色に溶け込めてほっとする。

 

何度そんなことを繰り返しても、結局は孤独な家に戻っていくのだけど。

 

 

だいごの決意表明は、孤独な家に戻るときの道標だったなと…。

そんなことを想ったのでありまする…。

 

くそ―、ディスるつもりがしんみりしちゃったしー!

気を取り直して、ゆずるの決意表明―!!

 

 

 

【ゆずる決意表明】

 

俺は今飢えている。

一回目のキャンプが終わってから…

「俺はこの活動で何がしたいんだろう?」

…なんて考えることが多くなった。

 

正直言って、この活動で自分が何を目指しているのか、今はまだ自分でもわからない

 

グアンジュキャンプはこの春で終わることになったし

ワークキャンプって何なんだろう…

ハンセン病問題って何なんだろう……

つまるところ、俺の頭の中は疑問だらけなわけであり…。

そんな中、俺にIndiaの話が舞い込んできた。

初めてIndiaの話を聞いたとき、

「めっちゃ行きてぇ」

 

他の気持ちとか、全くと言っていいほどなく、

単純にこの気持ちが俺の身体に満ち溢れた。

色んなことを見て、聞いて、知って、感じたい。

俺は今、最高に飢えてるんだ。

 

廣瀬 譲

 

 

 

お前は獣か!と突っ込みたくなる最後の一言は置いといて、

いやー、ゆずる、バカだねー!!

 

愛すべきバカだねー!!

 

いや、でも決意表明はちょっとふざけてるけど、本当はマジメなやつで、ワークキャンプって何だろうか、俺たちの活動の先には何があるのかって、いつもゆずるは考えてたな。

 

そんなゆずるに、インド行こうよ!って声を掛けたわけなんだけど、

自分が感じた何かのために、とにかく全力で行動したいっていう熱いやつだった。

 

(死んだみたいになってるけど…生きてるからねー!)

 

 

ああ、こんな3人と一緒に初めてのインド渡航をしたんだなと、

 

私はこんな素敵な仲間がいて幸せ者だったなと、

 

自分の決意表明よりも、3人の決意表明にじーんときてしまったのであります。

 

(すんごいディスる予定だったのに…。笑)

 

 

改めて、

 

かじこ、だいご、ゆずる、

 

私と一緒にインドに行ってくれてありがとう。

 

心から。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

3人の決意表明を世間に晒すの巻

 

 

お前は何言ってんだ、みたいな決意表明をさもありなんとばかりに恥ずかし気もなく言ってのけた後、私たちはとうとうインドへと旅立つことになった。

 

いや、あれ、

 

私だけが頭おかしいかんじになってるけど、あとの3人の決意表明もまあまあおかしいからね。

 

え?紹介してほしいって??

 

じゃあ、勝手に順番に紹介するけど、ナイショだからね!

そこんとこ、よろしく!

 

 

まずは、かじこ。

 

 

 

【かじこ決意表明】

 

 

私がウーニードン村(中国ハンセン病快復村)で学んだこと、自分の中での変化、そして私やキャンパーがウーニードン村でできたこと、その成果。それは見えにくいことばかりかもしれない。

 

でも、それでも私を含めたキャンパーの中に、村人の中に、何かしらの変化を感じている人たちがいる。

 

それでいいじゃない。

 

ちっぽけでも、私達の活動に意味があることを信じて、その変化をもっと起こしていきたい。

 

それが、私のインドに対する原動力であり、私がこの活動を通して得た自分なりの答えなんだと思う。

 

梶田 恵理子

 

 

 

うーん、やっぱり、かじこと私ってバカなんだなって。苦笑

 

この頃、よく仙人先生に言われていたのが、『体験の言語化』をしなさいってことなんだけど、私とかじこの決意表明は他者が読んだときに、ものすごく語っているけど、ふわっとしてて、結局、何が言いたいのかわからないし、結局、何も考えてないようにも見える。

 

いやね、すごく考えていましたよ。

 

そもそも、自分の体験ってすごく複雑で、1本の糸がたくさんの繊維からできているように、これが原因でこうなりました、なんて単純な構造でできてないんですよ。

 

(仙人先生への密かな反抗。笑)

 

かじこも私も、中国のハンセン病快復村でのワークキャンプを通して、

 

泣いて、怒って、笑って、

 

確かに、そこで多くのことを感じ取って、直接的なインドでの活動の原動力はそこで培われたわけなんだけど、自分たちの幼少期から現在に至るまでのいろんな背景があって、その背景がなかったら、絶対にこんなぶっ飛んだ道を選んでないわけで…。

 

 

かじこも私に話していない何かがあるだろうし、

 

私もかじこに話していない何かがある。

 

 

話は変わるけど、1本の糸が作られる様を見たことありますか?

(急に語りかけ??笑)

 

それはそれは、美しかった。そして、複雑だった。

私たち人間に似ていると感じた。

 

けど、人間はこんなにきれいに、自分という糸を紡げないんだろうなと。

 

中島みゆきの歌に「糸」という曲があるんだけど、

私という糸とあなたという糸が出会って布を織り成すんだよ〜みたいな素敵なことをみゆき先生が歌ってくれちゃってんだけど、私という糸とあなたという糸が出会って布を織り成す前に、まずは自分という糸があって、それを紡いで自分をつくっていかなきゃいけない。

 

自分と他者で布を織り成すのが、社会だとしたら、

自分で糸を紡ぐのは、人生かもしれない。

 

 

トヨタの産業技術記念館で、私は綿が糸になるまでの過程を見た。

 

糸になる前の綿はふわふわで手で触ると簡単にちぎれる。

この綿が糸になるんです、と記念館のお姉さんが説明してくれたけど、こんな触るとすぐ壊れる頼りない存在があの頑丈な糸を生み出すのかと思うと全く信じられなかった。

 

糸車の回転とともに綿が糸になっていく様は、まるで魔法のようだった。

紡ぎ手の手から繰り出される綿は、ふわふわなおぼろげな塊であるのに。

そこから延びる綿は、徐々に糸らしさを増して糸車の先にある棒に巻かれていく。

 

撚られていく綿は、綿と糸の境にいた。

 

糸を1本なんていう単位で呼べないぐらいの神秘があった。

 

 

 

話を戻すと、私たちがなぜこの活動をするのかを、かじこも私もいまだに上手く言語化できないでいる。

 

それは活動に芯(信念のようなもの)がないからだと言う人もいるかもしれないけれど、そうじゃない。

 

かじこも私も、糸がつくられていくように、いろんなものが複雑に互いに撚りあって今の私たちがある。

 

その撚られたたくさんの繊維片を一つ一つ解きほぐす作業はできても、その糸の名前はつけかねている。そんな状況なのだ。

 

古くからの知り合いに、かじこの話も、アキの話も、3時間くらい聞かないと2人が何を伝えたいのかわからないよと言われたことがある。

 

 

端的に表す私たちのストーリー(=糸の名前)が欲しいという気持ちはある。

 

けれど、そんなストーリーで語れない感情(=綿の繊維片)がある。

 

 

そう考えると、かじこも私も糸がまだ完成していないのかもしれない。

人生半ばで、自分の糸を語れる人なんているのだろうか。

 

 

でも、このブログは、私の糸の繊維片を解きほぐす良い作業になって、いつかこのブログが終盤を迎える頃には、私の糸も素敵な名前を持つことができているのかもしれない。

 

 

と、まあ、かじこの決意表明を久しぶりに見たら、そんな想いが込み上げてきたのでした。

 

 

 

 

 

あ、だいごとゆずるの決意表明を紹介するの忘れちゃった。笑

次のブログで〜。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

いざ、インドへ!

 

 

「そうだ、インド、行こう!」

 

 

そんな京都に行くようなノリでインド行きを決めた3人だったけど、計画通りになかなか進まず、発案から半年の月日を経て、

 

2010年、とうとう私たちはインドに飛び立つことになった。

 

当時、かじこの家に入り浸っていたゆずるくんという新たな仲間を加えて、4人での旅立ちだった。(ゆずるとの出会いは割愛。笑)

 

まず、先陣組がかじことゆずる、2月下旬から3月中旬までの渡航、

続いて、後陣組がだいご、3月中旬から3月下旬までの渡航、

最後に、リーダーとして、私が2月下旬から3月下旬まで全期間を渡航することになった。

 

 

年明けて間もなく、インド行きのチケットを手に入れた私たちは妙に興奮していた。興奮し過ぎて、今見ると超絶ダサい旅のしおりなんかも作ったりしていた。

 

チケットを取ってからは、仙人先生に相談しまくって笹川記念保健協力財団の方々を紹介していただいたり、今度は笹川記念保健協力財団の方々に現地のカウンターパートナーを紹介していただいて連絡を取り合ったり、インドの『地球の歩き方』(ガイドブック)を読み漁ったり、ワクワクドキドキしながら数か月の準備期間を過ごした。

 

(あー、早くインド行きたいねー!!)

 

ここで、私が書いたこっぱずかしいインドに行く決意表明文を紹介したいと思う。

 

(いや、なんでよ、インド早よ行けよ!)

 

(いや、そもそも決意表明文って何よ?)

 

いやいや、わかるよ。そりゃ。

意味不明だもんね。

私も何でそんなん書いたのかなって。

 

このブログ書くためにインド渡航の記録を見返していたら出てきてさ、

わー!わー!死にたい!ってなりましたよ。

 

でも、勇気を出して公開しよう!と。

みんなも勇気を出して読んでください。

 

 

 

 

 

【決意表明】

なぜ、今インドなのか。

 

インドという国に行く理由は様々ある。

インドが好きだから。

インドがハンセン病の未制圧国であるから。

インドがアジアをつなぐ架け橋であるから。

すべてが頷ける。

 

しかし、私にはどれもおこがまし過ぎてしっくりこない

だから私はシンプルに考えることにした。

 

「そこに、インドハンセン病問題があったから」

 

なぜ山を登るのか。

アルピニストは答える

 

「そこに、山があったから」

 

 

 

 

 

 

(なんじゃそりゃー!!)

 

(誰か、恥ずかしさで死にそうな私のために穴を用意してくださいー!!)

 

 

はい、ということで、インド行きますよ、と。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

はじまりのとき Vol.4

 

いやー、とうとうインドの入り口にたどり着けましたね。

(まだ、インド行ってないけどね)

 

今日こそは行きたいですね、憧れのインドに。

(相変わらず、趣旨が間違ってるけどね)

 

 

さてさて、前回、ようやく『インド』の三文字が出てきたわけなんですが。

 

 

おさらいすると、かじことだいごと私、夜な夜な語り合っていたわけです。

ハンセン病のこと、ワークキャンプのこと、中国のこと、時々、恋愛のことetc…。

 

私たちの中でよく議論になったのは、今のチャオの活動の中で自分にとって何が一番大切なのかっていうこと。

 

チャオの活動は、中国のハンセン病問題をワークキャンプで支援するというものだけど、じゃあ、自分たちは何のためにその活動をやっているかっていう根本的なところに立ち返ってみると、見えてくる柱は3本だよね、と。

 

(仙人先生の受け売りなんだけど。笑)

 

1.ハンセン病

2.ワークキャンプ

3.中国

 

どの軸で活動しててもいいけど、一番自分が大事にしたい軸は何かってすごく大事なことだよねって、この議論が始まると、私たちはなかなか眠れなかった。

 

 

私は、ハンセン病だった。

 

かじこは、ワークキャンプだった。

 

だいごは、迷った末に、ハンセン病だって答えた。

 

 

ああ、じゃあ私たちは国にこだわってないんだね、って。

そんなことを話してお互いの活動への想いを再確認し合ってた。

 

 

私は、何でこんなにハンセン病問題にこだわってるんだろう。

なんで仙人先生の言葉にあんなに心を鷲掴みにされたんだろう。

 

 

この自問は、この活動を続ける中で何度も私を悩ませてきたし、今でも悩むときがある。

 

 

でも、何かに突き動かされるように、

私だけがやるんじゃなくて、みんなでやらなきゃ、

そのために世の中に伝え続けなきゃって。

 

ハンセン病問題と出会った25歳の私はそう本気で思って、

その気持ちは今も1ミリも変わってないのだけは確か。

 

一つだけ言えるのは、私も無自覚に差別する人間だってこと。

それが悲しかったし、自分自身の深奥にある何かが変えられないなら、こんなに無自覚に人を差別してきた歴史を決して忘れちゃいけないって、そう強く思った。

 

 

 

 

ある夜、私たちの議題に上がったのは、

世界で最もハンセン病問題が深刻なインドについて。

 

インドはいまだにハンセン病の新規患者数が世界で最も多く、

その数は、12万人(2010年WHO調査)で、世界の新規患者数の約半分に相当している。

 

日本のハンセン病問題も、中国のハンセン病問題もそれぞれ歩んできた道のりが違っていて、どちらも人間の残酷な歴史や現実があって、私たちに大きな衝撃を与えたけど、

 

インド…。

 

一体どんなハンセン病の歴史があって、今があるのだろう。

 

 

真っ暗な部屋の中、仰向けになって語る私たち三人の脳裏には、まだ見ぬインドの風景が広がっていた。

 

 

「行ってみたいね」

 

だいごが言った。

 

 

 

「うん、行ってみたい」

 

私とかじこが言った。

 

 

暗闇の中だけど、みんなの心が一つになった瞬間だった。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

はじまりのとき Vol.3

 

いやー、なかなかインドにたどり着けない今日この頃です。

『インド辛酸珍道中』ってタイトルなのに。

 

今日こそは行きたいですね、憧れのインドに。

(もう、趣旨変わっちゃってる)

 

 

さてさて、インドはさておき、私が仙人の摩訶不思議なパワーによってハンセン病問題にのめり込んだことは前回ブログで書いたけど、

 

私はその後、チャオという中国のハンセン病快復村でワークキャンプ活動をしている団体に入って、時を同じくしてその団体に入った1年生のピカピカ19歳のかじこに出会ったわけなんだけど…、

 

あれは、忘れもしない参宮橋の駅。

私はまだ見ぬ珍獣、かじこを待っていた。

 

かじこは、はあはあ言いながら改札を出てきた。

おー、これがかじこか。

 

初対面だからあいさつでも…と思いかけた時、

 

 

何を思ったのか、かじこは開口一番、

 

「あたし、歯ブラシ忘れた!」と言って私を見つめた。

 

いやいや、知らんがなと。

 

いやいや、初対面だぞ、

まずは、「こんにちは、私、歯ブラシ忘れました」でしょ。

 

いやいや、「こんにちは、初めまして、かじこです。私、今日、歯ブラシ忘れました」かな。

 

いや、そもそも初対面で歯ブラシ忘れたっておかしくね?

 

 

そんなことが脳裏によぎって、

 

 

わたし「そこのコンビニで買ってきたら?」

かじこ「そうですね!行ってきます!」

 

 

って、走ってコンビニ行っちゃって、おいおい、よしもと新喜劇かよ、ってぐらいパンチのある出会いだなって。

 

こんな珍獣が世の中に存在するなんて!って、ダーウィンの進化論を疑ったよね。

 

そこから、私の心の中の珍獣観察日記が始まった。

けど、観察すればするほど、この愛すべき珍獣の魅力に困惑と心酔を繰り返していって、自分でもよくわからなくなっていった。

 

愛知の山奥で育った生粋の日本人のくせに日本語があんまりうまくしゃべれなくて、なのに英語はしゃべれたりして、アルプスアイベックスみたく、お前そんな体形してそんなとこ登っちゃうのかよ!?的な意外な芸当や能力を発揮するかじこにどんどんハマっていって、

 

 

たった数ヶ月足らずで、かじこの家に入り浸るようになってしまった。

 

(怖いっっ!!かじこの能力!!)

 

 

かじこの家にはいろんなやつがいっぱいやってきた。

 

その中で私と同じくらいの頻度で入り浸ってたやつがいて、かじこフリーク度を競い合うライバル関係になった。

 

(全然うらやましくないライバル関係だな…。笑)

 

そいつの名前は、だいご。

 

だいごは、チャオに私を引き入れた張本人みたいなやつで、仙人の授業で出会った。ハンセン病問題のことを熱心に語る当時のだいごはなかなか男前だったと思う。(今は、聞かないであげてください。笑)

 

 

かじことだいごと私、

 

平松愛理の曲のタイトルほどおしゃれじゃないけど、毎夜、くだらない話を繰り広げては夢を語っていた気がする。

 

チャオは、中国のハンセン病快復村でワークキャンプ活動をしていたから、必然的に、『ハンセン病』、『ワークキャンプ』、『中国』、って、話す内容もそんなキーワードばかりで、熱く激論を交わした日もあったし、ワークキャンプで生まれた恋愛の話なんかもしてた。

 

そんな日々を過ごすうちに、

 

ある夜、

 

インドの話が出たんだよね。

 

(おー!!!やっと、インドだねー!!)

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

はじまりのとき Vol.2

 

早稲田大学に奇跡の合格を果たしたことなんて実はどうでもいいのに、前回ブログは『早稲田大学合格までのキセキ〜テリーマンと私の歩み〜』みたくなっちゃって。

 

あ、キセキに、奇跡と軌跡かかってるから、そこんとこ覚えといて。

 

ちょっと反省したので、インドまで足早にいきたいと思います。

(まだ、インド始まってないからね!)

 

あんなこんなで、大学に無事に合格した私だけど、25歳で大学なんてゆーものに再び入ることなんて、私の人生プランに元々なかったわけで、てか、人生プランなんてお前あったのか?とテリーマン並みの突っ込みが飛んできそうだけど、私にもそれなりにあったわけですよ!

 

…たぶんね。

 

だから、NYぐらいには行ってたかもしれないけど、インドに行くなんて考えもなかったし、嫁にぐらいは行ってたかもしれないけど、今、こんな不安定な職に就いて、ヒーヒー!言ってることも想定してないわけですよ。

(まあ、結果、NYにも、嫁にも、いまだに行けてないんですけどね。)

 

で、まあ、25歳の私は、リア充の若者たちが闊歩するキャンパスに怯えながら通い始めたのだけど。

 

初めの頃は1人ぽっちだったり、高校からの親友にそのことを話したら、「また、大学辞めちゃうね、全然成長がないね」とまあまあガチな説教をくらったり、大学つまんねーなと思い始めたり、現実逃避するために山川方夫全集なんて読み耽って余計変な思考になってみたり、いやいや良くないと思って新歓で盛り上がるキャンパスを当てもなくうろついてみたりして、

 

そんなこんな、あーだこーだ、むにゃむにゃあって、1ヵ月くらい経って出会ったのが同じ学部の檜山くんで、半年経って出会ったのが、同じサークルに所属していたかじこだった。

 

(…雑!!!いやいや、説明してるとね、インド行けないからね!)

 

かじこと出会うきっかけになった『ハンセン病問題支援NGO橋−Qiao−(チャオ)』(以下、チャオと省略)という団体が、なかなかの勢いで私のあってないような人生設計をはちゃめちゃに壊していく存在になるわけなんだけど…。

 

(これ、話すと長いんだよね〜。端折っていいかな?笑)

 

まあ、チャオに出会う前に、一人の変な先生に出会ったわけなんです。

だいぶ変な人だったね。

 

講義名が『人権と市民活動・ボランティア』っていうのに、最初から最後までハンセン病のことしか勉強しない授業でね、もう、意味わかんないよね。

 

その仙人みたいな先生は、お酒飲んでは「どーんとやろうぜ!」しか言わないヤバイ人だったんだけど、ある日、その仙人が言ったんです。

 

 

 

世界的なハンセン病の制圧はもう終焉を迎えようとしている。”

 

“けれど、それが「人類悲願の達成」となるか、「人類共通の負の遺産に対する忘却の始まり」となるか、それはあなたたち次第だ。”

 

 

 

いや、もうね、心を素手で鷲掴みされましたよ。

え?私らにかかってんの?そんな重い内容が?

いや、忘れちゃうでしょ。

私、脳みそ1GBしかないし。

 

いやー、これは1GBの脳みそが忘れないぐらい体に刻み込むしかないな。

 

そう思って、それから、ハンセン病問題の世界にのめり込んでいったわけなんです。

 

 

 

(え?かじこは?チャオはどこいったって?)

 

まあまあ、一休さんも言ってたよ。

 

慌てない、慌てないって。

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

はじまりのとき Vol.1

 

あれは何年前だったかな。

 

そもそも、私は23歳で当時通っていた美大を親に無断で中退して、25歳で早稲田大学に入学したんだけど。

 

美大を中退してからの私といえば、家を引き払って、他人の家を転々とするフーテンの寅さん状態だったから、もちろん定職にも就かず、携帯も持たず、フリーターして何とか生き延びてて、どうしようもないの極みだったわけなんです。極めきっていたよね、あの頃は。

 

ある日、ぼーっと他人の家で鼻くそほじりながらテレビを見ていたら、ある山中で遺体が見つかったっていうニュースが流れてて、その遺体は「住所不定無職20代女性と思われる…」って。

 

ん?

 

これ、私じゃない?ってなったよね。いや、死んでないけど!

もう、「住所不定無職」の響きの怖さに愕然としたよね。

もう、「20代女性と思われる」の響きの頼りなさに愕然としたよね。

 

あー、私このまま死んだら、無縁仏だよ。

家族や数少ない友人たちが知らないまま、この東京砂漠で朽ち果てていくんだよ。

 

そう思ったら猛烈にヤバイという衝動に駆られて、何かしよう!何すんだ?みたいなアホな自問自答を繰り返して、

 

途中、北海道行ったり、好きな男と涙の別れをしたり、腸炎で入院したり、親が上京してきて、無断で大学を辞めたことをこっぴどく怒られたりして、そんなこんな、あーだ、こーだを経て、

 

そうだ、大学に行こう!と安易な考えに至ったのです。

 

(どちらかといえば、もう、親の圧がすごかったよね)

 

 

そして、名古屋の実家に強制送還された9月初旬、出願に必要な書類を取りに母校の高校を訪れることになったんだけど、その時にうっかり私の高校2年生のときの担任に出くわしたのよ。もう、凡ミス。

 

その担任、ラガーマンだから背も高くて筋肉とかすごくて、外人みたいな顔だちだから、もうテリーマンにしか見えないんだけど、

 

そのテリーマンに、「お前どこの大学受けるつもりなんだ」と聞かれて、おずおず、「いや、早稲田大学とか受けちゃおうかな、なんて!」と答えたら、

 

「お前、早稲田大学の偏差値知ってるのか」と私の持ってる書類をあごで指した。テリーマンだから、あご動かすだけでそりゃすごい威圧感で。

 

テリーマンに怯えながら「はぁ」なんて気の抜けた返事をして、手元を見たら、この書類、当たり前なんだけど私の高校のときの成績表で、まあ、見事に2が並んでいたよね。

(1を取ると卒業できないシステムだったから、2が一番下の成績)

 

テリーマンはその後も早稲田大学の傾向だの何だのと、いろいろと親身になって相談に乗ってくれたけど、高校3年間ずっと授業中寝続けた私にはちんぷんかんぷんで、全然頭に入らず、結局、「あはは、気合で頑張ります!」なんて言いながら、テリーマンと別れた。

 

まあ、その後、テリーマンからいろいろ受けたアドバイスなどすっかり忘れて、英単語を覚えるのも10個ぐらいでギブして、もちろん、1年目受からなくて、英単語10個をキープしたまま、2年目のチャレンジで合格した。

 

1年半越しにテリーマンに会いに母校に行ったら、テリーマン転勤してていなくて、仕方なしにテリーマンに電話した。

 

「奇跡の合格だな」

 

 

めっちゃ失礼なことを開口一番に言った。

 

けど、テリーマンはめちゃくちゃ喜んでくれた。

テリーマンの説教くさいかんじは今に始まったことではないが、私はそんな人情味に溢れるテリーマンが高校のときから好きだったんだなぁと思いだしたりして、ちょっとほろりとした。

 

まあ、そんなこんなで、私は2008年から早稲田大学に通うことになったのであります。

 

 

あれ? これ、いつインドに飛び立つくだりがくんの?

 

まあ、いいか!

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

JUGEMテーマ:インド

エピローグ

はじめましての方も、そうでない方も、

 

で、あんた何者なわけよ、と

 

そんな声が聞こえてきそうなので、一応、自己紹介しておきますね。

 

 

私(=インド雑貨やさんoaks店長アキ)から。

 

 

◆私のスペック

・名称   アキ

・年齢   満34

・性別   オンナ♀

・属性   NPO法人わぴねす副代表理事

・容量   1GB(=すぐ忘れます)

・駆動時間 3時間(=すぐお腹減ります)

・付属品  なし(=独身・彼氏ナシ)

 

 

 

ついでにこのブログに頻出するはずの私の相方2人を紹介しちゃおうかな!

 

 

 

まずは、エピローグに登場した檜山くん(=私の監視者)から。

 

 

◆檜山くんのスペック

・名称   檜山(ひやま)くん

・年齢   満28

・性別   オトコ♂

・属性   NPO法人わぴねす理事

・容量   64GB(=けっこうこなすヤツ)

・駆動時間 6時間(=実際は、知らない)

・付属品  なし(=独身・彼女ナシ)

 

 

続きまして、かじこ(=珍獣)。

 

 

◆かじこのスペック

・名称   かじこ(時々、かじちゃん)

・年齢   満28

・性別   オンナ♀

・属性   NPO法人わぴねす代表理事

・容量   0〜64GB(=記憶力はハト並み)

・駆動時間 0〜6時間(=味噌汁が原動力)

・付属品  なし(=独身・彼氏ナシ)

 

 

まあ、こんなアキとゆかいな仲間たちでやっているのがインド雑貨やさんoaksなんですよ、と。

 

しかし、全員、付属品ナシってなぁ。ある意味スゴイ。笑

 

このブログは、そんな私たちが織り成す、めくるめくインド珍道中と閉塞感に満ちた事務所生活の2本立てでお送りしていきたいと思います〜。

 

はじまり、はじまり〜。

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

エピローグ

 

 


 

 

ちまたで流行っているブログといふものを私もしてみむとて、する…。

 

なんて紀貫之を思い出して書いてみたけど、

 

…ネタがない!!

 

 

インド雑貨やさんoaksの独自のブログを作って、うちのサイトを世に知らしめたいという大いなる野望を持って、机に向かったのですよ。

 

けどね、最近の私ときたら、東京の事務所で缶詰め状態。

事務所に寝泊まりしてるから、行動範囲は8畳の部屋の中だけ。

会うのは、うちの職員の檜山くん(男性♂・28歳)だけ。

 

狭い事務所に、檜山くんと私だけ。

 

さぞや二人っきりの男女の濃厚な時間をお過ごしかといえば、ラブの気配もなく、檜山くんは仕事がのろい私をパソコン越しに監視している。

 

 

誰か、助けて下さい!!

(東京の中心で、愛をさけぶ!!…南千住だから中心じゃないけど!)

 

 

檜山くんには、恐らく24時間体制で監視が必要なサルと認識されているのだろう。

 

いやいや、檜山くん、

 

私はね、サボっているわけではないのだよ。

 

ブログを毎日書くというミッションを遂行するために、大衆の前で極めて恥ずかしいプライベートを垂れ流さねばならないということに躊躇しているだけなのですよ。

 

実際、干物女を通り越して、化石女となりつつある私に大衆を歓喜させるだけのネタなどあるわけもなく、頭を抱えて数十分…。

 

(え?もっと考えろって?無理!)

 

そうだ、私の現在の枯れた東京生活よりも過去のインド渡航をまとめた辛酸日記をブログにしちゃえばいいじゃない!

 

 

ということで、ブログ始めるよー!!

(雑!!!笑)

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

 

≪インド雑貨やさんoaksのインスタグラムはこちら↓↓≫

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

 

| 1/1PAGES |