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アクロバティック悪路

前回ブログで、夜中に下痢のビッグウェーブと戦ったかじことセコンドとして見守った私…。

 

結局、昨日の夜は3ラウンドを経て、かじこのビッグウェーブは終息した。

 

その度に、数十メートルを歩いてトイレまで行って、あのじゃらじゃらついたカギでトイレのドアを開けていた。

 

あのタイムラグは重症の下痢患者にとっては、生死を分ける一歩手前だったと思う。

 

 

漏らすか。

 

漏らさないか。

 

 

漏らすほどの下痢を経験したことのない皆さんにはきっとわからないと思う。

 

漏らすほどの下痢って言ってますけど、それに遭遇した人はきっとどんな形であれちょい漏らしはしてますから。

 

(↑お前だけだろ!っていうオーディエンスの声はとりあえず無視します。笑)

 

 

 

 

真夜中のかじこの闘い3ラウンドを終えて、眠りに就いた数時間後、本日も天然の目覚まし時計(=ニワトリ)によって一同起こされた。

 

 

隣のかじこの様子を見ると、ベッドの上で丸まって寝ていた。

 

顔は紅潮していて、脂汗をかいていた。

 

「かじこ、大丈夫?」

 

「生きてる?」

 

様子を見て話し掛けると、かじこは目を開けた。

 

かじこの大きな目は、二重部分が大きくなっていて目が半分も開いてなかったし、顔もむくんでいた。

 

おぉ、かじこ、死んでいる…!!

 

 

 

心配になったので、体温計で熱を測ってみると、38度あった。

 

下痢の状態をきくと、ずっと鈍痛が続いていて、明け方に一人で4ラウンド、5ラウンド目の戦いをしていたらしい。

 

もう、何も出ないけど、お腹の状態が芳しくないし、吐き気があって食欲もないということだった。

 

 

 

ブレイとブレイの奥さん、ゆずるも集まってきて、かじこの様子を見て、病院に行った方がいいのではないかとか、心配していると、

 

「寝れば治ると思うから…」

 

かじこが力なく言った。

 

 

 

ブレイとゆずると話し合って、今日のコロニー巡りは私たち3人で行って、かじこはブレイの家で一日寝て様子を見ようということになった。

 

「コロニー調査の初日なのに、ごめんね…」

 

かじこが死にそうに弱々しい声で言った。

 

「心配すんな!2人でちゃんとやってくるから!」

 

ゆずると私でかじこの手をぎゅっと握った。

 

 

 

 

ブレイがタクシーを呼んでくれて、私とゆずるは必要な荷物を持って車に乗り込んだ。

 

タクシーというよりは山道を走れそうな白色の4WD車だった。

 

ん?なんでこんなイカつい車で…?

 

ふわっと疑問は沸いたけど、気にせず乗り込んだ。

 

 

 

元々はこのままブレイのコロニーを去る予定だったけれど、体調不良のかじこを残していくので、今日のコロニー巡りが終わったらここに戻ってこようということになった。

 

 

 

ブレイと私とゆずるとの3人旅がスタートした。

 

昨晩、ブレイと話して、今日は3つのコロニーを回ろうということになっていた。

 

初めて調査に行くコロニーは、シャラダノというところにあるコロニーだった。

 

期待と不安が入り混じる中、車は走り出した。

 

 

 

昨日、かじこの3ラウンドのセコンドとして付き合ったせいか、車が走り出して数十分すると何だかうとうと眠くなってきた。

 

それでも走り出して最初の1時間くらいはブレイと今日の予定や訪問するコロニーの情報などを聞いたりして話していたが、クーラーも何もない車内で炎天下の中、じっと乗っているのも体力をなかなか使って、だんだん、みんなしゃべらなくなってきた。

 

軽く睡魔に襲われて、すや〜っとなった時だった。

 

 

 

ボンッ…ダン、ダン、ダン、バウン、バウン、ボンッ!!!

 

 

 

…っ痛ってぇ!!!

 

前後、上下に車体が揺れて、シートに身を預けていた私は、頭の預けどころを失って、側頭部を窓にぶつけた後、そのまま反動で後頭部を車の座席に打ち付けた。

 

車が事故にでもあったのかと思って痛みをこらえて起き上がったが、車は普通に走っていた。

 

 

すると、

 

 

ボンッ…ダン、ダン、ダン、バウン、バウン、ダンッ!!!

 

 

 

うわぁっ!!!

 

 

 

まさかの、2回目がやってきた。

 

今度は体を起こしていたせいで、前頭部を前の座席に強打、からの、跳ね返って後頭部を強打した。

 

 

「…痛ってぇ!!!」

 

 

隣を見ると、寝ぼけたゆずるが私と同じように頭をいろんなところに打ち付けたみたいで、頭を押さえていた。

 

ゆずるの声で起きたブレイが、後部座席の私たちの方を見て言った。

 

 

「車にしっかり掴まった方がいいよ、これから2時間くらい、ずっとこんな道が続くから」

 

 

 

……マジで!?

 

窓から道路を見ると、道と呼べないぐらいアクロバティックなでこぼこ道が続いていた。

 

 

おぉ…、なんだ、これは…!!!

 

曲芸的なスタントマン、しか通らないっしょ、こんな道…!!!

 

 

 

その直後、

 

ボンッ…、バウン、バウン、ボンッ!!!

 

 

またもや学習せず、前頭部を強打、からの、後頭部を強打した。

 

 

…ふぁっくっ!!!

 

 

車内の上部にあるアシストグリップに必死で掴まった。

 

ガタ、ガタ、ガタ…、バウン、バウンッ…ダンッ!!

 

 

間髪入れずに次のやつがどんどんやってくる。

 

 

「これ、やべーな、頭がイカれちゃうよ」

 

そう言いながら、ゆずるもアシストグリップに必死に掴まっていた。

 

 

インドのタクシーにアシストグリップが付いていただけでも褒めてあげたいところだが(日本車には当たり前のアシストグリップも、インドの車は付いてないこともある)、

 

残念ながらシートベルトなんて代物はないわけで、

 

私たちの命は、必然的にアシストグリップ頼りになった。

 

 

 

道理で、4WD車なわけだよ…。

 

こんな悪路を行くなんて、聞いてないよーっ!!!

 

 

私は心の中で絶叫した。

 

ちなみにこの悪路は山道ではなく、舗装されていない凹凸の激しい泥道にガレキと岩がゴロゴロしていた。

 

 

 

 

何度目かの衝撃を経て、私は気付いた。

 

『ボンッ…、バウン、バウン、ダンッ…!!!』

 

のときの、『ダンッ…!!!』が一番、危ないことに。

 

 

いっぱいバリエーションがある中で、この組み合わせが一番ヤバイ。

 

『ボンッ』で何かに乗り上げて、

 

『バウン、バウン』で、でこぼこしてる緩やかなアップダウン泥道で、変なかんじでスピードついちゃって、

 

『ダン…!!』で乗り上げた何かから落下する。

 

 

 

この落下の衝撃が、後部座席にいる私たちには一番響く。

 

この法則を発見すると、『ボンッ、バウン、バウン…』の後に、最大限の注意を払うようになった。

 

(↑え?どうでもいいって?笑)

 

 

 

とにもかくにも、私たちは一向に平穏が訪れる気配のないこの道なき道を、スタント顔負けのアクロバティック走行で突き進んだ。

 

 

 

1時間も走ったところで、手に限界が訪れた。

 

 

私は左側に座っていたから、アシストグリップを掴むのは当然、左手で掴んでいて、右手は補助的に添えていた。

 

最初に不調を訴えてきたのは左手だった。

 

 

 

『アキさん、限界ですよー』

 

『ふだん、運動してなくて筋肉なくてダルダルな私は、もう筋が伸び過ぎちゃって、一旦、下りたいっすー』

 

 

 

仕方なく左手を下すと、不自然な右手で支えることになる。

 

10分もしないうちに、右手が不調を訴えてきた。

 

 

 

『アキさん、限界ですよー』

 

『そもそも、これ、不自然っす。自分、左手の2倍伸びないとグリップ掴めないっすから』

 

 

 

仕方なく一旦、両手を下した。

 

 

ボンッ…、バウン、バウン、ダンッ!!!

 

 

ゴンッ!

 

ゴンッ!!!

 

 

ですよねー。

 

そうなりますよねー。

 

 

 

『お前ら、サボってんじゃねーよ!』

 

本日、4度目の強打をくらった後頭部が左手と右手にキレ出した。

 

 

 

まあ、まあ、みんな頑張ってくれてるからね、

 

仲良くいこうよ。

 

 

 

両手と後頭部をなだめていると、

 

三半規管がそっと手をあげた。

 

 

 

『アキさん…』

 

『自分、ずっと言えずに我慢してましたが、もう、限界っす…』

 

 

 

え?マジで…!?

 

待って、待って、ビニールとかないから…!!!

 

 

三半規管がギブしたせいで、ゲロがのどの奥まできていた。

 

 

 

そんなこんなで、車酔いの吐き気がピークに達してゲロが口元まで出かかった頃、ようやく1つ目のコロニーが見えてきたのであります…。

 

 

 

≪ようやく到着した1つめのシャラダノコロニー≫

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

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走れ、メロス!!

≪屋上から見た近隣の家々の風景≫

 

 

前回ブログで、ブレイのコロニーを散策した私たち…、最後に、重油が浮いてキラキラしたドブ川を重苦しい気持ちで眺めて帰ってきたのであります…。

 

 

夕方になって、ブレイが仕事から帰ってきた。

 

私たちをデリーまで迎えに行った数日間と、これから私たちをビハールのハンセン病コロニーに案内する1週間ほどで、溜まってしまう仕事をすべて片づけてきたのだという。

 

1日中仕事をしてきたせいか、ブレイは少し疲れているようだった。

 

改めて、ブレイに感謝した。

 

 

 

夕方のチャイをみんなで飲んでいると、またもやコロニーの人たちが集まってきた。

 

「今日は私の家に来てよ」

 

「いや、俺んちだ!」

 

よくわからないお誘いをいっぱい受けた。

 

その中で、昨日の夜も遊びに来てくれて、今日の午後の散策にもついてきてくれたモントゥという青年のおじさんの家に、夕食後、遊びに行くことになった。

 

 

モントゥのおじさん家は、怪しげな雰囲気の建物の中の2階にあった。

 

廃墟っぽい雰囲気があるその建物は、夜一人で歩いたら肝試し並みの怖さがあった。

 

おばけとかホラーとかおしっこ漏らす勢いでビビる私は、かじこの手をぎゅっと握っていた。

 

 

挨拶して部屋の中に入ると、何とも言えないレトロな空気がある部屋だった。

 

秘密基地みたいな、

 

西部劇に出てきそうなさびれた酒場のような、

 

インドとは思えない異質な空気があった。

 

 

モントゥのおじさんの他に女の人が一人いて、ちょうどチャイを飲みながら2人でおしゃべりをしていたところだった。

 

おじさんの奥さんだと思って話していたら、ただのお友達らしい。

 

おじさんを初めて見た時にすごくびっくりしたのだけど、私たち日本人に顔がそっくりだということ。

 

「失礼ですけど、インド人ですか?」

 

おずおずと聞くと、

 

「インド人だよ」

 

と笑って答えてくれた。

 

おじさんの話によると、この辺りはネパールの国境付近だから、目が大きくて彫りが深くて肌が浅黒い、いわゆるインド人ぽい顔のインド人と、目が小さくて扁平で肌が黄色の、いわゆるネパール人ぽい顔のインド人の2種類があるということらしい。

 

ネパール人の顔だちは日本人に非常によく似ているらしい。

 

中国とインドに国境が接しているだけあって、その混血の結果なのか、ネパール人は中国人ほど目が細くなくて、インド人ほど目が大きくないという、日本人ぽい顔だちをしている。

 

私たちもこの旅の中で、よく、「ネパール人ですか?」と間違えられていた。

 

 

おじさんは、興味深い話をたくさんしてくれた。

 

自分は敬虔な仏教徒だと言っていた。

 

インドで仏教が興ったことは知っていたけれど、インド人の仏教徒にまさか出会うなんて思ってもいなかったので、私たちは驚いた。

 

「なんで、ヒンドゥー教でもなくてイスラム教でもなくて、仏教なんですか?」

 

おじさんに聞くと、

 

「カーストのしがらみや宗教対立が一番ないからだよ」

 

おじさんは静かに答えた。

 

「ヒンドゥーでもイスラムでも、他の宗教を認めようとしない排他的なところがある。インドという国は、ヒンドゥーとイスラムの宗教対立によって、小さな無用な争いを長い間繰り返してきた。そして、それは今でも続いている」

 

「それが嫌になってな、改宗したんだよ」

 

ポツリポツリとおじさんが話す内容に、私たちはいつの間にか引き込まれていた。

 

カーストのしがらみから逃れる方法は、別の宗教に改宗すること。

 

けれど、ヒンドゥー教徒からは排除される対象になるということ。

 

おじさんは、俗世間が好きじゃなくてこんな村外れの廃墟みたいなところに独りで住んでいるんだよ、とモントゥは言っていた。

 

 

 

 

おじさん家は、本当に異空間だった。

 

いつの間にかインドにいるのを忘れていた私は、おじさん家からの帰り道、インドにいるんだという現実感がなくて空ばかり見上げていた。

 

夜空には、無数の星が瞬いていた。

 

 

 

 

 

ブレイの家に戻った頃、かじこの様子がおかしくなっていた。

 

顔が青ざめていて、脂汗をかいていた。

 

「かじこ、大丈夫??」

 

心配して聞くと、

 

「おじさん家辺りから、お腹が痛かったし、寒気がする…」

 

おぉ…、これはやばそう…。

 

「横になれば、良くなると思うから寝る」

 

かじこは元気なくベッドに横になった。

 

 

 

明日からのコロニー巡りが少し心配になったけど、「大丈夫、ただの下痢のビッグウェーブだ」と、わけのわからないことを言ってベッドの上で笑っていたので、

 

少し安心して、

 

みんなも見守りながら就寝した。

 

 

 

夜中だった。

 

かじこが突然うめき声を上げた。

 

「あき…!」

 

死にそうな声で呼ばれて、はっと起きた。

 

「出る、強烈なやつがきた…、出る…!!!」

 

「でも、立てない…」

 

 

かじこがベッドの横でよろよろしていた。

 

ベッドから飛び起きて、

 

「よし、任せろ、トイレまで行くよ!」

 

 

かじこに肩を貸しながら、屋外の共同トイレまで歩いた。

 

共同トイレまでは、数十メートルの距離があった。

 

 

「かじこ、あとちょっとだよ、頑張って!」

 

「やばい、漏れそう…」

 

「ここで漏らしたらやばいよ、耐えて!!」

 

 

そんなよくわかんない掛け合いをしながら、トイレまでたどり着いた。

 

「早くトイレ…」

 

力なくトイレのドアにしがみついたかじこに、ちょっと待ってね、懐中電灯で照らすからって、ってなだめながら、

 

ドアを照らして、愕然とした。

 

 

おーっまいがーっ!!!!

 

カギかかってるよ!!!!

 

忘れてた…!!!

 

ここのトイレ、外側からカギかかってるんだった!

 

 

「かじこ、カギを忘れた!」

 

「取りに行ってくるから、漏らさないで待てる?」

 

「無理かもしれない…漏れそう…」

 

 

かじこは力なくうずくまった。

 

 

私は持てる限りの力で鳥小屋までダッシュした。

 

もう、自分はメロスだと思った。

 

あんなところで親友に漏らさせはしない!!って。

 

 

鳥が一斉にざわつき始めたけど、無視して、ブレイの奥さんを叩き起こした。

 

寝ぼけてにゃむにゃむ言ってるブレイの奥さんに、「早く!」って日本語でまくしたてて、カギをもらって、トイレまで全力で走った。

 

 

 

走るのだ。

 

信じられているから走るのだ。

 

間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。

 

 

走れ、わたしっ!!!

 

 

 

 

トイレの前に死にかけているかじこが目に入った。

 

 

「かじちゃん、漏れてない?大丈夫??」

 

駆け寄ってうずくまっているかじこに声を掛けると、

 

「漏れる寸前…」

 

死にそうな声が返ってきた。

 

 

 

「待ってろ、すぐ開けるから!!!」

 

そう言って、手元に持ったカギを見て、ぎょっとした。

 

カギがじゃらじゃらいっぱいついてる…!!!!

 

どれーっ!!!!

 

 

 

もう、片っ端から試すけど、全然開かない。

 

ミッションインポッシブル並みの緊迫感はあったと思う。

 

あのテーマソングが脳内に鳴り響いた。

 

そう、私は、イーサン…!!!!

 

 

 

かじこのうんこがお尻の穴から崩壊寸前…、

 

あと数秒で出る…、

 

でも、カギは開かない…!!!

 

出るーーーーっ!!!!

 

 

 

緊迫し過ぎて、若干、半笑いになっていたと思う。

 

そんな瞬間だったと思う。

 

 

 

ガチャッ。

 

あ、開いた!

 

それと同時にかじこはトイレに駆け込んだ。

 

 

 

 

ドアの向こう側から、かじこの咆哮が聞こえてきた。

 

よく、耐えた。

 

ドアの外から、戦うかじこに静かにエールを送った。

 

 

 

 

こうして、静寂の夜空にかじこの咆哮がこだまする中、コロニー2日目の夜もしんしんと更けていったのであります…。

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

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ムヒでスース―!

前回ブログで、蚊の魔窟で勇者のように戦ったかじこと私でしたが、戦いの後、ビンディ―なんぞを付けてもらっておめかししてもらい、シーピーと一緒にコロニーの中を散策することになったのであります…。

 

 

額に付けたビンディ―がすごいかゆいなと思いつつも、シーピーと一緒に私たちは外に出た。

 

歩くたびにジーパンがこすれて、魔窟の蚊に刺された内腿の付け根がすぐにうずいた。

 

モジモジと変な歩き方になっていて、3mも歩かないうちに、ギブ!ギブ!ってなった。

 

いや、これはとてもじゃないけど、掻かずになんかいられないし、一度掻いてしまったら最後、もうずっと掻き続けるだろうな…、そんな猛烈なかゆみだった。

 

「ちょっと、私、トイレ行ってくる」

 

そう言って猛ダッシュした。

 

 

ここのコロニーのトイレは共同トイレになっていて、トイレが荒らされないように外側から南京錠がかかっていて、トイレの共同利用者しか使えないようになっている。

 

ブレイの奥さんにトイレのカギを開けてもらって入って、ジーパンを下ろした。

 

内腿の付け根の様子を見ると、500円玉より大きいぐらいのデカデカとした刺された跡のふくらみがあった。

 

ちくしょー!!!

 

蚊のやつ、こんなとこ刺すなんてっ!!!

 

私は、意を決して、ムヒをかばんから取り出した。

 

ムヒの用法に粘膜に近い肌の薄い部分には使うなと書かれている。

 

ここは、どうなんだろう…。

 

スーパー大事なところに近いが…。

 

 

 

えいっ!!!!

 

勢いよく塗ってみた。

 

くわぁーーーーっ!!!!!

 

刺された部分の傷口にムヒの表面が着地した。

 

しばし、悶絶。

 

 

 

よくわからないところも熱を帯びて、スース―する。

 

全体的に。

 

辛うじて、パンツが儚げにいろいろと守ってくれていた。

 

 

 

ジーパンを履いて、何事もなかったかのようにトイレを出たが、もう、下半身がスース―して異常事態となっていた。

 

皆さん、粘膜に近いところにムヒを塗る際は、どうぞお気を付けあれ。

 

 

 

そんなこんなで、下半身をスース―させながら、私たちはシーピーと一緒にコロニーの散策に出掛けた。

 

最初に連れて行かれたのは、コロニー内にある病院だった。

 

それがここ。

 

 

これは、リトルフラワーという現地のNGO団体が作った病院で、この周辺地域でハンセン病と診断された人やハンセン病の後遺症が悪化して治療が必要になった人が入院する病院ということだった。

 

中に入って見ると、薄暗く、どんよりした空気が何とも言えないかんじだった。

 

シーピーの話によると、患者さんの多くは、近隣のハンセン病コロニーに住む独居老人の人たちで、この病院で亡くなる人も多くいるとのことだった。

 

不思議なことに女性よりも圧倒的に男性が多かった。

 

 

身寄りもないから、この病院で死の瞬間を待っているのか…。

 

何人かのおじいちゃんたちに話し掛けてみたけれど、みんな私たちに対して驚きもせず無表情だった。

 

 

 

 

そんな中、ベッドに寝るわけじゃなく、廊下の片隅にマットレスを敷いて寝ているおじいちゃんがいた。

 

それがこのおじいちゃんだった。

 

 

 

「なんでこのおじいちゃんは廊下で寝ているの?」

 

シーピーに聞いてみたけど、

 

「知らない」

 

と素っ気なく答えてどこかに行ってしまった。

 

 

私たちはこのおじいちゃんが気になって長いこと佇んでいた。

 

この病院にいるおじいちゃんたちに必要なのは、きれいなベッドなのだろうか、明るい病室なのだろうか。

 

どんな人生を歩んできてここにいるのだろうか。

 

 

 

「本当に必要なのは家族ですか?」

 

 

 

 

言葉が通じたら聞けただろうか。

 

その答えを聞いて、何ができただろうか。

 

 

 

 

静かな自問自答を繰り返しながら、病院を出た。

 

病院を出ると、そこには眩しいほどの青空が広がっていた。

 

 

 

 

病院を出たあとは、コロニーの中の貧しい人たちが暮らすエリアに連れていってもらった。

 

このエリアは、ブレイたちが住むコンクリートの家ではなくて、土壁に藁ぶきの明らかに粗末な家に住んでいた。

 

子供たちもボロボロの服を着ていて、髪の毛は色素が抜けていた。

 

 

 

 

「同じコロニーなのになんでこんなに格差があるの?」

 

シーピーに尋ねると、

 

「このコロニーも昔は物乞いだけで生活していた人たちばかりだったけど、僕のお父さんのように努力して商売を始めたり、手に職をつけたりして成功した人たちがいる。その一方でこの子たちの親は、いまだに安定した仕事に就けないでいるんだ」

 

そんな答えが返ってきた。

 

「あなたのお父さんはコロニーのリーダーだけど、この子たちの生活をどうにかしてあげようとはしないの?」

 

どうしようもないことなのに、半分やるせない気持ちがこみあげて聞いた。

 

すると、シーピーが答えた。

 

「うちのお父さんはこの子たちの家の現状をとても心配していて、時々援助してあげているんだ。もし、うちのお父さんが何もしなかったら、この子たちはもっと悲惨な状況になっていると思う」

 

いつもふざけたことばかり言っているブレイの顔が浮かんだ。

 

あの人、ちゃんとコロニーのこと考えてるんだ。

 

ブレイを見直すと同時に、金銭的な援助だけでは根本的な解決につながらないことを知った。

 

それでも、子供たちはとても元気だった。

 

無邪気にはしゃぐ子供たちを眺めながら、この子供たちの笑顔をリーダーのブレイがしっかりと守っているんだ、とそう思った。

 

 

 

この写真はそんな貧しい家の子供たちの様子。

 

私のお気に入りの一枚。

 

枯れたヤシの木をみんなで楽しそうに運んでいて、ほっこりした。

 

 

 

 

子供たちに別れを告げた私たちは、シーピーがコロニーで一番景色のいい場所に連れていってあげると言うので、ついていくことにした。

 

白いボックス型の建物が見えてきた。

 

シーピーがこの建物を指さして、あれがコロニーで一番高い建物なんだよ、と言った。

 

すごく小さいこじんまりとした2階建てのコンクリ製の建物だった。

 

その横にひょろっとした不安定なはしごがあった。

 

 

まさかな…と思った。

 

が、そのまさかだった。

 

 

「よし、このはしごを登って上にいこう!」

 

 

いやいや、2階建てとはいえ、このとてつもなくガタガタしてる不安定そうなはしごに命を預ける気になんないよ!!

 

え?登るの?うそでしょ?みたいになっている私たちに、早く登れと、シーピーは急かした。

 

もう、どうとでもなれってかんじで、登った。

 

私は運痴なくせに、こういう度胸だけは人一倍ある方なので、私が先陣を切った。

 

それにゆずるが続いた。

 

かじこが一番下で恐怖に慄いていた。

 

シーピーがかじこを下から支えていたけど、かじこは、「怖い!」「無理!」って、すごい女子っぽいことを言って騒いでいた。

 

犬山のアルペンアイベックスのくせにこのガタガタはしごは登れないらしい。笑

 

その時のかじこ。

 

キュート…!!笑

 

 

 

 

シーピーがかじこの体を支えて、私たちもはしごを押さえてあげて、どうにかかじこも登りきった。

 

その景色がこれ。

 

 

 

これ、実はこの写真に写っている景色の反対側に川が流れているのだけど、その川の向こうがネパールなんだとシーピーが教えてくれた。

 

ブレイのコロニーは実は、インドの北端に位置していて、ネパールとインドの国境に面している。

 

 

 

その川の向こうが別の国なんだ…。

 

日本という島国育ちの私は、不思議な気持ちで国境を眺めていた。

 

世界地図の線がここにある。

 

 

 

私がずっと川を眺めていると、シーピーが「今からあの川のところまで行ってみようよ」と言った。

 

私は迷わず、「うん!」と返事をした。

 

 

 

私たちはガタガタはしごを登った時以上に、ギャーギャー言いながら下りて、川へと向かった。

 

川は本当にすぐ近くにあって、たった数分で着いた。

 

すごく小さい川がグネグネしながら流れていた。

 

暑い日差しの中、見ていると、何だか水面がキラキラしていて、黒々していて…、きれい…、ん?

 

黒い?

 

…、ん?

 

キラキラ?

 

油浮いてね???

 

よく見ると、川は真っ黒な油のようなものが一面に流れていて、むしろ、あまり流れがスムーズじゃなくて、止まっているようにも見えた。

 

き…汚い…。

 

本当に、川なのか???

 

あのドス黒くてキラキラしたものは何なんだ???

 

私たちが凝視して見ていると、

 

 

 

「あれは工業用排水の油だよ」

 

「あの川に入ったら、病気になるから誰も近付かないんだ」

 

シーピーは無邪気に笑って言った。

 

 

 

いや…、シーピー、全然笑えない。

 

あたしゃ、こんな死んだ川を生まれて初めて見たよ!

 

おい、シーピー笑ってんじゃねえよ!

 

 

生命が生きてるかんじが全くしない死んだ川だった。

 

事実、水とは思えない遅さで流れていた。

 

 

これはいずれ健康被害になって返ってくる。

 

そう思うと、どうしようもなく身震いがした。

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

 

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蚊の魔窟

前回ブログで、エロ鳥小屋に悶々としながら、就寝した私たち(てか、むしろ私)…。笑

 

 

 

翌朝、5時半頃、けたたましいニワトリの鳴き声でたたき起こされた。

 

あいつら、夜中あんなにざわついてたのに、朝はきっちり仕事すんだな。

 

でも、早いよ。

 

すげー早い。

 

寝不足でもきっちり仕事をしてくるニワトリに関心しながら、もう一度寝た。

 

 

 

数分後、またもけたたましい鳴き声が響いた。

 

い…、いや、もう、十分わかった。

 

君たちが寝不足でも頑張っているのは、私には伝わってる。

 

グッ、ジョブ…!!

 

ニワトリに心からの敬意を伝えて、再び眠りについた。

 

 

 

数分後、周りがざわざわ、ガタガタ言い始めた。

 

見ると、コロニーの人々だった。

 

お…、起きるの、早くね?

 

まさか、ニワトリの鳴き声が目覚まし代わりとか?

 

そりゃ、あいつらも寝不足でもきっちり仕事するわけだ。

 

 

 

いや、でも、私は寝るよ。

 

ニワトリとコロニーの人々に敬意を表して、寝袋を頭まで被って、再び眠りについた。

 

 

 

 

数時間後、周りのざわつきがピークになったところで、とうとう私たちは起こされた。

 

何だか、もう、よく眠れなかったせいか、ぼやっとしながら出されたチャイを飲んだ。

 

 

余談だけど、私はこの朝チャイがめっちゃ好き。

 

インド人は、チャイを1日、3〜4回飲むのだけど、甘さ控えめのシンプルなビスケットと一緒に飲むのが定番で、中でも、朝一番で飲むチャイは最高に美味しい。

 

きっと、ミルクが搾りたてなのも影響しているんだと思う。

 

 

 

ぼやっとしてる間に、朝食が出てきて、朝はチャパティというナンを薄くしたようなものとベグーンバジャというナスをマサラで味付けて炒めたものが出てきた。

 

このベグーンバジャは、ベグーンがナスという意味で、バジャが炒め物という意味なんだけど、このバジャシリーズは野菜が変わって、高頻度でインド人の食卓に登場する。

 

インド人は、カレーかバジャしか食べてないんじゃないかと思うくらいの頻度である。

 

しかも、基本はすべてマサラで味付けされるので、結局カレー味だというなかなかの代物。

 

マサラ以外、浮気なんてしないぜ!っていう、インド人のマサラに対する一途な気持ちが嫌というほど伝わってくる。笑

 

 

 

チャパティでベグーンバジャを挟んで食べるので、今朝は指で食べるストレスを感じることなく、朝食を終えることができた。

 

朝食を終えると、近所のおばさんたちがやってきて、何かやいのやいの、言い始めた。

 

ブレイの奥さんも混じってヒートアップしている。

 

けど、ヒンディー語だから何を言ってるのか全くわからない。

 

 

ブレイに、何を言ってんの?と聞くと、

 

「君たちが汚いから、風呂に入った方がいいって言ってる」

 

と、衝撃の答えが返ってきた。

 

き…、汚いって、確かに…。

 

24時間近く、列車やらトゥクトゥクに揺られてきたから、髪はバサバサのねちょねちょだったし、顔は薄汚れていた。

 

 

インドの列車のスリーパークラスに乗ると、クーラーがないから窓が常に開けっ放しで外の空気がめちゃくちゃ入ってくる。

 

当然、砂ぼこりやチリ、排気ガスみたいなものも一緒に入ってくるから、髪の毛や顔に嫌っていうほど付着するのだ。

 

日本の舗装されたアスファルトの道路で窓を開けてドライブしてもこうはならない。

 

ほんとに、アスファルトってすごい。

 

 

このねちょねちょドロドロの薄汚れた私たちに、おばちゃんたちは早く風呂に入れと急かしてきた。

 

コロニーのお風呂って…。

 

ドキドキしながらついていくと、ゆずるは男だからって別の場所に連れていかれて、かじこと私はコンクリートの造りの小奇麗な家に連れていかれた。

 

ブレイの奥さんが身振り手振りで話すのを要約すると、どうやらブレイの家は近くの井戸で水浴びをしているのだけど、あなたたち日本人女性にそんなことはさせられないから、コロニーの中で唯一、シャワールームを持ってる友人の家に来た、ということらしい。

 

 

ほほぅ、シャワールームか…。

 

期待に胸を膨らませて入ってみると、薄暗いコンクリートの部屋にバケツが2つポツンと置かれていた。

 

水をすくう柄杓みたいなのも2つ。

 

水道とか、そういうのもなくて、バケツに水があるだけだった。

 

おぅ…、

 

中国のキャンプでこんなんは経験済みだぜってかんじで、かじことよっしゃ入るぞって素っ裸になった。

 

 

その途端、

 

プ〜〜ン…。

 

耳元で嫌な音がした。

 

「あ、かゆっ!!」

 

お尻と内腿の付け根のデリケートな部分が蚊に刺された。

 

 

 

「あ、かじこ、やばい変なとこ蚊に刺された!」

 

「かゆい、やばい…、こんなとこ掻いてたら変態じゃない!」

 

かゆくてモジモジしてる私の横で、かじこが笑っていたが、

 

「あ、私も刺された!2箇所も!!」

 

「ていうか、あき、見て!!薄暗くてわかんなかったけど、めちゃくちゃ蚊がいるよ!!やだー!!!」

 

かじこが悲鳴を上げた。

 

 

 

よく見ると、本当にびっくりするぐらいの蚊が部屋を飛び回っていた。

 

もう、一糸纏わぬかじこと私は、蚊の恰好の餌食だった。

 

 

 

やばい、やばい、やばいよー!!!

 

出川かっていうくらい、2人で、やばいよー!!って言いまくって、

 

「一刻も早く体を洗って出よう!!」

 

って泣きながら体を洗っていた。

 

もう、何か所刺されたかわからないし、至るところがかゆい。

 

特に、内腿の付け根…!!

 

 

 

もう、悶絶しながら髪の毛を洗っていると、急にかじこがピタと動かなくなった。

 

「あき、これはすごい発見だよ」

 

え?って振り向くと、

 

全裸で体中泡だらけのかじこが悟りを拓いたような顔をして立っていた。

 

おめーは、ヴィーナス像か!

 

ヴィーナス像でも、もうちょっと恥じらってるっつーの!

 

 

 

薄暗い中だったから、ちょっと神々しくも見えたけど、私の身体が刻一刻と蚊に蝕まれていっている最中だったから、

 

「なにー?」

 

髪の毛を洗う手を止めずに聞き返すと、

 

「あき、全身を泡で覆うと蚊が寄ってこなくなるよ…!!」

 

かじこが興奮気味に言った。

 

 

 

え?ピタッと手を止めて、ヴィーナスかじこをもう一度振り返った。

 

なに、その世紀の大発見…!!!

 

やばいんですけど…!

 

ビバ!ヴィーナス!!!!

 

 

 

「かじこ、それやばいわ」

 

すごいバカっぽい返事をして、すぐさま石鹸を泡立てて、全身を覆った。

 

蚊の猛襲は去った。

 

 

 

かじこと私に勝利がもたらされた瞬間だった。

 

 

 

「かじこ、蚊がいなくなった!すごい!!」

 

「あき、身体を泡だらけにしたままで、髪の毛を洗おう!」

 

髪の毛を洗い終えた私たちは一息ついた。

 

 

 

「あき、ここからが本当の勝負だよ、この泡を洗い流したら、すぐに体を拭いて、すぐに服を着て、この蚊の巣窟を出ないと、私たちはまた餌食になるよ」

 

「うん」

 

「行くよ!」

 

ジャバーッ!!!

 

水を全身に素早くぶっかけて、タオルの元へと走った。

 

プーーンッ!!!!

 

もう、耳が研ぎ澄まされているから音だけで蚊の大軍が背後から襲ってきたのがわかった。

 

逃げろーっ!!!!

 

もう、身体なんて全然拭けてなくてびっちょびちょだったけど、恐怖のあまり無我夢中で服を着て、部屋から飛び出た。

 

恐怖の魔窟から抜け出たかじこと私は、ヨレヨレびちょびちょだった。

 

 

 

外で私たちを待っていたおばちゃんとブレイの奥さんに、泡が髪の毛についてるとか、ちゃんと洗ったのか、とか散々言われたけど、

 

内腿がスーパーかゆくて全然耳に入ってこなかった。

 

 

 

満身創痍のかじこと私を連れて、おばちゃんとブレイの奥さんは家に戻って、私たちをベッドの上に座らせた。

 

じっとしてるように言われて、なされるがままになっていると、乾いてもいない髪の毛を櫛でとかし始めたり、マニキュアを塗り始めたり、ピアスをつけたりし始めた。

 

井戸で体を洗ったゆずるがさっぱりして戻ってきて、人形のようになされるがままになっている私たちを見て爆笑していた。

 

 

これがその時の様子。

 

私の後ろで死んでいるかじこにぜひ注目していただきたい。

 

 

もう、早く外で髪の毛を乾かしたいのに、あれこれいじくり回されて、最終的にビンディーという既婚女性が額につける装飾を貼られた。

 

 

いや、結婚してないっつーの!

 

(ここは、激しく突っ込みを入れてみたいところ。笑)

 

 

完成したのがこちら。

 

かじこと私の死んだ顔をご覧あれ。

 

 

 

 

と、まあ、おばちゃんとブレイの奥さんの満足げにでうんうんって言ってたけど、私たちは蚊に刺された体中がかゆくてかゆくて、本当に、心ここにあらず状態だった。

 

私は内腿の付け根のかゆみが尋常じゃなくて、おしっこが漏れそうな小学生みたいにずっとモジモジしていたのであります…。

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

 

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インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

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エロ鳥小屋

 

前回ブログで、パトナ駅の物乞いの子供たちに翻弄された私たちでしたが…。

 

 

ようやく、ブレイのコロニーに向かう乗換のローカル列車が到着したので、私たちは乗り込んだ。

 

2,3時間ほどローカル列車に揺られて、最寄り駅に到着して、そこから私たちはトゥクトゥクに乗った。

 

インドに来てから4度目のトゥクトゥクだけど、やっぱりテンションが上がってしまう。笑

 

しかも、全く知らないインドの田舎道を走るのはめちゃくちゃ楽しかった。

 

 

数十分トゥクトゥクに揺られて、ようやくブレイのコロニーに到着した。

 

ここがブレイの住むハンセン病コロニー!

 

 

想像よりもキレイなコロニーなのは、ベヌさんと同じく、コロニーのリーダーであるブレイが頑張ってコロニーを良くしてきたからであって、数十年前にはほとんど荒れ地のような場所だったらしい。

 

 

ブレイの家は小さな商店を営んでいて、コロニーのリーダーらしく小さいながらも立派な家だった。

 

 

ブレイのご家族を紹介してもらった。

 

ブレイは、息子さん2人の4人で暮らしている。

 

 

「息子の名前は、シーピー、ピーピーって呼んであげて」

 

とブレイが言った。

 

 

「え?シーピー?ピーピー??」

 

スターウォーズに出てきそうな愉快な名前にビックリして、ちょっと半笑いになっていると、

 

「いや、ニックネームね、君たち覚えられないだろうから」

 

どうやら私たちが名前を聞き取れないことを想定して、最初からニックネームを教えてくれたらしい。

 

すげーバカだと思われてる…!!

 

 

ブレイにバカだと思われていることにショックを受けていたが、あとでこっそり息子さんたちに本当の名前を聞いたけど、ビックリするほど全然聞き取れなくて、もう、シーピー、ピーピーが彼らの名前だと思うことにした。

 

 

 

自己紹介を終えた辺りで、もう日が暮れかけていた。

 

24時間近く、列車やトゥクトゥクに揺られてきたので、とくに何もしていないけど私たちはクタクタだった。

 

でも、初めて出会った日本人にテンションが上がったブレイの家族とコロニーの人々によって私たちはもうスーパースターがやってきたかのような歓待を受け、疲れているなんて言えず、アイドル並みの愛想を振りまいていた。

 

もう、ブレイの家にいろんな人が来て私たちを眺めては帰っていった。

 

 

そんな客寄せパンダ状態の中、ブレイの奥さんが私たちにご飯を作ってくれることになった。

 

初コロニー飯ーー!!

 

キターーー!!!

 

 

 

初めてインドの家庭料理に期待と不安が入り混じって、

 

不安が9割ぐらいで勝ってて、

 

そんな私たちの前にやってきたのが、大量の茹でたご飯とカレー。

 

 

 

おぉー、凄まじく山のように盛られている。

 

そして、カレーの中身も未知。

 

 

 

お腹空いているけど、こんなに食べられる気がしない。

 

けど、出されたものは無理してでもきちんと食べなさいってお母さんが言ってた。

 

そんな小さいころの母親の言葉が脳裏をよぎって、

 

3人で意を決して、食べようとなって、気付いた。

 

 

 

スプーンないじゃない…。

 

 

 

「どうやって食べるの??」

 

私が小声で聞いた。

 

 

「スプーンとか無さそうな雰囲気だな」

 

ゆずるが答えた。

 

 

「インド流だよ!とうとう、私たちも指デビューだね!!」

 

かじこが嬉しそうに答えた。

 

 

 

かじこは隣に座って一緒にカレーを食べているブレイに食べ方を教わりながら、指で食べ始めた。

 

 

 

インド人は、ご飯を食べる時に、箸はもちろんのこと、スプーンとかフォークとかほとんど使わない。

 

インド人は自分たちの手を使って食べるのだけど、その指の使い方にもいろいろと決まりがある。

 

私たち日本人が箸を器用に使って食べるのと同じように、インド人たちは右手の親指、人差し指、中指の三本の指を使って器用に食べる。

 

また、日本人の箸の使い方に作法があるように、インド人にも指で食べる作法がある。

 

 

右手は使っていいが、左手は不浄だから使ってはいけないとか。

 

親指、人差し指、中指の三本の指以外を使って食べるのは不作法な食べ方とか。

 

指先から第一関節までしか使わずに食べるのがきれいな食べ方とか。

 

 

 

インド人たちは本当にきれいな指使いで食べる。

 

私たち日本人がそれを習得しようとしても、なかなか一朝一夕にはいかない。

 

 

 

その証拠に、私たち3人はブレイが食べているのをどんな風に真似しても、指の間からボトっとご飯を落としたり、第二関節まで汚れたり、左手も思わず使ってしまったり、しっちゃかめっちゃかな汚い食べ方になってしまっていた。

 

かじこやゆずるが楽しそうに指を使って食べることに奮闘する中、私は一人沈んでいた。

 

指で食べると、全く、美味しくない。

 

それが私の率直な感想だった。

 

 

食べ方がわからないとこんなにも食べ物の味がしないんだと。

 

自分の指が歯に当たる感覚。

 

自分の歯が指に当たる感覚。

 

もう、その違和感しか感じられなくて、

 

普段、『箸』や『スプーン』に助けられて食べ物の味を感じていること、自分が思っている以上に自分は日本文化にどっぷり浸かった人間なんだということに驚愕した。

 

 

私はそれまで自分は順応力が高い人間だと思っていたけれど、指で食べることを純粋に楽しんでいる2人を見て、それは勘違いで、むしろ、ガチガチの自分の生まれ育った文化しか受け入れられない器の小さい人間でしかないことに気付かされた。

 

いや、そうじゃない。

 

そんな風に心の中でむくむくと沸いてきた思いを必死で打ち消してみたけれど、この時感じた違和感は大きなしこりになって後々まで影響を及ぼすこととなった。

 

山盛りのインドカレーを前に、周りの食べるスピードに置いていかれないように、思うように動いてくれない指を駆使しながら必死に食べる私は、さながらフードファイト戦士のようだった。

 

 

≪第二関節までべちょべちょのかじこ。笑≫

 

 

そんな9割がたフードファイト状態になった食事をどうにかこうにか終えて、また楽しく歓談タイムになった。

 

ゆずるや私が度々かばんから出してデジカメで写真を撮っていると、コロニーの人たちは初めて見るデジカメに、もう、興味津々で、今まで撮った写真を見せろ、見せろって、押し合い圧し合いになって、見せてあげると、歓声が沸いて盛り上がっていた。

 

これがその時の様子。

 

 

 

珍獣のような日本人3人を前に、散々盛り上がった後、

 

「明日、うちの家にも遊びに来てね!」

 

そんなことを言って、コロニーの人々は去っていった。

 

 

 

「俺たちも、列車に揺られて疲れているからもう寝ようか」

 

ブレイがそう言って、私たちは寝る支度をすることになった。

 

 

 

「君たちはここのベッドを使って寝てね」と、ブレイが言った。

 

けれど、見る限り狭い部屋にベッドが3つしかない。

 

 

 

私たちが来たことによって、ブレイたち家族が寝れなくなるなんてことになるのではないかと思って、

 

「ブレイ、あなたたちが寝る場所がなくなっちゃうじゃない。大丈夫なの?」

 

と心配して聞くと、

 

 

「大丈夫、シーピーとピーピーは別の家で寝ることになっているし、俺たち夫婦は鳥小屋で寝るから」

 

と、ブレイは言った。

 

 

「ん?鳥小屋??」

 

鳥が大好きなかじこが反応した。

 

「ブレイ、鳥小屋なんてあるの!?私、鳥見たい!」

 

 

いやいや、そうじゃなくて、鳥小屋で寝るってどういうこと!?ってことでしょ。

 

 

私の心の突っ込みを無視して、

 

「この家のすぐ裏に鳥小屋があるから見に行くか?」

 

ブレイが言い出したので、私たちは月明かりの元、鳥小屋をのぞきに行くことになった。

 

 

なんで、こんな夜に鳥小屋なんか見に行ってんだろう…。

 

もう、意味がよくわからないままついて行くと、そこに小さな掘っ建て小屋みたいなのがあって、暗くてよくわからないけど、完全に鳥小屋特有の臭いが漂っていた。

 

 

私たちが鳥小屋に近付くと、ニワトリたちがざわつき始めた。

 

ブレイがざわつき始めたニワトリに、「ナッ!ナッ!」ってたしなめていたけど、いや、こんな夜中に珍獣(日本人)連れて来る方がどうかしてるぜってかんじで、にわとりのざわつきは全く収まらなかった。

 

そりゃ、ニワトリもこんな夜に来られたらざわつくよ、

 

うん、ざわつく君たちの気持ち、すんごいわかる。

 

 

ざわついているニワトリを無視して、ブレイはその掘っ建て小屋の中に入っていって、私たちにも入って来るように促した。

 

明かりも何もないので、狭い小屋の中に何匹のニワトリがいるのかわからなかったし、ブレイの顔も暗闇に溶け込んでいたけど、ブレイの白目だけがくっきりと見えた。

 

さすがのかじこも、ニワトリがどこにいるのかわからなくて、静かにしていた。

 

足元には藁がたくさん敷いてあった。

 

 

「俺と奥さんは、今日ここで寝るんだ」

 

床を指さしてブレイが言った。

 

 

「ここ???」

 

私たち3人は、顔を見合わせた。

 

 

「安心しろ。俺たちは、シーピーとピーピーに隠れて毎晩ここで愛を育んでいるんだ」

 

「あっちのベッドじゃ、シーピーとピーピーにバレちゃうからな」

 

 

ブレイはニヤッと笑った。

 

白い歯だけが暗闇に浮かび上がった。

 

 

 

こっ…、このやろー!!!

 

そんな下ネタを言うためだけにこの鳥小屋に私たちを連れてきたのかー!

 

 

3人とも呆れて絶句した。

 

 

 

「さあ、寝ようか!」

 

ブレイだけが言いたいことを言えて、めちゃくちゃ満足げだった。

 

 

 

 

 

案の定、その夜、隣の鳥小屋が気になってなかなか寝付けなかった。

 

ニワトリたちのざわつきが静かな夜にこだまする度に、ブレイのニヤッと笑った白い歯が私の脳裏をよぎって、あらぬ想像を掻き立てたのであります…。

 

 

 

 

なんか、ブレイのせいでエロ小説みたいな終わり方になっちゃったけど、

 

つづく〜。笑

 

 

 

 

 

 

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パトナの物乞い

前回ブログで、列車内でヒジュラや物乞いを目の当たりにして、本当の意味でのインドの貧困の闇が少しばかり垣間見えた私たち…。

 

 

そんな闇を少しばかり見た後に、とうとう2時間遅れでビハール州にあるパトナ駅に到着した。

 

パトナは、ビハール州の州都で駅もそこそこ大きかった。

 

ここからさらに乗り換えて、ブレイのコロニーを目指すということだった。

 

その時はちょうど午後14時ぐらいだったと思う。

 

 

≪パトナ駅に到着した私たち≫

 

 

 

 

ビックリするぐらいの炎天下の中、私たちは次の列車を待つことになった。

 

インドの列車の乗換え時間は、日本と違って、数時間待つなんて割と当たり前で、この時も次の列車がくるまでは1時間以上あった。

 

お腹も空いたし、よし、ご飯を食べよう!ということになり、パトナ駅構内を出て近くの定食屋さんを目指すことになった。

 

ホームから延びる階段を上って、外に出ようとしたときだった。

 

 

 

身体が変な方向にねじ曲がった青年が階段でタンバリンを叩いていた。タンバリンを叩くというよりは、手足も曲がっているためか上手く叩けず適当に鳴らしているだけというかんじだった。青年の足元には銀色の汚いお皿がおいてあって、そこに誰かが喜捨していったお金が入っていた。

 

元々生まれつきの障がいなのだろうか…。

 

家族はいないのだろうか…。

 

青年の目は虚ろで、タンバリンこそ鳴らしているが、行き交う人々と目が合うことはなかった。青年の枯れそうな大きな瞳に、数匹のハエがたかっていた。

 

タンバリンだけが炎天下の中、壊れたおもちゃのように鳴り響いていた。

 

 

 

私は帰国後に、石井光太さんの『物乞う仏陀』を読んで、あの虚ろな目でタンバリンを鳴らし続ける青年をすぐに思い出した。

 

いや、正確にいえば、あの青年のことが心の片隅に引っ掛かっていたから、帯のタイトルに惹かれて本を手に取ったのかもしれない。

 

障がい者が物乞いの道具として扱われる現実。

 

障がいがあれば物乞いで喜捨してもらえるお金が多くなるという理由から、中にはマフィアに目をくり抜かれたり、手足を切断されたりして、物乞いをさせられている子供たちがいるという。

 

希望のない世界だな…。

本を読んで、彼らの絶望が目に浮かんで、怒りと悲しみが沸いてきたのを今でも覚えている。

 

 

 

タンバリンの青年の横を通り過ぎて、陸橋を渡って階段を降りると、今度は別の物乞いが下りの階段に座っていた。

 

パトナ駅は目につくいろんなところに物乞いがいて、デリーとはその様子が全く違っていた。

 

ビハール州は、インドで最も貧困で、最も治安が悪い州と言われている。

 

そのせいか、デリーの物乞いが割と元気なのに対して、パトナの物乞いは全身から悲壮感が漂っていて、強烈に『死』を連想させた。

 

 

 

駅から出て、強烈な臭いが鼻を突いた。

 

アンモニア臭と腐臭が混じり合ったようなそんな臭いだった。

 

どこから臭ってきているのかわからなかったけれど、その臭いは鼻を強烈に刺激した。

 

 

 

強烈に照り付ける日差しの中、バックパックを背負いながら少し歩いたところにあるお店に入った。

 

列車ではあんなに元気だったのに、パトナ駅に降りてから気分が急激に沈んで行くのが自分でもわかった。

 

予想と現実は違ったというそんな話ではなくて、予想と現実は一緒だったけれど、自分が受ける衝撃の度合いがこんなにも大きいということだけが唯一予想できていなかった。

 

人間はプラスの感情はある程度予測できても、マイナスの感情を正確に予測するなんてことは不可能なのかもしれない。

 

マイナスの感情を正確に予測できたら、私はインドに来ていなかっただろうか。

 

 

 

かじちゃんとブレイがご飯を頼んでくれたけど、タンバリンの青年の周りを飛んでいたハエや駅を降りてからずっと感じる腐臭がなかなか私の脳内から離れていかず、食欲が全く沸いてこなかった。

 

たった数十分で自分の感情が底辺にいるのを感じて、その原因は何かを考えたけど、どれもこれも決定的じゃなくて、自分の心が想像以上に弱いことに驚いた。

 

そんな私の空気が伝播してしまったのか、それとも、2人も同じ気持ちを抱えていたのか、どちらかわからないけど、何となくみんなしゃべらなくなってしまった。

 

 

 

お店を出て、駅で電車を待つことになった。

 

物乞いの子供たちが私たちの足にまとわりついてきたけど、最初は無視した。

 

ブレイが追い払ってくれたけど、数分するとまた戻ってきた。

 

「ギブ、ミ―。(ください)」

 

弱々しい声で、私たちの服を掴んで何度も訴えかけてくる。

 

 

 

「気分が滅入ってくるな」

 

ゆずるがポツリと言った。

 

いつも明るくて、場を盛り上げてくれるゆずるがそんなことを言うなんて、ゆずるもこのパトナ駅にある淀んだ空気を敏感に感じ取っているんだなと私は思った。

 

3人とも暑さとこの状況に耐えられなくなっていたんだと思う。

 

 

「私、タバコ吸ってくるね」

 

かじこもここに居たくないと思ったのか、タバコを吸いに行ってしまった。

 

 

ゆずるは、お金をあげるべきかどうか、すごく迷っているようだった。

 

「あげてもキリがないよね」

 

私が言うと、

 

「そうだな」

 

ゆずるは黙った。

 

 

 

重苦しい空気が流れたので、

 

「ゆずるもタバコ行っていいよ」

 

と、私が言った。

 

 

「じゃあ、俺も行ってくる」

 

と、ゆずるもタバコを吸いに行った。

 

 

 

ブレイはホームの少し離れたところで奥さんと電話をしていた。

 

ああ見えて、とっても愛妻家の彼は、暇さえあればいつも奥さんに電話をしている。

 

 

 

 

私がホームで一人になると、物乞いの子供たちは4人で一気に畳みかけるように、お金をせがみ始めた。

 

 

 

ボロボロの服を着た子供たちは、髪の毛は栄養が行き届かなくて色素が抜けてしまっていて、お腹は栄養失調特有のふくらみがあって腹水が溜まっていた。

 

裸足で汚れた足は、まるで枯れ木のようだった。

 

 

「ギブ、ミ―(ください)」

 

「ノー!(ダメ!)」

 

 

何度やり合っただろう。

 

炎天下の中、全然諦めてくれない。

 

 

 

何度目かの「ノー!」を言ったとき、一番上のお姉ちゃんらしき子が抱っこしている赤ちゃんが泣き始めた。

 

 

「ギブ、ミ―…」

 

一番上のお姉ちゃんが力なく言った。

 

「ノー…」

 

私の返事は赤ちゃんの泣き声にかき消された。

 

 

 

急に、涙がぶわっと出た。

 

自分でもびっくりした。

 

何の涙か全くわからなかった。

 

 

 

諦めて去ってくれないこの子たちに怒りを覚えた?

 

この子たちの方が辛いだろうに、自分の方が辛いって思っちゃった?

 

あはははっ、弱過ぎでしょ、あんた。

 

 

 

もう、なんで泣いてるのかわからなくなった。

 

泣き始めた私にびっくりした一番上のお姉ちゃんが手で涙を拭いてくれようとした。

 

 

 

まだ、5日目だぞ!しっかりしろ!!

 

こんなんじゃ、もっと過酷なハンセン病コロニーにどうやって行くんだよ!

 

 

 

そう思って、何かよくわからず出てくる涙を拭いた。

 

かばんから、10ルピー札を出して、これだけしかあげられないと身振り手振りで言って、一番上のお姉ちゃんに握らせた。

 

 

 

10ルピーは涙を拭いてくれた優しさに対してあげたんだ、そう自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

余談だけど、私は、この後ずっとこの物乞いの人たちとの付き合い方がわからなくて、悩む羽目になるのだけど、もう、あげたりあげなかったり、基準がブレブレで…。笑

 

でも、この物乞いとの付き合い方をきちんと割り切れる人ってどんな鋼の心持ってんの?って逆に思ってしまう…。

 

あげても一時的に飢えがしのげるだけで根本的な解決にならないからあげない方がいいって言う人もいるかもしれない。

 

もう、とりあえず、一時的にでも飢えがしのげるならいいじゃないって言って、あげる人もいるかもしれない。

 

どっちがいいとか悪いとかないと思う。

 

 

 

けど、私はかなり悩み続けた末に、ある本の言葉に出会って、この悩みがすっと落ちた。

 

どの本の言葉だったかは、忘れてしまったけど、

 

(す…すみません。ハト並みの脳みそなんで…)

 

 

 

 

 

喜捨はあげられるなら、あげればいい。

 

あげたところで、世の中は変わらないし、

 

あげなかったところで、世の中は変わらない。

 

ただ、その物乞いがその日ほんの少し空腹が満たされるだけ。

 

あげても、あげなくても、世の中が変わらないなら、あげてほんの少し空腹が満たされる方を選んでも全然悪くない。

 

物乞いに対する喜捨は彼らの社会的自立を妨げるとか高尚なことを言う人もいるけど、そんなことは弱者救済の社会的制度が整ってから言うべきことだから放っておけばいい。

 

物乞いにお金をあげることは、善でもないし、偽善でもない。

 

物乞いにお金をあげないことは、正義でもないし、不義でもない。

 

 

 

 

 

 

私は、もう、これを読んだときに、あ、もう悩まなくていいんだって思った。

 

お金があるときにあげよう。

 

お金がないときには断ろう。

 

シンプルな考え方に至った。

 

誰の目を気にすることもなく、物乞いとシンプルな付き合い方ができるようになった。

 

 

 

まあ、この時はそんなシンプルな考えを持ち合わせていなかったから、相当悩んでしまったのだけど…。笑

 

 

 

 

 

 

子供たちが去って行ったら、ちょうど、かじことゆずる、ブレイが戻ってきた。

 

3人の顔を見てちょっと安心した。

 

 

 

よし!がんばろ!!!

 

って立ち上がった瞬間だった。

 

 

 

さっきの子供たちが7人ぐらいになって戻ってきた。

 

「この子たちの分もください」

 

えー!!

 

マジでーー!!

 

なんで人数増えてんのーーー!!!!

 

無理、無理、さっきあげたじゃん!!!

 

 

 

 

「こいつら、キリがないな!」

 

「さっき、俺、お金あげちゃったんだよね」

 

 

ゆずるがあっけらかんと言った。

 

 

「え!私も!」

 

「え!あんなにあげないって言ってたのにバカじゃん!お互いに!」

 

 

私が笑って言うと、

 

 

「だな!俺たち、カモられてんな!人数、増えてんぞ!」

 

ゆずるがゲラゲラ笑った。

 

 

「え?なになに、どういうことー?」

 

笑い合う私たちにかじこがついていけなくて、キョトンとしていた。

 

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

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"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

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JUGEMテーマ:インド

ヒジュラ、現る!

前回ブログで、よくわかんない非言語コミュニケーションについて熱く語ってブログの読者を引かせてしまった私だけど、今回はちゃんとインドの話をしますのでお許し下さい〜。笑

 

 

ということで、インドの寝台列車で膨大な時間を持て余すわけで、私たちはインド人とおしゃべりしたり、読書したり、車窓を見たり、昼寝したりして過ごしていた。

 

昼過ぎにパトナ駅に到着するという予定だったけれど、ブレイが言うには列車が遅れているらしい。インドの列車はよく遅れるから、今日も数時間は遅れるかもしれないということだった。

 

 

 

そんな話をしていると、突然きれいなサリーに身を包んだお姉さん軍団がやってきた。

 

4、5人いたと思う。

 

顔の近くで手を二回大きく叩いて、何か大声で言い始めた。

 

その声にビックリした。

 

あまりにきれいだったから女の人だと思っていたけど、声は完全に男の人だった。

 

 

何か言い終わると、また同じように手を2回叩いて、乗客の男性に手を出して何か要求し始めた。指にお札を何枚か挟んでいて、どうやらお金を要求しているらしい。

 

男の人が無視をしていると、いきなりその人の股間をグイっと掴んだ。

 

 

まじかー。

 

そんなことあっていいのか-ー

 

もう、昼下がりのお茶の間が騒然。

 

 

私たちはあまりに突然の出来事過ぎて唖然とした。

 

 

 

けど、私たちが驚いたのは、公衆の面前で男性の股間をグイグイ掴むこの人たちじゃなくて、触っても怒らないし、むしろ仕方なしにみんなお金を払っていることだった。

 

ブレイも他のインド人と同様、股間を触られて仕方なしにお金を払っていた。

 

 

 

その軍団の一人がゆずるの方に近付いて来た。

 

ええー!ゆずるにも来るのか…!

 

きっと、ゆずるも股間が縮む思いでいたと思う。笑

 

 

 

かじこと私は、ゆずる、がんばれ!って全力で応援して見ていたけど、その人がゆずるに触れようとした瞬間にブレイがその人に対して何か言ってくれたおかげで、ゆずるは何もされることなく放免された。

 

ヒンディー語だったのでよくわからなかったが、ブレイはきっと、その子は外国人だからわからないからやめてあげて、というようなことを言ってくれたんだと思う。

 

 

 

軍団が去った後、

 

「怖かった〜、マジでビビった〜。俺、もう絶対に掴まれると思ったよ」

 

と、ゆずるが冗談交じりで言った。

 

「いや、あの人たちめっちゃ掴んでたね」

 

私が言うと、かじこも大きく頷いていた。

 

 

動揺している私たちの様子を見かねてか、私の隣に座っていたブレイがさっきの『股間お触り軍団』について説明をしてくれた。

 

 

「彼らは、『ヒジュラ』と言って、男性でも女性でもない存在で神様の使いをする聖なる者なんだよ。手を叩いて言っていたのは、ヒンドゥー教の敬虔な祈りの言葉で、それを言われたらお布施をしなきゃいけないんだよ」

 

「男性でも女性でもないってどういう意味?」

 

「男性器もあって女性器もあるっていうことだよ。逆にどっちもない人もいるんだよ」

 

 

この時、英語で話していたせいもあって、全くピンときていなかったけれど、両性具有または半陰陽(インターセックス=IS)のことだと後々わかった。

 

日本で、ISがメディアや本で大きく取り上げられたりするのは、最近の話であって、昔はタブー感があった。実際に、私は大学でジェンダー論の授業を受けるまでISの存在を知らなかったぐらいだ。

 

 

(私だけが知らなかったのだとしたら…、無知ですみませんっていう気持ちですが…)

 

 

もし、私のブログを読んで初めてインターセックスについて知った方がいたら、興味本位とかじゃなくて、性の多様性を知る勉強する意味でこの本を読んで見てください。

 

≪橋本秀雄著『男でも女でもない性ーインターセックスを生きるー』≫

 

 

 

日本より発展途上なインドで、ISの存在が一般庶民にまで理解されていて認められていることの不思議さに驚いた。

 

だから、この時も、ブレイの口からインターセックスの話が出るなんて思っていないから、最初はヒンドゥー教の神話の話でもしてんのかな、なんて思っていた。

 

けれど、インドでその存在を広く知られているからといって、ヒジュラが尊い存在として扱われていたのは遠い昔の話で、現在は、男娼のようなことをしたり、物乞いをして生活をしていたり、差別的な扱いをうけることの方がほとんどのようだ。

 

ヒジュラもハンセン病回復者と同じで、ヒジュラになった時点でアウトカーストになるので、普通の職業には就けない。ヒンドゥー教の儀式に携わったりして、聖者として尊い扱いを受けているのなんてほんの一部で、多くは駅や列車で物乞いをしているのだ。

 

ブレイはお布施といったけど、あれは食べていくのに必死なヒジュラの唯一の物乞いの方法でもあるんだと私は思った。

 

 

 

 

インドの列車には、ヒジュラの他にもいろんな物乞いが乗ってきた。

 

杖をついた片足のないおじいさん。

 

両目が見えないおばあさん。

 

歌を歌ってはお金を下さいっていう火傷のケロイドが身体の半分にある少女。

 

足元のゴミを掃除してはお金を下さいっていう餓えてガリガリの小さな子供たち。

 

 

 

 

インドに来る前に、物乞いにお金をあげるとキリがないからあげないって決めて、心を強く持って、ノー!って言わないとダメだよ、と友人に言われていたけど、断る度に心が痛んだ。

 

 

けれど、子供たちは私たちの薄っぺらな考えをすべて見透かしているかのように、私たちの体をゆすってお金を恵んでもらえるように懇願してくるのだ。

 

私は、とうとう、我慢できずに歌やゴミ掃除をしてくれた子には1ルピーとか2ルピーをあげてしまった。

 

それが自分の良心の呵責から逃れたいためであって、決して正義ではないことは十分にわかっていたけれど、そうせずにはいられなかった。

 

私は、車窓から見ていてもすぐわかるほど、いろんなところに点在するスラム街と、この列車の中に頻繁に物乞いに来る人々を見て、インドの経済格差はどこまで闇が深いんだと恐怖すら感じた。

 

 

 

私たちがインドで為すべきことはハンセン病の差別問題だけなのだろうか…。

 

もし、そうでないとすれば、この凄まじい数の貧困に喘ぐ人たちをどうやって助けられるのだろうか…。

 

 

 

列車の旅は、インド人たちと触れ合って楽しい反面、こうして私たちに徐々に暗い影を落としていったりもした…。

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

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JUGEMテーマ:インド

ようちゃん

前回ブログで、列車の中でタバコを吸って運悪く捕まってしまったゆずる…。けど、私たちは3歩あるくと忘れるというハト並みの脳みそなので、、数時間後には笑い話となっていた…。

 

 

 

ゆずるのタバコ事件も一件落着して、相変わらず各々下痢と闘いつつも、列車に揺られる時間を楽しんでいた。

 

私は、この寝台列車に乗っている時間がすごく好きで、インドで一番好きな時間かもしれない。

 

この列車の中ではいろんな人間ドラマが垣間見れるし、隣同士になったインド人の家族と仲良くなったり、いろんな事件が発生すると、同じ車両に乗っている人たちで妙な連携感が生まれたりする。

 

ゆずるのタバコ事件のあとも、一緒になって警官の悪口を言ってくれる人や急に話し掛けてくるインド人たちが後を絶たなかった。

 

きっと、ゆずるが連行されてきたとき、みんな張り詰めた空気に一緒になって固唾をのんで見守ってくれていたんだと思う。

 

 

 

インド人のこういう人懐っこさと世話焼きなところ、この後、寝台列車に一人で乗る度に感じることになるのだけど、私はすごく好きだ。

 

特に非言語コミュニケーションの中で、お互いを尊重し合いたいという気持ちが通じる瞬間が好きだ。

 

 

 

 

なんで、そんなに私が非言語コミュニケーションにほっこりきちゃうのかといえば、

 

全然インドに関係のない私の幼少期にまで話は遡って、

 

 

(急に?笑)

 

 

私が子供の頃、自分が思っていることを親にうまく伝えられなくて、親もそれが理解できなくて、額面通りに受け取る母親によく怒りや悲しみを覚えていたことがある。

 

私はいまでは想像もできないかもしれないけれど、言語習得も異常に遅かったし、小学校2年生まで、親が心配するほどしゃべらなくてコミュニケーションが取れない子供だった。今だったら、もう精神科で変な病名をつけられてもおかしくないほど、発達が遅かったと思う。

 

(え?十分想像できるって?)

 

(こらっ!!!)

 

こういう思っていることをうまく伝えられないというジレンマを経て、どうやったらうまく伝えられるようになるかを子供は学習して言語を習得していくのかもしれないけど、

 

この、まだ言葉をきちんと伝えられないときに、私に非言語コミュニケーションをしてくれた大人がいた。

 

私の家は和菓子屋をしているのだけど、その和菓子屋に働きに来てくれていた『ようちゃん』というおじさんだった。

 

『ようじろう』という名前だったから、みんなに『ようちゃん』と呼ばれていて、ようちゃんは、本当に無口で余計なことはほとんどしゃべらない人だった。

 

 

 

その当時の私は、『おはよう』と『こんにちは』の違いがわかっていなかった。

 

(え?バカなの?ってそうなんです。笑)

 

 

何時までが『おはよう』で、何時になったら『こんにちは』なんだろう。

 

これを明確に説明できる大人がいたら、逆にすごいと思う。

 

だって、そんなルールないから。笑

 

 

うちの母親は案の定、適当に、『朝起きて12時までがおはようございます、12時過ぎたら、こんにちはでいいじゃない』なんて言って、11時頃に会った近所のおばさんに『あきちゃん、こんにちは!』って言われて、私が余計混乱したことなどきっと知りもしないのだろう。

 

 

大人なんてみんな適当だ。

 

私が上手くしゃべれないからって、みんなで子供扱いして。

 

『おはよう』と『こんにちは』の正しい使い方も説明できないのに、私のことバカにして。

 

大人はみんなバカだ。

 

言葉がしゃべれるだけのバカだ。

 

小学2年生の私は本気でこんなことを思っていた。

 

 

 

うちの家は、朝起きて、まずは大きな声で『おはよう』とあいさつをしないと、物差しか柄杓(ひしゃく)で頭をブッ叩かれるような家だったのだけど、11時頃に起きた場合、この『おはよう』は果たして合っているのか…、

 

ある朝、11時というかなり遅い時間に起きて、

もう、私は本気で悩んでいた。

 

『こんにちは』って家族に使っていい言葉なのかな?

 

お姉ちゃんたちは『おはよう』としか言ってないけど、『こんにちは』は誰にいつ使うの?

 

混乱したまま、みんながいる居間に行った。

 

私は、『おはよう』って言おうと決めていたけど、いざ、目の前にみんながいると思うと、何を言っていいのかわからなくなった。

 

モジモジしていると、

 

『朝起きてきたら、おはようでしょ!! 何回言ったら、ちゃんとあいさつできるようになるの!?』

 

母親が私を叱りつけた。

 

 

 

あーあ、また、やってしまった。

 

怒りと悲しみが沸いてきて、私は踵を返して庭に行った。

 

 

 

庭で泣いていたら、ようちゃんがにゅっと現れた。

 

 

 

「言おうと思っとったんやら」

 

 

「わからんやつは放っておけ」

 

 

 

ようちゃんはそう言って、ごつごつした手で頭をぐりぐり撫でて、去っていった。

 

 

ようちゃんはそれからも何にも言わないし、私も何にも言わないけど、私が庭で泣くたびにそのごつごつした手でぐりぐりしてくれた。

 

ようちゃんは庭によくいたし、私もよく庭にいた。

 

無言でうちの庭の木を手入れしているようちゃんが大好きだった。

 

無言でタバコを吸っているようちゃんが大好きだった。

 

 

 

 

私がタバコの匂いが嫌いだけど、タバコを吸う人を嫌いになれないのは、ようちゃんがきっと影響していると思う。

 

ちなみにようちゃんと会話したことは数えるほどしかない。笑

 

私が生まれて今まで、ずっとお世話になってきたのに、全部ここで内容を言えるぐらいの会話しかしたことがない。

 

 

 

 

非言語コミュニケーションには限界があると思う。

 

それは私もわかる。

 

でも、ようちゃんは、母親ですらわかりかねていた言葉が上手く話せない私の、その当時の一番の理解者だったことは事実だ。

 

 

 

 

私には、今でも自分の本当の気持ちを言語で表現するのが苦手な部分がある。だからこそ、幼少期のように非言語コミュニケーションで気持ちが通じ合えたときは、気持ちがほっこりしてしまう。

 

非言語コミュニケーションの方が優れているなんてバカなことは全く思わないけれど、非言語コミュニケーションには、相手のことを絶対に知っているという論拠がないだけに相手に対して謙虚になれるし、大胆にもなれる側面がある。

 

 

 

(でも、私はもっと英語の言語コミュニケーション能力を身に付けた方がいいと自分でも思っているけれど!笑 ←ちなみに、これが原因でこの数日後、かじこにブチ切れられて大喧嘩に発展することになるのだけれど…、それはまた、後日のブログで。)

 

 

 

 

と、まあ、インドの列車からずいぶん話が遠のいてしまったけれど、私は、インドの列車に揺られながら、この時も有り余る膨大な時間をいろんなインド人たちと非言語コミュニケーションしたり、言語コミュニケーションしたりして、初めて見たり聞いたりするものにビックリしたり、笑ったり、楽しい時間を過ごしていた。

 

ただ、インドの列車は楽しいだけじゃない暗い影もきっちりと私に落としていってくれたのだけど、その原因となるインドの列車に乗ってくるカオスな人々については、また次のブログで〜。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:インド

汚便所ガール

前回ブログで、初めての寝台列車でテンション上がりながらも就寝した私たち…。

 

 

翌朝、電車に心地よい揺れの中で寝ていた私たちは、パーニー!パーニー!というけたたましい声で突然起こされることになった。

 

なんだ、なんだ。

 

朝からうるせーな。

 

起きて見ると、水を売りに来たおじさんたちだった。

 

『パー二―』とは、ヒンディー語で『水』のこと。

 

たぶん大きな駅に着いたみたいで、がやがやと人もたくさん乗ってきた。

 

 

 

起き上がると、急にもよおした。

 

あ、いろいろ急に。

 

 

 

軽い腹痛を覚えながらトイレに行くと、見事に下痢だった。

 

そこからは、激痛との闘いだった。

 

私は、インド出国直前から便秘になっていて、全然出ていなかった。

昨日の午前中に緩い下痢が襲ってきていたが、ここにきて全部が出そうな予感がした。

 

出そうな予感なんてもんじゃない。

 

ラッパを吹いた陽気なオヤジが腹の中で踊り狂って、うるさいくらい、下痢、行くよーーー!!!って言ってた。

 

 

 

 

思えば、この下痢…。

 

あのラッシーからスタートしている。

 

昨日のビリヤーニが絶対後押ししている、ゆで卵がいいかんじに半熟っぽかったし…。

 

そんなことを考えながら、闘っていた。

 

 

 

インドの列車のトイレは死ぬほど汚い。

 

いわゆる水洗式じゃなくて、穴が開いていて線路にそのまま垂れ流す方式なので、穴に上手く入らなかった汚物がそこかしこに飛び散っている。

 

なるべくこんなところには長時間いたくないというのが本音だったが、そうもいかない。

 

お腹が痛すぎて、どこかにつかまりたいのだが、どこも汚過ぎて触りたくない。

 

 

躊躇している私をあざ笑うかのように、停車していた列車が突然動き始めた。

 

バランスを崩した私は、汚い壁に頭ごと激突した。

 

 

ファッーークッ…!!!!!

 

 

列車にとてつもない怒りを覚えた。

 

頭には絶対、何か付着したと思う。

 

足には、自分のお尻から出ている何かが付着した。

 

 

私は痛みと闘いながら、この列車と汚便所に対して、言える限りの悪態をつきながら、付着物をウェットティッシュでふき取った。

 

絶対にきれいになっていない。

 

そう思ったけれど、また、痛みのビッグウェーブがきたため、仕方なく踏ん張る体勢に入った。

 

もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓って、目の前の汚い水道管のポールを鷲掴みにした。

 

 

30分以上の闘いの末、第一陣が出た。

 

 

 

疲労困憊でトイレを出ると、インド人がトイレを待っていた。

 

いや…待って下さい。

 

このまま入ったら、日本人ファックってなるぐらい臭ってますから…!!!!

 

 

「ウェイト、ウェイト!(待って、待って!)」

 

 

って言いたくなったけど、もうどうしようもなく…、観念して座を明け渡して、私はそそくさと座席に戻った。

 

座席に戻ると、みんな、起きていた。

 

 

「トイレ行ってたの?遅かったね」

 

そう爽やかな笑顔で問いかけるかじこに、

 

「とうとうやってきたのよ、あいつが」

 

「下痢?」

 

「そう、この列車のトイレ、死ぬほどヤバいからみんな油断しちゃダメだよ」

 

うんこの菌を頭とか足とかにいっぱい付けてることは内緒にした。

 

 

「私も下痢なんだよねー」

 

「あ、俺もー」

 

ゆずるとかじこにも魔の手が伸びていた。

 

 

「ビックウェーブきた?」

 

「まだだよ。たぶん、これからってかんじ」

 

 

「ここのトイレはね、絶対油断しちゃダメだから!ビックウェーブ迎えるときは特にね!」

 

2人は、意味のわからない忠告をする私をポカンとして見ていた。

 

私はこの後もトイレに行ったり来たりを繰り返して、どうにか全部を出し終えた。

 

 

 

私が下痢と格闘している頃、かじこやゆずるも小波を感じていたらしく、そわそわしていた。

 

かじこがタバコを吸うと下痢がスムーズに出るんだよ、とかよくわかんないことを言って、列車のつなぎ目でタバコを吸いに行ったりしていた。

 

「てか、列車の中でタバコ吸えるの?」

 

と、ビックウェーブから生還した私が聞くと、

 

「たぶんダメなんだろうけど、インド人たちみんな吸ってるんだよね」

 

と言っていた。

 

 

インドの列車のつなぎ目は、日本みたいにうねうねの蛇腹のカバーみたいなのがないので、落っこちたらジ・エンドってかんじで解放感に溢れている。

 

その車両のつなぎ目でみんなやりたい放題やっている。

 

インドでは公共の場ではタバコを吸ってはいけないという禁煙法という法律があって、列車ももちろん公共の場なのでタバコを吸ってはいけないのだけれど、このつなぎ目でインド人たちはバカスカ吸っていた。

 

タバコを吸う派のかじことゆずるは、18時間近くも列車に拘束されていて、下痢でトイレに行く度にタバコの匂いを嗅いで、我慢の限界にきていたらしい。

 

かじこは持ち前の怖いもの知らずなかんじで、下痢の合間にインド人たちとしゃべりながらつなぎ目でタバコを吸っていた。

 

かじこが帰ってくると、ゆずるも我慢できなくなったのか、タバコを吸いに行った。

 

下痢、タバコ、下痢、タバコ、下痢、下痢…。

 

そんなローテーションだったのかもしれない。笑

 

 

 

時が経って、下痢の痛みから解放された私は列車でブレイとかじことおしゃべりしたり、景色を見たりしながらまどろんでいた。

 

 

≪下痢と格闘しつつも、まどろむ可愛いかじこ。笑≫

 

 

 

その時だった。

 

 

 

ゆずるが銃を持った警察官2人に連れられてやってきた。

 

ゆずるは泣きそうな顔をしていた。

 

全然何が起こったのかわかならかった。

 

 

 

「俺がタバコを吸っているのを見つかったんだ」

 

と、ゆずるがうな垂れて言った。

 

 

えーー!!!どうなんの!?

 

その警察官がブレイに対してヒンディー語で何かまくし立てている。

 

そして、今度はブレイが連れていかれてしまった。

 

私たちは固唾を飲んで、ブレイが帰ってくるのを待っていた。

 

ブレイ、今までのこと全部水に流すから、お願いだからゆずるを守って!!!

 

そんな祈るような気持ちでブレイを待っていた。

 

 

 

しばらくして、ブレイが警官2人と一緒に戻ってきた。

 

かじこと私が、ブレイに、

 

「なんて言われたの??」

 

と不安げに聞くと、

 

 

「彼を牢屋に連れて行くって。でも罰金を払えば見逃してやるって言ってる」

 

ブレイは困った顔をして答えた。

 

 

「罰金っていくらなの??」

 

「800ルピーだよ」

 

 

まじか…。

 

でも、日本円にして、たかだか1,600円をケチって牢屋なんかに入れられている場合じゃない。

 

「ゆずる、諦めてすぐ払いな!」

 

もう、貧乏旅行のゆずるにとってはすごく痛い出費だったろうけど…。

 

 

警官は、800ルピーを受け取ると、去って行った。

 

 

 

「インド人はタバコを吸っても捕まらないけど、君たちは外国人だから、インド人と同じようにタバコを吸っていたら捕まるんだよ」

 

ブレイが去って行く警官に聞こえないように小さな声で言った。

 

「外国人を捕まえると、牢屋に入れられるのが嫌だからみんなお金を払うだろ、だから、罰金を目当てに外国人ばかりを狙って逮捕するんだよ。君たちが払った罰金は彼らの懐に入るっていう仕組みだよ」

 

なんちゅーこった。

 

そういうことか。

 

インド人と外国人は、そんな風にも分けて考えられているんだな…と、私たちがインド人たちと同じように振る舞っても、この国では明確な線があって同じじゃないんだな…と、改めて痛感した。

 

ゆずるが言うには、一緒に吸っていた5、6人のインド人たちには何も言わずに自分だけが連行されたということだった。

 

 

かじことゆずるに、もう危ないから列車でのタバコは絶対にやめようね、と伝えた。

 

かじこもゆずるも、頷いた。

 

 

 

ゆずるがブレイに謝ると、

 

ブレイは、

 

「俺は何もしてないから、気にしなくていいよ!大したことないから落ち込むな!」

 

と言ってゆずるを励ました。

 

 

警官2人に連れられていく時も、心配しなくていいよって目線で合図してくれたり、今日は何だかブレイのことをちょっとだけ見直したし、頼りになるなって思った一日だった。

 

 

 

まあ、ブレイはそんな良い印象もすぐに覆してくれるんだけどね…。

 

それはまた、明日のお話〜。

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

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JUGEMテーマ:インド

乗車率200%超えのインド列車の旅

前回ブログで、ビハール州の案内人のブレイと一緒にラール・キラーの観光を終えて、ニューデリー駅まで戻った私たち…。

 

 

 

いよいよ、ニューデリー駅からビハール州のパトナ駅まで寝台列車で向かうことになった。

 

最初はブレイの住むコロニーに向かうということで、ブレイのコロニーはビハール州の最北端にあって、ネパールとの国境近くだった。

 

明日の昼過ぎにパトナ駅に到着して、そこからさらに別の列車に乗り換えて、夕方くらいの到着になるということだった。

 

ニューデリー駅に到着した私たちは、初めてニューデリー駅のホームに降り立った。

 

ニューデリー駅には300を超える列車が毎日発着していて、ホームの数は18個もある。

だから、もう人がわんさかいて、普段ゆったりモードのインド人たちも足早に歩いたりしていて、すれ違ったときにぶつかりそうになって緊張感がすごかった。

 

かじこやゆずるは、初めての列車にテンション上がって楽しそうにしていたけど、私は慣れていない場所に行くと、もう、チキン過ぎて緊張感がマックス状態になった。

 

 

これがホームの様子。

 

 

このインド人たちの人混みを歩いて、後々気付くことになるのだけど、スレスレの距離を歩いてわざとぶつかってくる人がたまにいる。

 

 

これは、2種類あって、1つがただの痴漢。

 

もう1つがスリ。

 

 

痴漢は、ぶつかる瞬間にヒジをぐいっと出して、女性の胸にめり込ませてくる。

 

あくまでぶつかっただけの事故ですってかんじを装ってくるから、最初はよくわからなかったのだけど、私が避けても踏み込んできたのを見て、ああ、これは痴漢なんだと悟った。

 

ただね、このヒジぶつかり痴漢は、女性にとっては本当に痛い。

 

ぶつかる瞬間にうまく避けないと、ヒジを胸にぶつけてくるわけだから、例えるならラリアットくらったみたいな衝撃が胸に響くわけなんです。

 

外国人女性は特に狙われるので、お気を付けあれ。

 

 

あと、もう1つがスリ。

 

ぶつかった瞬間にポケットのスマホとか財布とか、あらゆるものを盗まれる。私たちは、中国でもこの手のスリにやられてきたので、スマホや財布をそんなところに入れたりしないから問題なかったけど、もうこれは万国共通のプロの技なので、やられたら全く気付かない。

 

海外に行くときには絶対にポケットにスマホや財布を突っ込んだりしないように、お気を付けあれ。

 

 

 

とまあ、ぶつかってくるインド人たちにチキンな私はイライラしながら、ホームに到着している列車に乗り込んだ。

 

緊張していたけど、初めての寝台列車にワクワクもしていた。

 

 

 

 

インドの列車は、等級が分かれていてそれによってチケットの値段が変わる。

細かく言うと、もっとたくさん等級があるんだけど、一般的なクラス分けは以下の通り。

 

 

【AC1クラス】

⇒エアコンがあって、部屋にカギがかかる。枕、毛布、アメニティが支給されて、食事も豪華なものが出る。

 

【AC2クラス】

⇒エアコンがあって、プライバシーが守られるように仕切りカーテンがついている。枕と毛布が支給されて、食事も出る。

 

【AC3クラス】

⇒エアコンがある。枕と毛布が支給されて、食事も出る。

 

【スリーパークラス】

⇒エアコンはない。寝るシートはある。

 

【セカンドクラス】

⇒エアコンもないし、寝るシートもない。イスが木製でシートがないからお尻が痛くなる。予約が不要なチケット。

 

 

 

私たちは事前にベヌさんから列車のチケットを予約するけど等級はどれがいいかと聞かれていて、この中のスリーパークラスを選んでいた。

 

値段は大体一人600ルピーぐらい。

 

ニューデリー駅からパトナ駅までの移動距離を考えたら、めちゃくちゃ安い。

 

 

 

ここが俺たちの座席だよ、とブレイが言った。

 

座席を見ると、3人掛けのシートにインド人たちが6人くらい座っていた。

 

え??ここ?インド人座ってるじゃない…。

 

 

ブレイがそのインド人たちに、ここは俺たちの座席だよ、とチケットを見せて言うと、6人のインド人たちが何やらがやがや話し始めて、そのうち3人がその席からどいた。

 

どうやら、誰が席を立つかを話し合っていたらしい。

 

え?え?待って。

 

いや…、てかね、

 

ここは3人掛けのシートで、私たち3人が座るシートなんだよ。

 

なんで、まだ3人座っているの??

 

 

疑問に思ってブレイに聞くと、寝る時間になったらいなくなるよ、気にしなくていい、ということだった。

 

 

いや、気になるがな。

 

こんな3人掛けのシートに6人でぎゅうぎゅう詰めで座って、この人たちは一体何??ってなったよね。笑

 

 

どうやら、この自分のシートじゃないのに座っている人たちにもいろいろ種類があるみたいで、

 

 

まず、1つ目が、ウェイティングチケットというチケットを持っている人たち。

 

これは、鉄道会社が少しでも多くのお客を乗せて利益を取りたいのか、見込みでこれくらいのキャンセル者(チケットを購入したけど当日何らかの事情で乗らない人)が出るだろうという数を出して、その数分のチケットを販売するというもの。このチケットを購入した人は、シートは確保されていないけれど、列車に乗る権利は与えられている。

 

だから、発車間際は座る場所がないし、当日キャンセル客が出ない場合はずっと座る場所も寝る場所もない。どこがキャンセルになっているかがわからないため、検札にきた車掌さんに掛け合って空いている座席を聞くしかないのだ。

 

 

2つ目が、短い距離を乗る人たち。

 

これは、寝る時間になるまでに目的地に到着する人たちが普通チケットで乗ってくるということ。あり得ない話だけど、座席指定のないチケットで買って乗ってくるので、スリーパークラスとセカンドクラスだったら、どっちに乗っても良いというシステムになっている。ちなみにこのチケットで、AC1〜3クラスは絶対に乗れないようになっている。

 

 

3つ目が、セカンドクラスチケットでスリーパークラスにちゃっかり乗っている人たち。

 

これは、セカンドクラスのチケットだと、イスが木製なので長時間座っているとお尻が痛くなるので、どうせどちらも混み合っているなら、スリーパークラスのシートに座ろうという魂胆の輩たちがいるということ。夜になると、セカンドクラスの座席の方に帰っていく。

 

 

4つ目が、単なる無賃乗車の人たち。

 

たまにいるが、検札にきた車掌さんにこっぴどく叱られて、お金を払うように言われている。検札の車掌さんに見つからなかったら無賃で乗れてラッキーということなのだ。

 

 

 

まあ、そんなやつらがいるので、スリーパークラスとセカンドクラスの座席は乗車率200%超えてるだろっ!っていうぐらいの人たちで大体いつも溢れ返っている。

 

ちなみに余談ですが、この4つの乗車方法、私、インドでやったことあります…。笑

 

止むにやまれぬ事情によって、この4つの乗り方をコンプリートしたとき、ああ、私はいろんな意味でインド人になってしまったと思ったし、その後、私の予約した席にぐいぐい座ってくるインド人たちにめちゃくちゃ優しく接するようになった。笑

 

 

 

でも、この時の私はそんな事情など知らないし、自分の予約した席にぐいぐい座ってくるインド人に対して、もうちょっと遠慮しろよ!って思ったりしていた。

 

そんなこんなで、シートにぎゅうぎゅう詰めのまま、列車が発車した。

 

 

ぎゅうぎゅう詰めだけど、インドの列車から見る景色に私は心を奪われていた。

 

キレイな景色というより、最初はデリーの混沌とした街並みが流れていた。

1時間もすると、街並みじゃなくなって、草原になった。

 

 

 

 

インドのスリーパークラスの窓はガラスがないので、外の空気が思いっきり入ってきて、それが気持ちいい。電車酔いをする私も、この列車なら全然大丈夫だった。

 

(ちなみにこの電車の窓からの風に当たっていると、知らないうちにいろんなホコリやゴミがついて髪がバサバサになるので、髪を美しく保ちたい人にはお勧めしない。笑)

 

 

発車したのが夕方だったので、乗って数時間が経つとすぐに車窓は暗くなった。

 

 

その頃になって、お腹が空いていることに気付いた。

そういえば、私たち、クッキー以外何も買ってないじゃない…。

 

 

そう思った頃に、チェックの服を着た車内販売ボーイがやってきた。

 

ブレイは車内販売ボーイを呼び止めて、何かを頼んでいた。

注文制のカレーセットみたいなのを頼んでいて、アキたちもいるか?と聞いてきた。

 

何が出てくるか不安だった私たちは、そのカレーセットを回避して、何を食べるか相談し合った。

 

 

やはりここはフードリーダーかじこの出番!

 

かじこは、インドのターメリックなどのスパイスと一緒に炊き上げたインドの炊き込みご飯であるビリヤーニをチョイスした。

 

「私、前回の旅行で食べたことあるけど、美味しかったよ、食べようよ!」

 

もう、かじこに食べ物のことを語らすと、すごく食べたくなってしまうから不思議。笑

 

 

三人でビリヤーニを2つ頼んでシェアした。

私とゆずるがずっと食べたいと言っていたサモサという茹でたじゃがいもとスパイスを混ぜて揚げたものも3つ頼んだ。

 

サモサは揚げたてじゃなかったけど、サクサクで本当に美味しかった。

ビリヤーニは半分にした茹で卵が入っていて、私はそんなに悪くないなと思ったけど、ゆずるは味がしないと言っていた。

 

 

 

 

 

ビリヤーニを堪能して、お腹も膨れた私たちがうとうと仕掛けた21時頃、ブレイがそろそろ寝よう!と言って、立ち上がった。

 

 

 

インドの寝台列車のスリーパークラスは、三段式のベッドになっていて、一番上と下は固定されているが、二段目が畳まれているので、持ち上げてベッドにするのだ。

 

つまり、昼間は、一段目(アッパー)は荷物置き場になっているか人が座っているか寝ているかしている。二段目(ミドル)はシートの背もたれになっている、三段目(ローワー)はシートとして人が座っているという構造なのだ。

 

一段目(アッパー)の座席番号の人は、いつでも自由に寝ることができるが、二段目と三段目は、どちらかが寝たいと思ったら、合わせて寝ないといけないし、どちらかが起きたいと思ったら、合わせて起きないといけない。

 

私は、インドを一人で移動するようになってからは必ず一段目(アッパー)で予約するようになった。

 

 

 

背もたれになっていた二段目を持ち上げて、二段目を作って、私たちは就寝の準備に取り掛かった。

 

私たちが寝る準備に取り掛かる頃には、3人掛けのシートに6人ぐらい座っていたのが、4人ぐらいになっていた。その残りの1人も二段目を持ち上げたら、そそくさとどこかに行ってしまった。

 

 

おやすみなさーい!

 

 

初めての寝台列車で、私たちはテンションが上がって興奮してなかなか寝付けないでいたのであります…。

 

 

≪寝る前のゆするとかじこのサービスショット♪≫

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

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仁義なき闘いの始まり(私VSブレイ)

前回ブログで、メインバザール付近の観光を楽しんだ私たちは、今日はいよいよビハール州にあるコロニーに向けて出発するのであります…。

 

朝起きて、お腹のゆるみに気付いた。

 

ん?下痢かな?

 

たぶん、みんな薄々そう感じていたと思う。

 

でも、私たちは感じてないフリをして、各々の支度をした。

 

 

 

今朝、ベヌさんから電話があって、今、ビハール州のコロニーリーダーと一緒にいるから、13時にホテルのロビーに行くよ、ということであった。

 

私たちはそわそわしながらも朝食を食べ、必要なものを買って、荷物のパッキングを終えて、ホテルのロビーで準備万端の状態で待っていた。

 

このホテルの下にはカフェがあって、パンとお土産物を売っている。

お昼は簡単にこのカフェでパンでも食べて、ベヌさんたちを待とうかという話になった。

 

このホテルはイマイチだったけど、ここのカフェのパンはなかなかインドにしてはクオリティが高かった。

 

シナモンロールやピザパン、バナナパウンドケーキ、紅茶パウンドケーキ、チョコレートブラウニーなどがあった。

 

全部、日本のパンと比べたら、もどき感がすごいけど、全く食べれないというような代物ではなくて、普通にインドクオリティだと思えば美味しかった。

 

みんなでパンを食べながらチャイを飲んで待っていると、30分ぐらい遅れてベヌさんが現れた。

 

マリオカートボーイ(※前回ブログ『お犬様事件』参照)とマリオっぽいヒゲの男を従えていた。

 

ベヌさんがマリオっぽいヒゲを指して、ビハール州のハンセン病コロニーのリーダーをしている人で、君たちをビハールのコロニーに案内してくれる予定だよ、と紹介してくれた。

 

マリオと握手して、自己紹介してからマリオの名前を聞いた。

 

「○×■△◎だよ」

 

「ん?」

 

「○×■△◎だよ」

 

「んん??」

 

「○×■△◎だよ」

 

「んんん???」

 

全く名前が聞き取れない私たちに、

 

「わかった、じゃあ、ブレイって呼んでよ。これは俺のニックネームだから」

 

とマリオが提案した。

 

「おー、それは非常にわかりやすいニックネームですね、じゃあ、ブレイで!」

 

 

ということで、マリオ改めブレイとこの日から旅をすることになった。

 

 

余談だけど、このインド人特有の英語のなまりは本当にクセがあって聞き取りづらいのだ。英語ができるかじこですら聞き取れないことが多くて、当初は本当に苦労した。

 

このブレイは、ハンセン病回復者なので学校に通ったわけでもなく、他のインド人たちが話す英語を自己流で真似て英語を習得した人だから、なまりが特にきつかった。

 

 

「じゃあ、後はブレイが君たちをビハール州まで連れて行ってくれて、ハンセン病コロニーを案内してくれるのでよろしくね」

 

ベヌさんはそう言って、マリオカートボーイを引き連れて去って行った。

 

 

≪ベヌさんたちとアジェイで記念撮影≫

(真ん中)ベヌさん(右から3番目)マリオカートボーイ(右端)ブレイ

 

 

「ベヌさん、本当にありがとうございました!!バイバーイっ!!!」

 

 

ベヌさんを見送った後、カフェに戻ると、私たちの席にブレイがどかっと座った。

 

そして、これ何?とピザパンを指さして聞いてきた。

 

 

あまりの態度の豹変ぶりにビックリしつつも、

 

「ピザです」

 

と答えると、

 

「ピザを見るの、初めて。お腹が空いているから食べていい?」

 

と聞いて、ブレイは私の食べかけのピザパンをがぶっと食べた。

 

そして、

 

「まずい!もう要らない!」

 

と言った。

 

もう、食べかけをいきなり食べたことにも衝撃だったけど、その後の「まずい!」にビックリして、一同唖然とした。

 

あんなに私たちが美味しいねって言って食べていたピザを、インド人にまずいと言われる衝撃たるや、半端なかった。

 

 

私は動揺し過ぎて、

 

「これは本物のピザではありません。本物のピザはもっと美味しいです」

 

と意味のわからない反論をしたが、

 

ブレイはもう興味がなくなったのか、全く聞いてなかった。

 

 

 

そして、おもむろに胸ポケットをガサガサして、何か取り出して、手のひらで揉んで固めたと思ったら、口に放り込んだ。

 

 

それは噛みタバコだった。

 

噛みタバコとは、葉タバコを口に入れて噛みながら香味を味わうもので、ニコチンやタールなどの有害物質が唾液に直接溶け出すので口腔がんや咽頭がんになる確率が高く、日本では一般的には販売されていないが海外ではタバコの種類の一つとして定着している。

 

特に、インドでは、紙巻きタバコより、噛みタバコの方がライターやマッチも要らず安価であるため、低所得層の多くの人がこの噛みタバコを愛用している。

 

 

 

ブレイは、噛みタバコをくちゃくちゃ噛みながら、

 

今日の予定について話し出した。

 

今日は、16時半の寝台列車に乗って、パトナという駅に向かう。そして、明日の早朝にパトナ駅に到着したら、列車を乗り換えてさらに4時間ほど行くと、ブレイの住むコロニーの最寄り駅に到着する。そこから、トゥクトゥクで数十分走ると、ブレイのコロニーに到着する。

 

まずは、ブレイのコロニーを一番最初に見て、それから他のコロニーを訪問するということだった。

 

「今が14時だから、列車の発車時間まで2時間半もある。せっかくデリーに来たから、観光したい。そうだ、ラール・キラーが見たい!」

 

ブレイは、目を輝かせながらそう言った。

 

「ラール・キラー?」

 

ゆずるとかじこはぽかんとしていたが、地球の歩き方を熟読していた私はラール・キラーがデリーにあるムガル帝国時代の遺跡であることを知っていた。

 

「ここからだったら、確かオールドデリー駅の方にあったんじゃないかな」

 

3人で地図を広げて見た。

 

ラール・キラーは、ニューデリー駅から北の方に数キロ行ったところにあった。

 

じゃあ、時間もあるし行こうか。

 

立ち上がって、カフェを出た。

 

 

 

ブレイは、お店を出た瞬間、道端に噛みタバコをブッと吐き出した。

 

えぇ、ホテルの入り口なのに…!!!

 

 

私たちはブレイの振る舞いに驚き動揺しながらも、ニューデリー駅前で、トゥクトゥクに乗って4人でラール・キラーを目指した。

 

 

 

車中、私はこのブレイという男に連れられて旅をすることに一抹の不安を覚えていた。

 

ベヌさんがいなくなって態度が急変した件といい、

 

ピザの件といい、

 

噛みタバコの件といい、

 

この人が信頼できる真摯な人だとは、何となく感じられなかった。今からかなりデンジャラスな旅に出るのに付き添ってくれる人がちょっとデンジャラス感ある…という意味不明な事態に困惑していた。

 

 

そんな取り留めのない、おぼろげな不安を抱えながら、ラール・キラーに到着した。

 

 

ここがラール・キラー。

 

 

 

早速、ラール・キラーの入場券を買う窓口に言った。

 

 

窓口に行ってから知ったことなんだけど、外国人チケットとインド人チケットで値段が10倍以上も違うこと!!!

 

外国人はなんと、250ルピー!

 

インド人は、10ルピー!

 

 

私たちも貧乏なんです…、という悲しい気持ちはあったけど、この外国人だけ高いのはうまくできたシステムだなと、妙に納得してしまった。

 

インド人の人口の3分の一が貧困層で、日本のように入場料を一律同じ値段にしてしまったら、貧困の人たちは一生観光することができないし、逆に貧困層に合わせて安くしてしまったら、遺跡の補修など建造物の維持管理ができなくなってしまうからだ。

 

インドで遺跡を見る時は、入場料は日本と同じような金額を払わなきゃいけないと思っておけば、実際には、あら、ちょっとお安めね!という気持ちになれるかもしれない。笑

 

 

と、まあ、入場券を買って、いざ、ラール・キラーへ!

 

 

ラール・キラーは、タージ・マハルを築いたムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、デリーを流れるヤムナー川のほとりに1639年頃に建築した優美な城塞で、赤砂岩の城壁と門を持つことから「レッド・フォート(赤い城)」とも呼ばれている。

 

赤い城と呼ばれるだけあって、赤砂岩の城壁が本当に美しかった。

 

また、それを囲むように四方にある真っ白の建物が、赤い城壁と対照的なコントラストを描いていて、ああ、インドにもこんなきれいなところがあるんだなと思った。

 

お城の中の壁の造りも繊細で、インドらしい独特の模様が美しかった。

 

 

 

そんな建物のきれいさに目を奪われていると、初めてラール・キラーに来てテンションが上がったブレイが、写真を撮ろう!と言って、至るところで撮影が始まった。

 

 

 

 

 

ブレイは、ラール・キラーにずっと来たかったから夢みたいだと言っていた。

 

子供みたいにはしゃぐブレイを見てて、そんなに悪いやつではないのかな…と思いながら、写真をパチリと撮った瞬間、

 

 

 

ブレイが耳元で、

 

「美しい。君は、日本の女優のようだ。」

 

と囁いてきた。

 

 

 

たぶん、この写真はその瞬間だと思われる。笑

 

 

え???

 

あんた、目ついてんの?

 

てか、写真撮ってんだから前向けよっ!

 

 

 

もう、いろんなことを瞬時に思ったけど、

 

人生で一度も言われたことのないセリフを、耳元で今日出会ったインド人に言われて、私の脳は、聞かなかったことにしよう、という結論に至った。

 

 

 

そう思って歩きだしたけど、ブレイは聞こえていないと思ったのか、今度はまあまあ大きな声で同じことを言った。

 

かじことゆずるの耳にも届いたみたいで、2人がゲラゲラ笑い出した。

 

 

 

いや、笑うな、お前ら。

 

私も違うと思っているよ。

 

こいつ、何言ってんだ!って、変なこと言って笑いを提供してんじゃないよっ!!

 

と、キッ!っと睨んでも、

 

ブレイは全く意に介していないようだった。

 

 

 

インド人のキレイの基準が意味わかんないわ。

日本の女優ってブスって思われてんじゃないのかな。

 

もう、そんな疑念すら沸いてきた。

 

 

 

写真では、お伝えし切れないので付け足しておくと、

 

私はすっぴんだとまゆげないし、

そばかすという名のシミがたくさんある。

そして、ちょっとムチッとした小デブである。

 

(なんでこんな自虐をブログで言わなきゃいけないのか、もはや意味わかんないのだけど…。笑)

 

 

インドでは、ずっとすっぴんなのでブレイは本当に目が悪いとしか言いようがない。

 

 

 

そして、最後に、ブレイは2人に聞き取れないくらいの声で、

 

「そして、ナイスバスト!」

 

と言った。

 

 

てめー。

 

やっぱり、そっちか。

 

ナイスバディじゃなくて、そっちか!

 

 

数々のセクハラ親父を見てきたけど、大体適当にかわいいとか言って、見ているところは一緒なのだ。

 

(皆さん、察して下さい…。笑)

 

 

 

そんなエッチなセクハラおじさんブレイとのラール・キラー観光を終えて、私のブレイに対する警戒心はマックスになっていたのであります…。

 

 

後日談…、

 

この後、ブレイのことを心から尊敬できるようになる(=和解。笑)までに、私はかなりの年月を費やすことになるんだけれど、皆さま、ブログはずっと続きまして、ブレイはいずれ良いやつなんだってことがわかりますので、私VSブレイの成り行きを笑いつつ、ブレイのことを嫌いにならないように、私の暴言に目をつぶっていただきながら、どうか温かい目で見守っていただけると幸いです。笑

 

 

 

 

 

 

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バイブルか、かじこか、究極の二択

前回ブログで、メインバザールで初インド飯をリベンジしてほろ酔い気分でホテルに帰った私たちは、シャワーの冷たさに酔いもすっかり覚めて、ヒーヒー言いながら眠りに就いたのであります…。

 

 

メインバザール2日目、ビハール州のコロニーに向かうのは明日ということで、今日はデリー観光でも楽しんじゃおう!!ということで、私たちはまずは腹ごしらえに朝食を食べに向かった。

 

 

もちろん、フードリーダーかじこの采配が今日も冴えわたる。

 

「今日の朝は、ここに行こう!!」

 

そう言ってかじこが指を指したのは、Green Chilli(グリーン・チリ)というインド料理屋だった。

 

ここはメインバザールの右奥の方にある口コミでもかなり評判のお店だった。

 

「よっしゃ、行こう!!」

 

身支度をして、私たちは出掛けた。

 

着いたのがここ。

 

 

このお店は、カレーが本当に美味しいらしく、私たちはブランチだね、とか言いながら、朝からヘビーにカレーを2種類とチキンティッカ、チーズナン、スープとすごい量を頼んだ。

 

カレーは、ほうれん草カレーとエッグカレーにした。

 

もう、これがたまらなく美味だった。

 

ほうれん草カレーは、なかにチーズが入っていて、チーズナンと一緒に、チーズonチーズみたいなわけわかんない状態で、贅沢に食べた。

 

「うまーいぃぃぃーーーー!!!」

 

なんか、それしか言ってなかったんじゃないかっていうぐらい食べまくった。

 

もう、お店を出る頃にはお腹たぷたぷで、動けない、ギブ、ギブ!!って、意味わかんないこと言いながらも、観光に繰り出した。

 

観光に繰り出した私たちは、今後の渡航のためにも、まずはデリーの観光局に行って、いろんな情報を仕入れようということで、地図を広げた。

 

地図上で見ると、メインバザールから南の方に行くとコンノートプレイスというショッピング街があって、それを少し越えたところに観光局があるということだった。

 

 

「歩いて行けそうじゃない?」

 

「いや、歩いたら20分ぐらいかかるんじゃない??」

 

 

そんなことを話しているうちにニューデリー駅に着いた。

 

 

「よし、トゥクトゥクに乗って行かない??」

 

 

トゥクトゥクというのは、インドの三輪タクシーのことで、リキシャ―がエンジンで走るようになったみたいなものなので、別名オートリキシャ―とも言う。

 

そうだね、乗って行こう!!

 

ということになり、

 

オートリキシャ―がいっぱい停まっているところで、おじさんに声を掛けた。

 

「あの〜、私たち、この観光局まで行きたいんですけど、いくらで乗せてもらえますか?」

 

おじさんは地図をひったくって、マジマジと見た。

 

「500ルピー」

 

……!!!!

 

絶対、うそ。

 

SILFからここまでのタクシーで300ルピーぐらいしかかかっていないのに、そんなにかかるわけない。

 

もう、どのおじさんに聞いても、コンノートプレイス付近までは300〜500ルピーの間の金額だった。

 

そんなわけあるか??

 

ここに至るタクシー代を考えると、到底納得のいく金額ではなかった。

このままこの炎天下の中、無装備のまま20分以上の道のりを歩いていくべきか、完全に私たちの足元を見ているおっさんたちの要求を呑むべきか…。

 

私たちは、ニューデリー駅の前で、どうするべきか迷っていた。

 

私たちの意見も割れて、暑さでイライラし始めたその時だった。

 

ニューデリー駅の門のところにいたターバンの男が近付いて来て話し掛けてきた。

 

「君たちどこに行きたいの?」

 

「インドの観光局です」

 

かじこが答えた。

 

「インドの観光局に行くなら、絶対トゥクトゥクで行くべきだよ。観光局は14時で閉まっちゃうから歩いて行っても間に合わないよ」

 

時計を見ると、13時半だった。

 

でも、地球の歩き方には、観光局は16時まで開いていると書いてあった。

 

うそくせぇ〜。

 

もう、ゆずると私の意見は一致していた。

 

なぜなら、前日の夜、観光するために『地球の歩き方』を熟読していた私たちは、ニューデリー駅付近にいるターバンの詐欺師に気を付けろ!という記事を読んでいた。

 

そのターバンの詐欺師は、あることないこと言って説得して信頼させてお金巻き取るのだけど、その辺のトゥクトゥクやタクシーと結託していて、カモ客を流してはマージンを取っているという話だった。

 

もう、ここはニューデリー駅だし、こいつはターバンだし。

 

状況がピッタリ過ぎて、ゆずると私は、かじこに目で「無視して行こう!」と促した。

 

けど、かじこはターバンとめっちゃ話し出した。

 

いやいや、かじこ、もう私はそいつを1ミリも信用できない境地にいる。

 

さあ、無視して行こう!

 

私たちが歩き掛けてもかじこはずっとターバンと話し込んで動かなかった。

 

少し歩いたところで待っていると、かじこが走ってきた。

 

 

「ねぇ、あの人すごく良い人だよ!」

 

「私は信頼できると思うよ!」

 

 

人を信じる純真無垢なかじこがいた。

 

だが、私とゆずるはもう、ターバンよりもバイブル(地球の歩き方)に厚き信頼を置いていた。

 

例え、犬山のアルペンアイベックスといえども、英語ができようとも、ここはかじこの勘に信頼を置く場面ではなかった。

 

 

「かじこ、この辺りは詐欺師が多いって地球の歩き方にも書いてあったし、かじこの気持ちもわかるけど、信頼できないよ」

 

「私はあの人と話して詐欺師じゃないって思ったよ。今日は、インド観光局は早く閉まっちゃう日なんだって。もし、歩いて行って間に合わなかったら意味ないから、あのおじさんの言う通り、トゥクトゥクで行こうよ。安いトゥクトゥクを紹介してくれるって」

 

 

「いや、かじこ、詐欺師って信頼させるのが仕事だから!あの人を信頼できるっていう根拠がないよ」

 

私は、暑さのイライラも相まってかじこに強めに返した。

 

「そうかなぁ、私はそうは思わないけど…、聞くだけならタダなんだし」

 

と、モメモメしていると、

 

数メートル先にいたターバンが背後にゅっと現れた。

 

「うわっ!!」

 

「ぐずぐずしていると間に合わないから、私の知り合いのトゥクトゥクを紹介するから乗りなさい!」

 

驚いている私たちを無視して、ターバンは強引にトゥクトゥクのところまで連れていった。

 

それは私たちがさっき話し掛けて、500ルピーと吹っかけてきた男だった。

 

 

 

「もう、歩いて行こう!!」

 

私は、その男の話も聞かず、足早に歩き始めた。

ゆずるもその後を追ってきて、かじこがそれに続いた。

 

ターバンの男は何か叫んでいたけど、無視した。

 

 

道すがら、3人とも沈黙だった。

 

 

みんな、各々の理由で気分が沈んでいたんだと思う。

 

今思えば、他愛もないことなのかもしれないけれど、インドが初めての私たちは、こんな小さな出来事にビクついたり、モメたりしていた。

 

今の私だったら、ターバンの話を最後まで聞いて、正当な値段を言って値下げ交渉してやるんだけどね。笑

 

もう、ここから観光詐欺(リキシャ―やトゥクトゥク、タクシーが提携しているお店まで観光客を連れて行って土産物を買わせる詐欺)までやられたらという不安から、私は強硬な態度に出てしまったのだ。

 

かじこのポテンシャルが高いのは私も認めるところだけれど、その当時の私は、インド渡航歴2回目(かじこは個人旅行でインドに来たことがある)でデリーに来るのは初めてのかじこを信用して冒険するよりも、バイブル(地球の歩き方)を信じて安パイな方を取りたいというチキン心が勝ってしまった…、

 

ごめんよ、かじこ。

 

 

 

と、まあ、沈黙の中、歩き始めたのだけど、

 

暑い…。

 

とにかく、暑い…。

 

もう、さっき500ルピー払ってトゥクトゥクに乗ってたら良かったんじゃないかな…って、思うくらい暑い…。

 

たぶん、みんな同じ気持ちだったと思う。

 

 

私の強硬な態度のせいで歩くハメになって、2人ともイライラしてるだろうな…と、暑さと後悔で余計、心が沈み掛けていたとき、

 

 

「歩くのも楽しいな!!」

 

バカみたいにゆずるが言い始めた。

 

 

「そうだね!違った景色が見れるし!」

 

かじこが乗っかった。

 

 

「でも、あちーな!!あの地図、うそだろ、全然コンノートプレイス見えてこねーな!」

 

そう言って、ゆずるがゲラゲラ笑った。

 

 

あぁ、良いやつらだなって、心から思った。

 

 

そこからは一転、暑いけど、楽しい道のりになった。

あーでもない、こーでもないと、どうでもいい話をしているうちにコンノートプレイスに着いた。

 

 

おぉー、ここがコンノートプレイス!!

 

このコンノートプレイス、大きな円形をした大きなモールで、その円形のモールにたくさんのお店がひしめき合っているのだけど、メインバザールみたいに屋台とか安い雑貨店ではなく、小奇麗なハイソなお店ばかりが立ち並んでいる。

 

マックやケンタッキーなどもここにある。

 

私たちが行った時期は、コンノートプレイスの大掛かりな改修工事をしている最中で、通れる道に制限があったり、工事の関係で一時閉店にしているお店もあった。

 

ちなみに余談だけど、この2年後の2012年にデリーを訪れたときもまだ工事が終わっていなくて、改修工事がバカみたいに長引いていると聞いた。

 

ある人の話だと、改修工事の見積もりややり方が杜撰で、全然進まないのだとか…。

 

インドっぽいなと苦笑いした記憶がある。

 

今はキレイになったのだろうか…、今度デリーに行くときはぜひ行ってみようと思う。

 

 

 

さてさて、そんなかんじで、コンノートプレイスに到着した私たちだけど、私たちのゴールはここではなくて、この円形のビッグモールの裏側の先にある観光局を目指しているのだ。

 

このコンノートプレイスをぐるっと迂回して行くより、まっすぐ突っ切って進む方がいいんじゃないかっていうことで、コンノートプレイスをぶらぶら歩きながら、観光局を目指した。

 

最初はコンノートプレイスをキョロキョロ楽しく見ていたけど、もう、途中から飽きて、歩けど、歩けど、着かない。工事中だから通れない道があって戻らなきゃいけなくて、結局、途中から迂回することになったり…、コンノートプレイスを出た頃には、疲労困憊だった。

 

それでも、よし、歩くかって、なって、頑張って、観光局を目指した。

 

けど、歩けど、歩けど、観光局にたどり着かない…。

 

もう、通り過ぎたんじゃないかっていう疑いも出てきて、足と体力もそろそろ限界だよー!ってなってきたから、その辺にいる人に聞いてみた。

 

「すぐそこだよ。10分くらい歩けば着くよ」

 

 

あと、10分…!!!

 

 

愕然とした。

 

この炎天下の中、1分ですら歩く体力は残っていないのに、あと10分…。

 

レストランを出発したときから考えたら、かれこれ、1時間半近く炎天下の歩いていることになる。

 

もう、誰だったか忘れたけど、誰かが言い出した。

 

「インド観光局…、もう行かなくていいんじゃない?」

 

あとの2人も、頷いた。

 

 

やったー!!解放されたー!!

 

もっと早く誰かが言ってくれれば良かったのに。

そもそも、何で観光局は補足的な訪問だったはずなのに、今日の最大の目的みたいになってて、すげーバカじゃん!!

 

 

そんな気持ちが3人の中から一気に沸き出した。

 

観光局に行くという目的不明のミッションから解放された私たちは、とにかく、暑さと疲れを癒そうと、コンノートプレイスのフードコートに入った。

 

 

エネルギー充電中の私たち。笑

 

 

どんな時だって任務を忘れないフードリーダーかじこ。

 

 

バイブル(地球の歩き方)を真剣に読み直す私。

 

 

シェイクにはしゃぐゆずる。

 

 

 

と、まあ、フル充電をした私たちは、いざ、帰らん!!と、コンノートプレイスをはしゃぎながら帰路に就いた。

 

え?お前たち、何をしにコンノートプレイスに来たんだよ!って?

 

えっと、私たちにもわかりません。笑

 

 

 

帰り道は、楽しかった。

 

もう、道も知っているし、何より帰るだけというシンプルなミッションなので、何も考えることがなかった。

 

 

あー、あのワゴンかわいいね!

 

アイスクリームやさんだって!

 

わー、アイス食べたいー!!

 

もう、やりたい放題。

 

 

 

コンノートプレイスを出ると、今度こそトゥクトゥクに乗ろう!ということで、路肩に停まっているおっさんに話し掛けた。

 

「メインバザールまでいくらですかー?」

 

「200ルピー」

 

「いいじゃーん!もう乗っちゃおうよ!!」

 

ということで、疲れていた私たちは値下げ交渉もせず、トゥクトゥクに飛び乗った。

 

 

初トゥクトゥクーーーー!!!

 

いぇーーーい!!!

 

 

あんなに苦労して歩いた道のりを、風を切って走るのは本当に爽快だった。

 

私はリキシャ―よりも、タクシーよりも、このトゥクトゥクが一番好きになった。

 

リキシャ―より速いし、タクシーより風を感じられて気持ちがいい。

 

 

数時間前に、うつむいてたのはどこへやら。

 

テンションが上がりまくる私たち。笑

 

 

 

 

颯爽と走ってるかんじ伝わるでしょうか?笑

 

 

 

トゥクトゥクで一気に駆け抜けてメインバザールまで戻ってきた私たちは、やっと帰ってきたよ、ただいまー!って、もう、2日目にしてメインバザールの雑然とした感じにマイホームのような安心感を覚えていた。

 

やっぱり私たちにはハイソなものより、庶民派だね!なんて言いながら、メインバザールの良さを噛みしめながら歩いた。

 

ホテルに帰る前に飲み物を買おうということになり、ホテルを通り過ぎて、スーパーまで行って買い物して、ぶらぶらしながらホテルに戻った私たち…、

 

その帰り道で見つけたのがこれ!!

 

 

 

そう、ラッシー屋さん!!

 

 

ラッシーは、ダヒーというヨーグルトをベースにしたインドの伝統的な飲み物なんだけど、お店によってその作り方は様々ある。

 

このお店はメインバザールでも有名なラッシー屋さんで、美味しいと評判らしい。(フードリーダーかじこ調べ)

 

ここのラッシーは、ヨーグルト、ミルク、氷 フルーツを入れてミキサーにかけてシェイクしてくれるタイプだった。

 

 

 

それぞれ好きな味を頼んで、作っているのを眺めていた。

 

 

ヨーグルトにたかるハエ。

 

バケツに入った汚そうな氷。

 

炎天下の中、放置されている果物。

 

お兄さんの洗ってなさそうな手。

 

 

 

いろんなものが目に入ったけど、もう、見ないことにした。

 

だって、作っているお兄さんが100%の笑顔で楽しそうだったから。

 

理由になっていないけど、そういうことにしておこう。

 

 

 

 

「ほらよ、できたよ!」

 

できあがったラッシーを恐る恐る飲んだ。

 

「美味しいぃーーーーーーっ!!!!」

 

 

 

冷たくて、甘くて、ヨーグルトとフルーツが濃厚で、最高だった。

 

 

 

きっと、いろんなエキスが加わってこの美味しさになったのだろう。

 

そういうことにしておこう。

 

 

この日を境に下痢になった私たちだけど、それはきっと疲れからくるものだろう。

 

そういうことにしておこう。

 

 

 

そして、ラッシーに満足した私たちは鼻歌まじりにホテルに戻ったのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

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"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

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JUGEMテーマ:インド

初インド飯、リベンジ!

前回のブログで、お犬様事件の後、ベヌさんたちにメインバザールまで送ってもらった私たち…。

 

 

 

ベヌさんたちにメインバザールに送ってもらう道すがら、今後の予定について話し合った。

 

元々の予定では、ベヌさんに、ハリヤナ州、ウッタルプラデシュ州、ビハール州と北部3州のハンセン病コロニーを案内していただくようにお願いしていた。

 

ベヌさんは、ワークキャンプという私たちの特殊な活動を知ったからか、明後日からビハール州のコロニーを巡るようにと提案してきた。

 

ビハールには、ベヌさんではなく、ビハール州の回復者の方が私たちを連れていくから、明後日の午前中、ホテルのロビーで待ち合わせするようにとのことだった。

 

ほほぅ、明後日か…。

 

ベヌさんは行かないのか…。

 

どんな人が来るんだろう…。

 

ま、いっか。

 

(雑過ぎだろ!!笑)

 

この旅は終始そんなかんじで行き当たりばったり感がすごかった。

 

もう、私の性格がそのまま出てしまっている。

 

 

 

ベヌさんたちにメインバザールまで送ってもらった私たちは、お礼を言って別れた。

 

運転手とも握手をしたけれど、私は内心まだお犬様事件を引きずっていたので、もう二度とマリオカートすんじゃねえぞ!という意味を込めて、これでもかというほど力強く握手をした。

 

きっと、効果はあまりなかったと思う。

 

 

ベヌさんたちと別れた私たちは、今夜の宿を探すこととなった。

 

初めてのインドの宿…。

 

でも、出国前に私たちのバイブル『地球の歩き方』を見て、どの宿にしようか、散々悩んでいたので、もう目星は付けていた。

 

私たちの条件は、

 

・安いこと

・ホットシャワーが出ること

 

この2点だった。

 

 

いやいや、他にもっとあるだろ…と思われるかもしれないが、この時はいろんな知恵が足りていなかったので、この2点で決定した。

 

つまり、ホットシャワーが出る宿の中で、最安値のところを選ぶということだった。

 

 

そして、『地球の歩き方』を信じまくっていた私たちは、その中で紹介されている『AJAY GUEST HOUSE(アジェイゲストハウス)』という宿を選んだ。

 

それがここ。

 

 

しかし、行ってみると、『地球の歩き方』とは値段も違うし、何だか胡散くさいかんじだった。

 

一人一泊600ルピーで、ダブルベッドがあって、小さいエクストラベッドを入れてくれるということだった。

 

部屋は、エクストラベッドを入れたら、歩く隙間がないような狭さだった。

 

そして、後々わかるのだが、私たちが渇望していたホットシャワーは給湯器が壊れていたのか、冷たい水しか出なかった。

 

(この数時間後、もう、冷たい水浴びて、泣いたよねー。笑)

 

今は、一人一泊400ルピーで、シングルベッドが人数分ある宿に泊まれているから、まあまあ、スペックに見合わないお高めの宿だった。

 

 

初めてのコロニー訪問に疲れていた私たちは、もう他の宿を今から探すのも疲れるので、ちょっと高いけどここにしよう!ということで、初めての宿はここで決定した。

 

 

もう、夕方近くになっていて、お腹が空いていた私たちは、『初めてのインド飯』リベンジを果たすため、メインバザールへと繰り出した。

 

(※初インド飯は、緊張のあまり味わえなかった苦い経験を持つ私たち。笑 ブログ『インドの高級住宅街をぶらり旅』参照

 

 

 

そして、フードリーダーかじこが選んだのが、CLUB INDIA CAFE(クラブインディアカフェ)であります!!

 

 

 

ちなみにフードリーダーというのは、食べるのが大好きなかじこが食に一番こだわるので、ゆずると私が任命した役職です。

 

フードリーダーは、お店を決める権限があって、さらにはメニューを決める権利もあるというなかなかの贅沢な役職なのです。

 

え?そうでもないって?笑

 

 

 

早速、お店に入って、

 

もう、かじこに任せるよって言って、メニューを渡すと、かじこはメニューに穴が開くんじゃないかっていうぐらい真剣に見て次々とオーダーしていった。

 

そして、隣のお客さんがビールらしきものを飲んでるのをめざとく発見すると、あれ、ビールですか?私たちも頼めますか?と聞いて、闇メニューであるビールを3杯頼んだ。

 

インドのビールは、キングフィッシャー社の作るビールが主流で、さっぱりすっきりした味が特徴だった。

 

ルーフトップで夜風に吹かれながら、メインバザールの街並みを見て飲むビールはかなり格別だった。

 

 

その後、料理が次々と運ばれてくるけど、

 

どの料理も本当に美味しい!!!

 

 

 

ここで、フードリーダーかじこの素敵チョイスを一部紹介したい。

 

まずは、チキンティッカ。

これは、マサラなどの香辛料に漬け込んだ鶏肉を焼いたもの。

香ばしいマサラとぎゅっと閉じ込められた鶏肉の旨味が絶妙なハーモニーを醸し出す逸品だった。

 

そして、バターナン。

分厚くて甘みがあって、バターもふんだんに使われていて、ナンだけでも食べられちゃうような美味しさだった。

 

最後に、チキンバターカレー。

インドの王道をいくカレーで、もうインドカレーといえば、これ。お店によって味がだいぶ変わるから、その店の味を知りたかったら、こいつを頼むと良いってぐらいのメジャー級のカレー。ここのお店のは、何ともいえないコクと甘みがあって、ナンと最高にマッチしていた。

 

 

 

そして、幸せいっぱいのかわいい私たちをブロマイドショットをどうぞ。笑

 

まずは、わたし。

 

 

そして、ゆずる。

 

 

最後に、フードリーダーかじこ。

 

 

もう、初インド飯のリベンジを見事果たした私たちは、お腹パンパンになって、ほろ酔い幸せ気分でお店を後にした。

 

 

この後、ホテルの無情な冷水に泣くことになるとは露知らず…。

 

夜のメインバザールを楽しく観光しながら、帰路に就いたのでした…。

 

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

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お犬様事件

 

メインバザールにて、ベヌゴパールさんと無事に出会った私たちは、ベヌさんの住むハンセン病コロニーへと向かった。

 

 

車中、ベヌさんのコロニーについて話を聞いた。

 

ベヌさんのコロニーは、ハリヤナ州にあるハンセン病コロニーで、数千人が住む巨大なコロニーということだった。

 

ハリヤナ州は、前にも書いた通り、インドの比較的裕福な人たちが住む地域で、そのハリヤナ州で元は数人の物乞いからスタートして、今の数千人規模のハンセン病コロニーになったということだった。

 

ハリヤナ州のように富裕層の住む地域で物乞いをするということは、富裕層の人たちが喜捨(進んでお金を寄付すること)する額が多いので物乞いをして得られるお金が多くなり経済的に恵まれることになる、しかし、その反面で、はっきりとしたカースト差別も存在し、アウトカースト(不可触民)であるハンセン病コロニーの人々は、汚いものを見るような目で見られ、公共の場で徹底的に富裕層から差別されるということだった。

 

 

ここで、少し、『喜捨』と『アウトカースト』について触れたい。

 

『喜捨』とは、先ほどの注釈でも書いたけど、進んでお金を布施または寄付したりすることをいうのだけど、インドでは、物乞いをするアウトカーストの人々に対してお金を恵んであげることをいう場合が多い。

 

喜捨は、現地の言葉で、『バクシーシ』といい、物乞いをする人たちは、「バクシーシ」と言って手を差し出してお金を求めてくる。

 

『アウトカースト』とは、その名の通り、『カーストの外にいるものたち=人間ではないもの』という意味で、人間としての扱いを受けないため、まともな教育も受けられず、まともな職業にも就けず、まともな医療も受けられず、彼らに許されるのは唯一物乞いだけというまさに最低な暮らしを余儀なくされている。

 

カーストは、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つからなる身分制で、数千種類の職業が各階層に割り振られている。

 

そして、その職業のほとんどが世襲制で、例え、同じ身分階層であっても、新しい職業に転職するということができない。

 

カーストが法律で禁止されてもなくならないのは、この職制が影響しているとも言える。インドでIT産業が盛んなのも、職制にない新しい職業でカーストに関係なく誰でも自由に参入できるからという背景もある。

 

そんな国際社会に仲間入りしているインドで後進的な身分制であるカースト(職制)をいまだに事実上、機能させている理由は、一部の特権階級の反対はもちろんあるだろうけれど、多民族・多宗教国家であるインドで職業選択までもが自由になれば、たちまち失業者が溢れ出て民族間や宗教間の対立へと発展して国がまとまらなくなるという懸念もあるのかもしれない。

 

だからといって、やりたくもない辛い仕事をして低賃金で暮らしていくことを強いられる人や、そもそも、人間としての扱いを受けず物乞いで暮らしていくことを強いられる人もいるというのは絶対に間違っていると思う。

 

インドでは、国民の3分の1が貧困に喘いで暮らしている。

これは言い換えれば、国の体制を守るために、3分の1の国民を犠牲にしているとも言える。

 

そう考えると、『国家』とは何のためにあるのかという疑問すら沸いてくる。

 

 

 

と、まあ、ベヌさんの住むコロニーの現状を聞きながら、カーストの根深さとそこから抜け出せないインド経済や社会のバランスの悪さを感じて、私たちはこれからすごいものに闘いを挑むことになるんだな…と、そんなことを思っていた。

 

そんなこんな考えているうちに、ベヌさんの住むコロニーに到着した。

 

「さあ、着いたよ」

 

笑顔で言うベヌさんに、

 

「え??普通に大通りの道ですけど…」

 

と、3人ともキョロキョロ。

 

そこは、パステルカラーの小奇麗な建物がたくさん並んでいる大通りだった。

 

 

その写真がこれ。

 

 

「え?ベヌさん、コロニーどこなんですか?」

 

疑問に思って聞くと、

 

「ここがコロニーです」

 

と返ってきた。

 

 

「え?」

 

一同、唖然とする。

 

 

どうやら、ここの大通りも含めて全部がコロニーらしい。

 

さすが数千人が住む巨大コロニー!

 

とはいえ、もう、めちゃくちゃキレイ!!

 

発展している!!

 

 

例えば、こんなお店もある。

これは、コロニーの人がやっているお店らしい。

 

 

例えば、ヒンドゥー教の寺院もある。

これも、コロニーの人がお金を出し合って運営しているらしい。

 

 

例えば、立派な学校もある。

これも、コロニーの子供たちが通っているらしい。

 

 

 

これは、コロニーなのか…。

 

街じゃないか…。

 

もう、見るものすべてに絶句した。

これは全然思い描いていたハンセン病コロニーじゃない…。

 

 

驚きを隠せない私たちを尻目に、ベヌさんはコロニーの自治組織のメンバーが集まる集会場に私たちを連れていってくれた。

 

 

≪集会場で話すベヌさんと私とかじこ≫

 

 

チャイを飲みながら、ベヌさんはこの巨大なコロニーの成り立ちを教えてくれた。

 

 

初めはただの浮浪していた物乞いの集団で、ここまでコロニーを発展させるのに相当な苦労をしたこと。

 

今は、いろんな支援団体の協力のおかげで様々な産業を興して、コロニーの人たちが物乞いをせずに暮らしていけるようになったこと。

 

しかしながら、物乞いで財産を築いたやつらだと妬みからくる目に見えない差別は未だに続いていること。

 

 

ベヌさんは淡々と語ってくれた。

 

ベヌさんは、こうやってコロニーが大きく発展できるかどうかは、訴え続ける当事者の声の大きさと地方政府の財源にかかっていると言った。

 

北部の多くの州が貧困に喘いでいて、首都デリーやハリヤナ州を除けば、ほとんどの州が財政難だという。

 

このベヌさんのコロニーが発展できたのも、富裕層が多く住む地域なので物乞いでの収入が大きかったこと、ハリヤナ州政府に対してベヌさんたちが大きな声で訴え続けたおかげで多くの支援を得られたこと、ハリヤナ州政府がそもそも豊富な財源を持っていたことが大きな要因だということだった。

 

ベヌさんは、最後にこう言った。

 

君たちの活動はこのコロニーには必要がないかもしれないけれど、北部の他のコロニーは想像もできないくらい悲惨な状況だから、その状況をきちんと見て、君たちに少しでも何かできることがあるなら頑張ってほしい。

 

うんうんと頷いたけれど、その想像もできないほど悲惨な状況が、当然ながら全く想像できず、この時の私たちは割と、ドラクエでいうところの勇者のような気持ちで、よっしゃ、任せとけ!ベヌさん!って、逆に意気込んでいた。

 

話が一通り終わると、ベヌさんはコロニーの中を案内してくれた。

 

 

産業として、綿織物を生産していることや家畜として牛を飼っていることなどを細かに説明してくれた。

 

綿織物は糸を染めるところからやっていて、機織りの工場もあった。

 

 

これが糸を染めるところ。

 

これが機織り工場。

 

 

工場にある機織り機で作られた布がこれ。

 

 

機織りの工場は、笹川記念保健協力財団の支援によって建てられたものだった。

 

 

「これはたくさん売れますか?」

と私が質問すると、

 

ベヌさんは、この機織りで作られた布はいろんな市場で販売しているけれど、ハンセン病コロニーで作られたと知ると、途端に買ってくれなくなったり、安く買い叩かれたりすると答えた。

 

上手くいっているようで、まだ、見えない差別があるといっていたのはこのことだったんだなと感じた。

 

 

 

牛もたくさん飼っていて、健康な牛が育てられるように家畜小屋がきちんと整備されていた。

 

これが実際の牛たち。

 

 

 

学校に通う子供たちもきちんとした服を着ていて快活で明るかった。

 

子供たちと一緒にパチリ。

 

 

 

ベヌさんのコロニーの見学をしながら、私たちは、今後、自分たちが支援するコロニーがこんな風に発展していってくれたらいいなと壮大な夢を描いていた。

 

コロニーの見学を終えた私たちは、コロニーの人たちにお礼を言って、メインバザールに戻ることになった。

 

ベヌさんがメインバザールまで送ってくれるということになり、私たちは車に乗り込んだ。

 

また、同じベヌさんの手下(たぶん手下じゃないと思う。笑)が運転をしてくれて、出発した。

 

ブオーンっ!

 

エンジンを吹かして一気に発車した直後だった。

 

キャィーーーーン!!!!

 

けたたましい悲鳴が上がった。

 

犬の足を轢いたのだった。

 

 

やりやがった、この運転手。

 

とうとう、犬の足を。

 

メインバザールではギリギリセーフのマリオカートでドヤってたけど、

 

とうとう、お犬様を。

 

 

 

その黒い犬は、足の骨が砕けたのか、2、3回鳴き叫んだ後、うずくまった。

 

誰かが駆け寄ってきたので、犬を保護するのかと思ったら、しっ!しっ!と、追い払ってしまった。

 

 

犬が足を引きずっていなくなるや、ブオーンっ!とアクセルを踏んで車は走り出した。

 

ベヌさんも運転手も犬の足を引いても、何事もなかったかのようだった。

 

信じられない。

 

これが文化の違いか…。

 

 

 

私はこう見えて、犬や猫が大好きだから、本当に、気分が萎えた。

 

おめぇ!犬を轢くなんてどんだけ運転下手なんだ!マリオカートじゃねぇんだぞ!と。

 

運転手に腹も立ったけど、この後、こんなことがたくさんあり過ぎて、ああ、これが文化の違いか…、と、腹を立てるより納得することしかできなくなったしまった。

 

実際、あんなに悲しい気持ちになった衝撃的な事件だったのに、この後も頻発する様々な事件によって、私はこのブログを書くこの瞬間まで、お犬様事件のことを忘れていた。

 

インドという国の文化は否定しないけれど、私は日本人であって、そこの部分だけは薄っぺらいエゴと言われても、染まりたくないし、慣れたくないことだなと思った。

 

でも、インド人からしたら、本当に薄っぺらい日本人のエゴなんだろうけど。

 

 

 

 

悲しいけれど、まだまだ、旅は続く…。

 

そして、事件も続くのであります…。

 

 

 

 

 

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華麗なるリキシャ―デビュー!

前回のブログでSILFの床で川の字になって寝た3人でしたが、今日はいよいよインドハンセン病コロニーに向かうためにニューデリー駅に向かったのであります…。

 

 

 

私たちは、次の日の早朝、SILFのスタッフにお礼を言って、タクシーでニューデリー駅へと向かった。

 

私たちは、このニューデリー駅で、インドのハンセン病回復者組織であるナショナル・フォーラムの北部代表のベヌゴパールさんと待ち合わせしていた。

 

 

ナショナル・フォーラムというのは、約700ヶ所のインドハンセン病コロニーが参加する回復者組織で、「ハンセン病回復者がいわれない差別と闘い社会的権利を確保するためには、回復者自身が団結し、声を上げて社会にその不当性を訴えなければならない」という考えのもと、日本財団の笹川陽平氏の呼びかけにより、日本財団、笹川記念保健協力財団の支援によって、2005年に設立された。

 

ナショナル・フォーラムは、タミルナドゥー州のコロニーに住む回復者でソーシャル・ワーカーであるP.K.ゴパール氏が会長を務めていて、現在、インド全土規模の大きな組織となっている。

 

渡航前に、笹川記念保健協力財団の方から、北部のハンセン病コロニーを回るなら、ナショナル・フォーラムの北部代表のベヌ・ゴパールさんと連絡を取り合ってみると良いよと言って紹介していただいていた。

 

そんなわけで、ベヌ・ゴパールさんとは事前にメールでやり取りをして、ニューデリー駅で待ち合わせをしよう!ということになっていた。

 

 

 

しかし、このニューデリー駅、デリー空港に負けず劣らず、魑魅魍魎が渦巻く駅だった。

 

もう、「地球の歩き方(ガイドブック)」に、ニューデリー駅の詐欺師に気を付けろ!ってデカデカと書かれているぐらいだから、おしっこ漏らすんじゃないかっていう勢いでビビって立っていたわけなんです。

 

そう、カモネギ風の、日本人三馬鹿トリオが。

 

昨日まで、きれいなインドしか知らない温室育ちの三人だったから、そこら辺にあるもの全部初めて過ぎて、でも、キョロキョロしてるとカモられそうで、できるだけ割と余裕だぜってかんじを醸し出して立っていた。

 

交通ルールとかないんだろうなってぐらい狭い道にひしめき合っているインド人たちに遠慮なく、ジロジロ見られて、

 

ちょっとは遠慮して見ろよ!こっちは遠慮して見てんのに!って怒りとか沸いてきて、

 

ベヌさん来ないなーって待ってた。

 

 

 

もう、ハリーの時もそうだったけど、ベヌさんの顔とか知らないからね。

 

カモってきたインド人がたまたまベヌって名前だったら、もれなくホイホイついてっちゃうから。

 

そんな危うさを孕みながら、こいつかなー、あいつかなー、って、ベヌさんを予想だけで探してた。

 

 

 

そしたら、ジロジロ見てたインド人たちがとうとう寄ってきた。

 

 

「リキシャ―500ルピー」

 

(人力車を500ルピーでどうですか?)

 

「ノー!!」

 

(高いわ、普通に!ナメてんのか!)

 

 

 

「フレッシュジュース200ルピー」

 

(搾りたてのフルーツジュース200ルピーでいかがですか?)

 

「ノー!!」

 

(高いわ、普通に!でも、すげーフレッシュ…っておっさんの汚い手で搾るんかいっ!)

 

 

 

もう、いろんなインド人が次から次へと話しかけてきた。

 

そりゃあ、バックパック背負って、本当にカモネギっぽいもんね。

そりゃあ、そうでしょう。

 

私がインドならこんなバカっぽい日本人3人がぼーっと立ってたら、めっちゃ話しかけるでしょうよ。

 

 

 

余談になりますが、最近、インドに行ってもインド人に全く話しかけられなくなった。

 

インド人たちは、インド初心者とそうでない人を感覚的にわかるんだよって仲良しの宿屋のおっちゃんが言っていたけど、本当にそうらしい。笑

 

 

 

カモネギ3人組がしびれを切らし始めた頃、電話がなった。

 

ベヌさんだった。

 

キターーーーーー!!!!

 

ベヌーーーー!!!

 

 

興奮しながら電話に出ると、開口一番、

 

「君たちどこにいるんだ?」

 

驚きながらも、

 

「え?ニューデリー駅です」

 

と答えると、

 

「私はパハールガンジにいます。そこにいるから来て下さい」

 

と返ってきた。

 

 

「はあ?」

 

ちょ、ちょっと、パハールガンジって言ってる…。

 

意味わかんない。

 

地球の歩き方ガサゴソ探して、ニューデリー駅周辺の地図をのぞき込む私たち。

 

ここじゃない?

 

それは、ニューデリー駅の入り口から西側ににゅっと延びるメインバザールというデリーに来る観光客が必ず訪れるマーケット&安宿街エリアのことだった。

 

ここがメインバザールの中心地↓↓

 

 

メインバザールは、別名パハールガンジと言って、丘(パハール)の市場(ガンジ)という意味らしい。

 

この時の私は、全くそんなことも知らなかったから、てっきり、ガンジーが影響を与えた魅惑の街だと勝手に思っていた。

 

「ジー」の伸ばし棒、どこいったんだよ!という常識的な突っ込みはやめていただきたい。

 

それぐらい私はバカなのであります。

 

 

 

とまあ、そんなことはさておき、

 

 

ベヌさん、どこにいるんだよ?

 

と、ベヌさんにこの広いメインバザールのどこにいるのかを聞いてみた。

 

ランドマークを教えてくれ!

 

ベヌさんは手あたり次第、近くにあるレストランの名前とかホテルを適当に言ってくれた。

 

おお、ここじゃないか??

 

地球の歩き方の正確さに感謝しながら、ベヌさんのいる位置がわかった私たちは、早速、向かうことにしたけど、このクソ重いバックパックを背負って、まあまあな距離を歩かねばならないことにギョッとした。

 

「よし、リキシャ―で行こう!」

 

かじこが言い出した。

 

こういう時の決断は本当に頼りになる。笑

 

 

「へい、リキシャ―!!」

 

さっき、500ルピーとか言って吹っかけてきたリキシャ―のおっさんを捕まえて、

 

「50ルピー、レッツゴー!!!!」

 

と言って、飛び乗った。

 

 

え?マジで?50ルピー??ってバカ言ってんじゃねーよ!と、もごもご言いかけていたおっさんを無視して、

 

3人で声を合わせて、

 

「50ルピー、レッツゴー!!!!!」

 

と言った。

 

おっさんは、ニューカマーなはずの私たちの勢いに押されてビックリしたのかしぶしぶ走り始めた。

 

 

おおー、これがリキシャ―!!初体験じゃー!!!

 

 

メインバザールのちょうどメインストリートを颯爽と走り始めた私たち。

 

快適じゃー!!

 

と、テンション上がっていたけど、

 

ん??

 

だんだん、おっさんのスピードが遅くなってきている。

 

それもそのはずで、

 

このリキシャ―、普通は2人乗り。

 

前側にかじことゆずるが座ってそれぞれのバックパックを抱えて、私はといえば、本来は荷台になる部分に、バックパックを横に置いて、後ろ向きに座っていた。

 

私とかじことゆずるの3人を乗せた上に、15キロぐらいある3人分のバックパックも載せている。

 

もう4人を乗せて走っているのと同じかんじになっている。

 

 

おっさん、がんばれー!!

 

背後からエールを送ってみるけど、おっさんはへとへと。

 

そのうち、スピードが遅い私たちのリキシャ―に物売りが寄ってきて、いろんなものを売ろうとしてしがみついてくる。

 

 

 

やめろよ!おっさんのスピードがもっと遅くなるだろ!!

 

「ノーノ―、ノーニード!!」(そんなん、要らないよ!!)

 

って、追っ払っても、しつこい。

 

 

おっさんもさらに重くなるリキシャ―にイラついて、物売りに寄ってくんな、触るな!と喚き散らしている。

 

カオ―スっ!!!

 

もう、唯一進行方向とは反対向きに座っていた私の足をつかんでくるやつもいる。

 

私は、芥川龍之介大先生の「蜘蛛の糸」のカンダタさながら、

 

触るなー!!

 

散れー!!

 

おっさんが死ぬー!!!

 

っていって、この小さなリキシャ―にしがみついてくる地獄の魑魅魍魎(物売り)を追い払っていた。

 

 

 

そんな格闘の末、ようやく私たちはメインバザールの真ん中にある牛がいっぱいいる広場に到着した。

 

 

「おっさん、ありがとー!!」

 

そう言って50ルピーを渡そうとすると、

 

「ノー! 100ルピー!!」

 

地獄の魑魅魍魎から救ってやったのは俺だぞ!てなかんじで、おっさんが主張してきた。

 

いや、いや、魑魅魍魎と荷台で戦ったのは、私だからね!!

 

絶対、そこは譲らない!!

 

「ノー! 50ルピー!!」

 

断固として無理というかんじで言い返すと、おっさんはあっさり引き下がった。

そして、しょんぼりして帰っていった。

 

 

何だか、ちょっと悪いことをしたな…。

 

4人分運んでくれたしな…。

 

でも、距離にして300mぐらいだしな…。

 

そんな思いが去来しているところに、車に乗ったベヌさんが現れた。

 

「アキー!」

 

「おー、ベヌさーん!!」

 

 

まさかの車での登場に私たちはビックリし過ぎて、さっきのリキシャ―のおっさんとのやり取りをすっかり忘れてしまった。

 

こんな狭いバザールの中をよく車で来たな…。

 

いや、ベヌさんハンセン病回復者でしょ、なんで車持ってんの…?

 

この車で、この混乱の中、どうやって大通りに出るの…?

 

もう、1分前とは全然違う思いが去来していた。

 

 

 

唖然とする私たちにベヌさんは、とにかく乗りなさいと車に乗るように促した。

 

車を運転しているベヌさんの手下みたいな男の人が降りてきて、トランクを開けてくれて手早くバックパックを載せてくれて、私たちは車に乗り込んだ。

 

あいさつもそこそこに、

 

「今日は、私が住んでいるハンセン病コロニーに君たちを連れていくからね」

 

そう、ベヌさんは言って車は走り出した。

 

このクソ狭い道を、そう、車で。

 

 

 

いや、無理だと思いますよー。

 

これ、日本でいう狭い商店街みたいなもんで、日本だったら間違いなく車両通行禁止になってるような道ですから。

 

プップー!!

 

プップーーー!!!!

 

ベヌさんの手下が思いっきりクラクション鳴らしてるけど、通行人がみんな悪態をついているのがわかる。

 

 

おめー、こんな狭い道に人がいっぱいひしめき合っているのに、車なんか通れるわけないだろー!!

 

わー!!車がこすった!最悪―!!

 

 

きっと、そんなことを言っているのだろう。

 

ヒンディー語なんて、全くわからない私たちだけど、もう、ごめんなさいってなった。

 

でも、ベヌさんの手下は、何人かの足を轢いてんじゃないかっていうぐらいの勢いでマリオカート並みにグイグイ進んで、このメインバザールを突破した。

 

 

 

そして、私たちはベヌさんが住むハンセン病コロニーへと、マリオカートでドキドキし過ぎたのか、初めてコロニーに行くドキドキなのか、もうどっちのドキドキかわからない胸の高鳴りを抑えながら向かったのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

 

≪そんな店長アキがプロデュースしたインド雑貨のお店はこちら↓↓≫

 

 

"あなたのオシャレが、世界をちょっと良くする"

インド雑貨やさんoaksは、インドハンセン病快復者をはじめとするマイノリティの人々が心を込めてつくったフェアトレード製品やインドの伝統的な技術によってつくられた工芸品などのハンドメイド製品を扱っています。

oaksの製品を購入していただくと、購入額の5%が社会から隔絶されて暮らすインドハンセン病コロニーの人々の自立支援活動のために充てられます。

かわいいアジアンピアス、アジアンバングルなどのアクセサリーを身に着けたり、こだわりのインテリア雑貨を部屋に飾ったりすることで、遠いインドに住む貧しい人々の生活をサポートすることができます。

 

 

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JUGEMテーマ:インド

インドの高級住宅街をぶらり旅

今日の宿も決まって、テンションが上がった私たちはお昼ご飯を食べに町に繰り出した。

 

サンジーブから近所にある美味しいお店を聞いて、SILFのスタッフと一緒に到着したのがここ。

 

じゃーーーんっ!!

 

 

 

 

 

高そーだけど、大丈夫???

 

極貧の私たちは、こそこそ話していたけど、SILFのスタッフはお構いなしにお店に入っていった。

 

ってことで、この旅、初めてのインド飯をこのおしゃんてぃーなお店で食べることになった。

 

いや、もう高いお店過ぎて、メニューを見る目も真剣。

 

何を食べようかな〜!(わくわく!)じゃなくて、

 

どれが安いかなぁ…!!(ドキドキ!)の方。

 

 

 

 

 

 

もう、会計が怖過ぎて、全然、味も何を食べたかも覚えてないまま、お店を出ることになった。

 

SILFのスタッフさんがサッと全額払ってくれた。

 

「インドのために何かしようとしてくれる若者に感謝の気持ちを込めて、今日は僕がごちそうします」

 

彼はそう言って白い歯を見せて、二カッと笑った。

 

おーのー。

 

ジーザス!!!!

 

SILFに泊まれることになった時の私たちの、二カッ!との違いたるや。

 

名前も覚えていないけど、爽やかな青年!!!!

 

こんなことなら、もっと味わって食べれば良かったー!!

 

って思っちゃったよね。

 

(↑最低なやつら)

 

 

 

 

 

 

そんな爽やかな青年に感謝して別れて、私たちは今日はもう予定がないので、そのままSILF周辺の高級住宅街をぶらぶらすることになった。

 

前にも言ったけど、インドの街は、高級住宅街の中にも庶民的なお店や屋台があって、所々にバラック小屋らしきものがある。

 

インドはやっぱりアンバランスだなって感じながらも、私たちは高級住宅街にあるいろんなものに心を躍らせた。

 

特に、私が街ぶらしてて思ったのは、インドは本当にカラフルだなってこと。

 

建物もパステルカラーでカラフルだし、

 

売ってる雑貨もとってもカラフル!!

 

こんなかんじ!!!!

 

 

 

 

 

さらにビックリしたのは、ピザとかハンバーガーとか売ってること!!

 

え?インドをナメ過ぎだって??

 

いやいや、私たちのインドのイメージはもう、カレーしかなかったから。笑

 

高級住宅街には、こんなピザやハンバーガーが売っていた。

 

 

 

 

ケーキも売っていた。

けど、インドのケーキは大抵、常温でも大丈夫なクリームで作られていて、見た目も毒々しくてバブリーなかんじ。

 

味は…。

 

想像にお任せします。笑

 

 

 

 

 

スーパーマーケットもあった。

ビックリしたのは、クーラーが効いていること!!!

空港の到着ロビーですらクーラー効いてなかったのに、スーパーマーケットにちゃんとクーラー効いてる〜!!

 

って、もう涼んだよね。

 

ここぞとばかりに。

 

 

 

 

最後に、紹介するのは、おしゃれなカフェ!

カフェあるよーーー!!ってテンション上がって、インド風フラペチーノもどきみたいなやつとインド風ジェラートもどきみたいなのを食べた。

 

もう、インド来て、アイスなんて!!!!

ってことなんですよ!

 

これは、フラペチーノもどきとジェラートもどきにテンションがあがって悪代官ばりの悪い顔のかじこと私。

 

 

 

 

 

御代官様、では手前が味見させていただきます!

 

へっへっへぇ〜、お主も悪よのう〜、わしもいただくぜ!!

 

うへへへ、わっははは〜!!!

 

 

てな、かんじで。

 

 

 

 

 

と、まあ、インド初日はハリーおじさん家、2日目はデリーの高級住宅街と、私たちはインドのきれいな部分しか知らないままに、2日目を終えた。

 

 

SILFに戻って、床に寝袋を敷いて、3人で川の字になって寝た。

 

想像していた過酷なインドはどこにあるのだろうか。

 

もしかしたら、なかったりして…。

 

 

そんなことを思いながら、それぞれ夢の中へと誘われていったのでした。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

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JUGEMテーマ:インド

SILFに突撃!!

前回ブログで、ハリーおじさんの家でホットシャワーを浴びて、インドの中流階級の人々の生活を満喫した私たちでしたが、いよいよ、おじさんの家を旅立って、カオスなインドの街に繰り出したのであります…。

 

 

今日は、いきなりハンセン病コロニーとかではなく、事前に笹川記念保健協力財団の方から紹介していただいたSILF(Sasakawa Indian Leprosy Fundation)という団体を訪問する予定となっていた。

 

SILFとは、インドにおける差別を撤廃する取り組みを進めるために日本財団によって2006年に設立された団体で、「ハンセン病コロニーから物乞いをなくす」をスローガンにハンセン病コロニーの人々の経済的自立を促進する活動をしている。

 

まずはSILFを訪問してインドハンセン病コロニーの現状をレクチャーしてもらいなさいという笹川記念保健協力財団の皆様のアドバイスは、無知な私たちにとっては有り難い計らいだった。

 

よし、そんじゃあ、手始めにSILF行っちゃおうか!

 

ってなかんじで、インド初日はSILFを訪問することにした。

 

 

SILFは首都デリーにあって、ハリヤナ州から近かったので、SILFまではハリーおじさんの車で送ってもらえることになった。

 

ま、近いと言っても、50分くらいはかかる道のりで、車中から見る景色は、夜見るよりも一層アンバランスさを増していた。

 

それでも、この時の私たちはインドの本当の意味での「混沌」を知らなかったし、

 

その本当の「混沌」を目の当たりにした時、私たちからだんだん笑顔が消えていくことになるなんて、この時は知る由もなかった。

 

 

 

この写真は、その時の能天気なゆずるくん

 

 

 

そして、50分揺られて、ようやくSILFに到着した私たちは、想像とは違ったかわいいファンシーな建物に、一瞬、フリーズした。

 

え、ほんとにここで合ってんの?

 

え、でも、SILFって書いてあるよ…。

 

私たちは虎ノ門にある日本財団と笹川記念保健協力財団のようなデカいビルを想像していたから、そのかわいらしい住宅っぽい佇まいに少し動揺してしまった。

 

 

 

ね、真っ白でかわいいでしょ?

 

まあ、SILFってことだから入ろう!

 

ってことで、突撃。

 

 

迎え入れてくれたのは、丸っこい顔にクリクリした目がかわいいSILFプログラムマネージャーのサンジーブ氏だった。

 

にこやかな挨拶をしてくれた後、私たちを、SILFエグゼクティブディレクター、つまりSILFのボスのヴィニータ・シェンカーさんのところに通してくれた。

 

ヴィニータさんとは、出国前にメールのやり取りをしていて、私たちがインドに来た経緯を知っていた。

 

ヴィニータさんが一通り、SILFについて説明をしてくれている中、チャイとクッキーが出てきた。

 

 

うぉー!初チャイー!!!

 

しかも、クッキー!

 

お腹空いてたよー!!

 

 

テンションが上がっていることを悟られないように、チャイを飲んだ。

 

 

うまいぃぃぃいいっーーー!!!!!

 

 

チャイに気を取られ過ぎて、途中ヴィニータさんが何を言っているのか聞き取れなくなった。

それぐらいチャイは美味しかった。

 

このチャイという飲み物。

 

インド式に甘く煮出したミルクティーことで、特に、茶葉に香辛料(マサラ)を加えたものをマサラ・チャイという。

 

インド北部でチャイといえば大体このマサラ・チャイのことをいう。

 

そう、マサラ!!!!

 

皆さん、覚えていますか??

私たちが北京空港で鼻の感覚をもってかれた、あのマサラです!!!

 

もうインド人はいろんなところにこのマサラを使うんだよね。

いやいや、使い過ぎだよって。

 

誰かが注意してあげないと、

 

カレーに入れるあいつを、まさか、砂糖たっぷり入ったチャイにぶち込むなんて!

 

てなことになるんですよ。

 

もう、すんごいんですよ、インド人のセンス。

 

(心からリスペクト!)

 

いや、たぶん、私が思うに、

 

ある日、誰かがやっちゃったんだと思う。

 

あっ!!って、マサラをカレーに入れようとして、バサッて。

 

もう、お前なにしてんだよ!チャイ飲めねーじゃん!

ごめん、ごめん!

 

みたいな攻防があった末に、

 

あれ?いい匂いじゃね??

 

ってなことが。

 

 

それが、私が思うマサラ・チャイの起源。

 

(みんな、信じないでねー!!笑)

 

 

とまあ、ヴィニータの話の間に密かにそんな妄想しながらチャイを堪能してたよね。

 

(わたし、一応まじめに聞いてましたよー!!)

 

 

次は、ヴィニータに代わってサンジーブがみっちり講師をしてくれることになった。

 

この、サンジーブ…。

 

クセが強い…!!!!!

 

英語のクセが。笑

 

かじこはオーストラリア留学に1年間行ってきたんでしょうし、ゆずるはマジメに英語を勉強してきたんでしょうけど、私なんて、英単語10個でギブした脳みそ軽めキャラだから、ちょっとクセだされると、びっくりするぐらいもう聞き取れない。

 

それぐらいインド人の英語は独特のなまりがあった。

 

このなまり、一旦聞きなれてしまうとすぐにマスターできるのだけど、大変なのはそのクセがうつることらしい。

 

事実、オーストラリアなまりの英語を話すかじこは、いつしかインドなまりの英語になってしまった、と自分で嘆いていた。

 

まあ、そもそもの基礎ができてない私はクセがうつることはなかったけど。笑

 

 

でも、サンジーブは本当にいい人だった。

めっちゃ早口のクセのある英語で、1時間くらいしゃべり続けた。

 

 

サンジーブ、センキュー!

あたし、今、情報の海に溺れ中!

 

 

サンジーブの話を要約すると、

 

ハンセン病コロニーの人々にとって一番大事なことは、物乞い以外で生計を立てさせること。そして、物乞いをやめさせるには、まず回復者に経済的な自立を促し、自信を持たせなければいけない。彼らの意識を変化させることが第一にやるべきこと。

 

次に変化させるのは周囲の意識。一人でも多くの回復者が社会で活躍するようになれば、周囲の意識も自ずと変わっていく。

 

そのために、SILFは彼らが物乞い以外のビジネスで生計を立てられる道を開くため、家畜(牛やヤギ)や養鶏、タイル工業、サリー販売、電池レンタルや電飾サービスなど、地域の特色を活かした小口融資プロジェクトを展開中しているが、その成果は一進一退で、苦戦している…。それでも、諦めずに少しずつ成果を出していきたい。

 

というようなことだった。

 

実際に、現在のSILF、少しずつ成果が出てきていると、半年前に会ったサンジーブが言っていた。

 

 

コロニーの人々の意識(自尊心がない)を、「被差別意識」という。

 

周囲の意識(彼らを見る目)を、「差別意識」という。

 

 

私たちは、現在、この2つの差別問題を解決するためにインドハンセン病コロニーで活動を行っている。

 

 

サンジーブから受けたレクチャーは、後々の私たちの活動に大きな影響を与えることになるのだけど、

 

特に、私がやっているインド雑貨やさんoaksは、コロニーの人々の経済的自立を目指すもので、SILFの尽力によって手に職をつけて事業を始めても、販路を見い出せないでいる人たちのために、何かしたいという気持ちからスタートした。

 

 

サンジーブからの素晴らしいレクチャーが終わった後、

 

2杯目のチャイが出てきて、

 

今度は私たちの話になった。

 

私たちは、中国のハンセン病快復村でワークキャンプ活動を行っていて、その活動を広げるためにインドに来たのだけど、まずは、今回の渡航でインドのハンセン病コロニーの現状を知りたいのだと伝えた。

 

サンジーブは熱心に聞いてくれた。

 

この後の予定はどうなっているのかと聞かれた。

 

明日は、インド北部の回復者組織の代表であるベヌ・ゴパール氏に会いに行く旨を伝えた。

 

今日はどうするのかと聞かれた。

 

 

「…ここに泊まっていいですか?」

 

「……!!!!!!!」

 

 

今思えば、ハイパー意味不明なお願いだったと思う。

 

もう、なんで、泊めて下さいって言ったのかも覚えていないけど。笑

 

たぶん、極貧だったからでしょうね。

 

ええ。

 

 

「…いいよ!ただ、床で寝ることになるけど!」

 

 

意外な答えが返ってきた。

 

 

「大丈夫です!寝袋持っているので!」

 

 

私たちは、二カッと笑って答えた。

 

(もう、恥ずかしい。穴があったら入りたい。笑)

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

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インド中流階級はやっべーぞ!

前回のブログで、無事にデスロードを突破して、ハリーおじさんと合流することができて、おじさんのショッキングピンクの顔面のナゾも解明できた私たちは、インドなんてよゆーだぜ!!ってなかんじで調子に乗って、おじさんの家に向かったのであります…。

 

 

(時間は現在に戻って、南千住の事務所にて…)

 

 

そもそも、ハリーおじさんって何人なの?

昨日、私のブログを眺めながら檜山くん(注:エピローグ参照)に聞かれた。

 

え、日本人に決まってるじゃない。

 

決まってないよ。

 

え!

 

みたいなやり取りを経て、読者にハリーおじさんが日本人だということが伝わっていないことに衝撃を受けた。

 

えっと、改めまして、

 

読者の皆さん、

 

ハリーは日本人ですよーー!!!

 

と。

 

 

 

(インドに戻ります…)

 

 

 

まあ、その当時の私たちも、なんでハリーっていうんだよって、思ったわけですよ。救世主っぽい名前だからすっかり騙されてたけど。

 

(いや…騙してはいない。笑)

 

なので、おじさん家に向かう車の中、めっちゃヒマだったのでハリー本人に直撃してみました。

 

「なんで、ハリーっていう名前なんですか?」

 

「これ、僕のイングリッシュネームです」

 

即答だった。

海外赴任中に付けられたニックネームらしいということがわかった。

 

ハリーおじさんは貿易の仲介をしている会社(たぶん。笑)で働いていて、いろんな国に海外赴任経験がある方なのだとか…。

 

ショッキングピンクを顔面に付けてないと、めちゃくちゃダンディーだということも、次の日にわかった。

 

 

 

そんなハリーの由来の話やなんやかやをしているうちに、車がダンディーハリーの家に到着した。

 

え?なにこの家!!

 

すごいんですけどーーー!!!!

 

景色がね、途中からおかしいなって思ってたんですよ。

 

あれ、ここ本当にインドかなって。

 

それもそのはず、おじさん家はハリヤナという首都デリーの西側に位置する州にあって、ここは経済的に栄えている地域で、富裕層が多く住んでいる。

 

 

ハリーおじさんは、小奇麗なビルがたくさん立ち並ぶ高層マンション群の一室を借りて住んでいた。

 

「おじさん、この高層マンション群には、インドのお金持ちたちがたくさん住んでるんですか?」

 

かじこが質問した。

 

「いや、ここには中流階級の人たちしか住んでないよ。お金持ちはマンションなんかに住まないからね」

 

おじさんがそう答えた。

 

 

えーそうなの?ホントに??

疑問は深まりつつも、私たちは部屋に入った。

 

あり得ないぐらいキレイだった。

そして、部屋数もたくさんあって広かったし、置いてある家具も高級そうだった。

 

ハリーおじさんの家には3人の使用人がいて、一人がおじさん専属ドライバーで、2人がハウスキーパーみたいなことをしていた。

 

はぁぁぁあ…、これで中流階級なのか…。

 

 

インドの経済格差を知った瞬間だった。

 

この後の旅の中で、私たちは嫌というほどインドの経済格差を知っていくわけなんだけど、インドの貧富の分布はきれいなピラミッド型をしているわけではなく、インドの人口の約3分の1が貧困層と言われていて、その上に中流階級、上流階級、超上流階級となっている。

 

日本でいう中流階級と言えば、一番人口が多いスタンダードな層だと思いがちだけど、インドではそうではない。空港からおじさんの家までの道のりでも、実に様々な階級の人々を目の当たりにした。おじさんの家があるハリヤナ州もお金持ちの人たちが住む地域ではあるけど、バラック小屋が立ち並ぶ貧民街も綺麗なビルとビルの隙間に存在していた。

 

 

 

景色がアンバランス。

 

そして、驚くほど、混沌としている。

 

 

 

それが、インドに来て初めて私が思ったことだった。

 

 

 

 

今日は遅いからもう寝て、明日、いろいろ話しましょうね、なんて言って、おじさんは私たちを各部屋に案内してくれた。

 

やったー!!

めっちゃ安眠できそうだ!!

 

テンションの上がっている私たちにハリーおじさんは去り際に、

 

「あ、お風呂も入ってね、ホットシャワー出るからね」

 

と言って出てった。

 

 

………ホットシャワー?

 

……やったぁぁぁぁあ〜!!!!!

 

 

こんなインドにきてホットシャワーが使える想定なんてしてなかったから、もう、3人のテンションはマックスに!!!

 

ホットシャワーごときで大げさな…と思われるかもしれないけれど、私たち海外ワークキャンパーにとったら、ホットシャワーが出ないなんて日常茶飯事で、出ることの方が少ないのだ。

 

ましてや、インドともなれば、冷水でバケツシャワーが当たり前だろうと思っていた。

 

だからもう、恵みのホットシャワーに狂喜乱舞しながら、お風呂に入って就寝したのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

≪ダンディーハリー(右2番目)とハウスキーパー2人と私たち≫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ウォーリーならぬハリーを探せ!

前回は、デスロードに向かったところで終わりましたが、今回はデスロード突破編〜。

 

 

さて、デスロードの先にハリーおじさんがいるという絶大な安心感の中、デスロードに辿り着いた私たち。

 

汚い古びた階段を降りて、到着ロビーを見て、ギョッとした。

 

ゲートの両側に黒山の人だかり!!!!

 

いや、本当に真っ黒だった!!!!

 

今にも壊れそうな心もとないちゃっちい柵みたいなゲートにのしかかるようにして、手を挙げて、口々になんか叫んでいる。

 

今までのターバンたちがもうかわいく思えるぐらい、凝縮されたマサラとお香の匂いと、人だかりの熱気と、汗の匂いと、クーラーのない外気の暑さが混じり合って、カオスなインドがそこにあった。

 

ああ、ターバンたちはインド人じゃなかったのね。

 

もう、これがインド人なのね。って、振り向いてターバンに謝ったよね。

 

 

 

いや…、本当に、こんなかにハリーおじさんいるの…??

 

いないでしょ。

 

おじさん、黒くないし。

 

たぶん。

 

もう、ウォーリーを探すより大変なんじゃないかってぐらい。

 

 

けど、そんなすぐ諦めるバカ娘のために、ハリーおじさんは事前にこのデスロードの攻略法を考えてくれていた。

 

それは、「亜希」と私の名前を書いた看板を持って、ハリーおじさんがゲートを出てすぐの右手側の黄色いゾーン(地図参照)のどこかに立って待っているから見つけてください、見つからなかったら、電話を掛けなさい、というものだった。

 

これは、ハリーおじさんが作った空港内の地図。

 

 

 

 

いや、ハリーおじさん、

 

なかなかアナログだぜ、その方法。

 

 

こっから見る限り、みんな変な看板持ってるし、みんな黒い。

黄色いゾーンの範囲、広過ぎ。

 

てなわけで、赤いボーダーを着ていないウォーリーならぬハリーを探すのは、かなり困難を極めた。

 

ちなみに、この当時、看板詐欺なるものが流行っていた。

 

それは、このデスロードを突破するため、あらかじめ観光客がホテルを予約してそのホテルに空港からの送迎タクシーを手配してもらうのが割と安パイなやり方になっていたんだけど、ホテルが手配したタクシーの運転手は予約者の名前をプラカードにして空港のゲートで待っているわけ。

 

それで、詐欺集団は、そのプラカードの名前を盗み見て、その場で同じ名前のプラカードを作って、本物のタクシー運転手より手前側で待ち受けて、まんまとカモの観光客をタクシーへと乗せて、自分たちのホテルか、観光会社に連れて行ってしまうというもの。

 

実に巧妙なやり口の詐欺で、多発していた。

 

 

いや、もう、本物のハリーおじさん見たことないし、プラカード詐欺をされたら、

 

ん?

 

黒いけど、ハリーかな?

 

って、なっちゃうかもしれない。

 

 

それぐらいのオツムですよ、わたしは!って開き直ってたら、

 

 

「あきちゃーん!!」

 

 

黒い群衆の中から、突如、声が!!!!

 

 

「あ、ハリーおじさん!!!!」

 

 

なんか、頭にショッキングピンクの色つけた、ダンディーなハリーがこちらに手を振っていた。

 

え?ショッキングピンク?

 

意味が分からないけど、とりあえず、ハリーぽい!

顔、ピンクいけど、黒くないし!

日本語話してるし!

 

デスロードの黒い群衆も恰好のカモっぽい私たちがハリーに駆け寄る姿を見て、舌打ちをしているようだった。

 

 

へへーんっ!!

 

こっちには、ハリーがいるんだぜ!!!

 

ってなかんじで、無事にハリーおじさんと合流できて、私たちはデスロードを脱出し、ハリーおじさんの車に乗り込んだ。

 

 

「あきちゃん、はじめまして。真理子(お兄ちゃんの奥さんの名前)の父です」

 

「あ、おじさん、はじめまして。アキです」

 

なんて、ふつーぽい会話が繰り広げられてたけど、もう、みんな、目はハリーの顔面に釘づけだった。

 

すんげ―、ショッキングピンク。

 

もう、ピンクの顔面が気になり過ぎて、会話が全然頭に入ってこなかったので、

 

「あの〜、おじさん、顔がめっちゃピンクですけど…」

 

おずおずと言ってみた。

 

「ああ、これね、ホーリーっていうインドのお祭りがあって、インド人に付けられたんだよ」

 

おー、ハリーおじさんの変な趣味とかではないらしいことがわかって、一同安堵した。

 

(↑失礼なやつら。笑)

 

 

 

てか、ホーリーって何??って話なんだけど、

 

ホーリーはもともと豊作祈願の祭りで、悪魔祓いのために泥などを投げたのが起源と言われていて、それがどんどん変化して、現在は泥などの代わりに色粉や色粉を水に混ぜて作った色水を掛け合ったりして、春の訪れを祝うお祭りのことらしい。

 

この日、3月1日はちょうどホーリー祭の一番盛り上がる日だった。

 

ホーリー祭の初日は、日没から始まって、ファグアーと呼ばれる歌を歌って、焚き火を燃やし、悪霊を焼き幸福を祈願するのが本当らしい。

 

(今まで、ホーリー何度も経験したけど、初日の夜にファグアー歌ってる人は見たことがない。私が見たことないだけかもしれないけど…笑)

それで、2日目は色粉や色水の掛け合いを行う。今、流行りのカラーフェスティバルみたいなかんじで、祭りが始まると、友人知人はもとより通りがかった見知らぬ人にまで、顔や体に色粉を塗りつけたり色水を掛け合ったりする。

 

色粉を塗りあった後は「ハッピー・ホーリー!!」って言いながら抱き合うんだけど、顔や体だけじゃなくて、服とか耳の穴とか、もう全身、色だらけになって数日間取れないっていう、なかなかファンキーなお祭りなのです。

 

 

実際は、こんなかんじ!!

 

 

 

 

私たちが空港に着いた時には、すでに夜中だったのでホーリーは終わっていて、ハリーおじさんのファンキーな顔面しか拝むことができなかったけど、次の日、よくよく見ると、その辺にいるインド人はみんな何かしらの色を顔につけていた。笑

 

 

 

 

 

 

 

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拓け!デスロード!!

(↑前回の羽田から北京までのフライト中のかじこと私。笑)

 

 

ターバンのインド人たちに囲まれて、とうとう私たちはデリー空港に降り立った。

 

 

 

この頃のデリー空港といえば、今のナイス&ファンキーな空港ではなくて、魑魅魍魎が渦巻くかなりデンジャラスな空港だった。

 

(今のデリー空港がどれくらいナイス&ファンキーなのかは追々お話します。笑)

 

どれくらいデンジャラスだったかといえば、

 

例えば、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、変な観光会社に連れていかれてありえないぐらい高額なツアーに入るまで監禁される…とか。

 

例えば、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、はっと見たらかばん全部がなくなってる…とか。

 

例えば、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、そのまま路上でレイプされる…とか。

 

 

とにかく、空港の到着ロビーに出てすぐに、インド人たちにわーっと周りを囲まれて、もみくちゃにされて、わけもわからないままタクシーに乗せられて、騙されたり、身ぐるみ剥がされたり、男女問わずレイプされたりなんていうのが日常茶飯事だった。

 

特に、日本人観光客はカモ中のカモだった。

 

日本人が狙われ易い理由は、

 

NOとはっきり言えない。

お金を持っている。

英語が得意じゃない。

世間知らず。

 

いろいろあるけれど、やっぱり一番は、はっきりと意思表示ができない国民性が大きいらしい。仲良くなったインド人が、「日本人は優し過ぎる。だから、詐欺に遭いやすいし、そういうやつらの恰好のターゲットになり易い」と言っていた。

 

疑わしい事実があってもはっきりと相手に疑念をぶつけることができなかったり、嫌だと思ってもあいまいな断り方をしたりするから、相手に強引に流されてそういう事態に発展してしまうらしい。

 

 

出国前に、インドに行ったことのある私の男友達が、インドに旅立つ私にはなむけの言葉をくれた。

 

「インドは空港が肝心。あの魑魅魍魎がいる地獄の空港を突破できるかどうかがインド旅行が楽しいものになるか、そうでないかの分かれ道だ」

 

いや…全然、はなむけじゃない。

はなむけてないよ。

そりゃ、むしろ、死の宣告だよ、あんた…。

 

ほぅぅぅ…、これは気を付けねば。

ビビりの私は、漏らす勢いでビビった。

 

実際にその友達は、英語もできる割と屈強な男3人でデリー空港に降り立って、もみくちゃにされて、タクシーに乗せられて、2日間監禁された経験をしている。

 

その友達は去り際に、

 

 

「高価な時計、ブランド物の服、間違っても身に着けていかないように。デジカメなんて間違ってもかばんから出さないように。命がいくつあっても足りないよ」

 

そう言って去っていった。

 

 

…脅し過ぎだろーーーー!!!!

 

今ので、だいぶ、漏れただろー!!!!!!

 

もう、デンジャラスどころの騒ぎではない。

デスロードに向かう装備ナシの村人状態の私は、パニックになった。

 

どうやって、デスロードを突破するべきか。

ない脳みそで必死に考えたけど、思いつかなかった。

 

 

良い考えが一つも浮かばないまま、脳みそあんまり詰まってないから、友達の忠告も忘れ始めて、あいまって恐怖感も薄れ始めて、

 

まあ、気合かな!って、得意技で乗り切ろうとし始めた頃、

 

 

突如として、救世主が現れた。

 

 

それが、ハリーおじさんなのです!!!!!

 

 

このハリーおじさん、私のお兄ちゃんの奥さんのお父さんというややこしい間柄の人で、

 

危険なインドに対して無防備すぎるバカ娘のために、うちのお母さんがお兄ちゃんに頼んで、お兄ちゃんが奥さんに頼んで、奥さんが自分のお母さんに頼んで、奥さんのお母さんが頼んで、現れたのがハリーおじさんなのです。

 

 

この大きなかぶ方式で現れたハリーおじさん、

 

なんと、インドに住んでいたのです!!!

 

わぁお!素敵!!!

 

そして、インドのデリー空港に私たちを迎えに来てくれることに!!

 

デスロード突破の道が拓けたーー!!!!

 

歓喜!!!!!!!

 

 

 

てなわけで、デリー空港に降り立った私たちは、インド人ターバンたちに周りを囲まれていてビビりつつも、デスロードの先にハリーおじさんがいるという絶大な安心感の中、堂々と入国審査を済ませて、臆することなく、デスロードへと向かったのであります…。

 

 

つづく〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

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